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2014年11月28日 (金)

塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記』

Kakumeibaka_1 これはたまたま本屋で見つけて買いました。塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記 たかが駐車場、されど駐車場』(鹿砦社)

http://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=ichi&seq=000384

全国のシルバー世代、全共闘世代に送る熱いメッセージ

元赤軍派議長、あの伝説の男が帰ってきた。 それも革命的シルバー労働者として! 誇り高き 駐車場管理人として!

いま 新たなステージに立っている。――これはその中間報告の書である。

この名前にご記憶がある方はどれくらいおられるでしょうか。かつて共産主義者同盟赤軍派の議長として活躍し、20年あまり獄中で過ごして出所したあと、2008年から清瀬市シルバー人材センターで人生で始めて労働を体験し・・・というあたりまでは、本ブログで何回か紹介してきましたね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-d14f.html (赤軍派議長@シルバー人材センター)

ちょっと前の産経に載った記事で、「さらば革命的世代」という連載ものの「日本のレーニンが知った労働」という記事が、大変興味をそそられました。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080703/trd0807032211019-n1.htm

>かつて「日本のレーニン」と呼ばれた男は、東京都清瀬市の市営駐車場で汗を流していた。昭和40年代半ば、「世界同時革命」を掲げて武装闘争路線を指揮し、破防法違反罪などで19年9カ月の獄中生活を送った元赤軍派議長、塩見孝也さん(67)。昨年末から市のシルバー人材センターに登録し、月9日ほど派遣先の駐車場で働いている。

 「この年になって、ようやく労働の意義を実感している。39歳のひとり息子も『親父がまともな仕事をするのは初めてだ』と喜んでいます」

 それまでの生計は「カンパや講演料に頼ってきた」というが、あえて働き始めたのは昨秋、心臓を患ったのがきっかけだった。「もっと自活能力を付けたい。地に足のついた生活をしながら革命を追求したい」と思ったという。

うーむ、左翼運動に半世紀をつぎ込んで、今になって「ようやく労働の意義を実感」ですかね。いままでは地に足のついていない革命運動だった、と。

>塩見さんが働く駐車場は駅近くのショッピングセンターに隣接し、休日は約1000台が利用する。時給は1000円だったが、4月から「副々班長」の役職手当で50円上がった。

 「役職に就くのは労働者を管理する側に回ることであり、刑務所でも班長への就任は断固拒否したが、ここでは仕方がない」と主張する一方、「働くとは、すばらしいことだ。社民党や共産党の幹部も理論だけでなく実践したらいい」と、自身の「初めての労働」をうれしそうに語る。

>塩見さんは「要するに、僕のこれまでの生涯は、民衆に奉仕するというより、民衆に寄生してきたのです。奉仕されるばかりで、自前の職業的労働すらしてこなかった。これは情けないことで、よく生きてこられたなとも思う。だからこそ、自己労働を幾ばくかでもやり、本物の革命家になりたいと思うわけです」。

今頃そういうことを言われても・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-c523.html (『総括せよ!さらば、革命的世代』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/70-ec65.html (70歳まで働く!@東洋経済)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-8ee1.html (老いてますます・・・?)

その67歳にしてはじめて労働を体験した塩見さんが、その職場で労働者としての権利に目覚め、清瀬市シルバー人材センターと就労先クレア駐車場を経営する清瀬都市開発公社を相手どって、休憩時間をめぐって団体交渉をつきつけ、さらに反合理化闘争に突き進んでいく姿を描いています。

1部 駐車場労働〈事始め〉

第1章 駐車場労働を始めた由縁について

第2章 労働の真実とは? 

第3章 労働の只中で去来してくる我がやるせなき想念 

第4章 〈永久革命家〉としての退路を断った僕の駐車場労働

2部 駐車場労働《本番》記

第5章 駐車場労働《本番》記

第6章 改めてシルバー労働とシルバー運動を問う

3部 反合理化――僕の闘争記

第7章 許すまじ、二六年度合理化案

第8章 日本テレビ「ダンダリン 労働基準監督官」に鼓舞された

終章 職場、地域での生活・経済・福祉闘争を政治闘争と結合し“社会政治闘争”を闘おう

しかし人生の大部分を革命運動に打ち込んできた塩見さんが70代になって人生ではじめて取り組んだのが「労働運動」であったというのは、いろいろとものを考えさせます。

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