静夏堂

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村上隆と歴史に名が残る事と高額な美術作品

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史に名が残る現代の日本人、で今のところほぼ確定的なのは美術家の村上隆とiPS細胞の山中伸弥教授の2人だと思います。

ここでの「歴史に残る」とは、50年後〜100年後の世界史の教科書に載る、という事を意味します。

なぜ残るのか?答えは、「開拓者、もしくはその文脈の先端に立った代表例」だからです。今歴史に名が刻まれてる人物達、例えばコロンブスはアメリカを発見し、エジソンは電気を発明し、それが後世に絶対的な影響を及ぼした。乱暴に言ってしまえば「先にやったもん勝ち」。ですが、コロンブスの卵の如くその開拓革命には、時代の流れと命がけの努力が必須なのは言うまでもありません。

山中教授が歴史に残ることについて、首を傾げる人は皆無かと思います。論文発表から10年も経ずノーベル賞を取り、再生医療という神の領域への扉を開いてしまった以上、これからの人類に100%影響を与えます。

対して村上隆はどうかと言えば、批判の声が相変わらず多く嫌われ役を担ってます。芸術で金儲けしやがって!やら、アニメ・マンガ等のサブカルチャーをダシに人の褌で相撲を取りやがって!やら。

感情論に囚われない本質的な評論や評価も以前よりは目立つようになりましたが、まだまだ誤解され続けており、多分彼が生きている間はその呪縛から逃れられないでしょう。

では何故歴史に残るかというと、100年後に「日本はこの時代、このような文化芸術が生まれた」という参照文献に最も適しているからです。ご存知のように、彼が題材要素とするアニメ・マンガは日本が唯一世界を支配しているカルチャーです。が、それは大衆芸能としてのそれで、アカデミズムで権威主義な所謂「お芸術」として扱われません。結果、世界史の範疇に入れて貰えない。

しかし、村上隆は開拓者では無いが、それらを上手く抽出し日本画等の手法と融合させ、ファインアートの世界に持ち込みその文脈に乗って国際評価された。なので、手塚治虫より世界史の教科書に彼の名前と作品が載せやすい。

もしノーベル賞に芸術部門があれば確実に受賞してます。そうなるといつものように日本人は「世界のムラカミ(ハルキでない)」と手のひらを返して持ち上げていることでしょう。ただ彼が長生きすれば草間彌生のように、高松宮殿下記念世界文化賞文化功労者などに選ばれるかと思います。

◆歴史に名が刻まれる理由

ピカソはなぜ名が残っているか?2つ理由があり、1つはキュビズムという美術史上の開拓革命を行った。次にゲルニカを代表にした時代状況を、その当時最先端の手法を用いて描いたからです。こういった事はピカソに限らず、世界史に載っている美術家ほぼ全てに当てはまります。

 

今までの日本人中、100年後の世界史レベルで名が残っているのは誰かとなると、葛飾北斎紫式部そして昭和天皇ぐらいかと思われます。紫式部は「世界最古の部類に入る長編小説を描いた」人物として。北斎は、LIFE誌の「世界の人物100人」に唯一の日本人としてランクインしているように、浮世絵という他に類を見ない美術の代表例として。昭和天皇は第二次次世界大戦時の枢軸国の君主として。あとは湯川秀樹あたりかなと。少ないように見えますが、鎖国を繰り返しある種近代に入ってから世界史に登場した極東の地からしたら健闘しており、東アジア圏でいえば中国に次ぐと思います。

◆大金で取引される美術作品たち

村上隆はじめ、美術作品は何かと「高値で取引された」ことが作品そのものより語られがちです。サザビーズを代表とする資本主義国の頂点たるアメリカを中心に廻っているのである程度仕方無い事でもあります。が、『ピカソは本当に偉いのか? 』という本の中でも言及されているように、そんな世の中は決して正常では無いと思います。先に記したように、大金の方に目が暗まされ、作品そのものへ目がいかなくなるからです。

バブル期の日本がゴッホルノアール等の作品を数十億越えで買い漁ったのは有名な話ですが、審美眼なんてのは無かったに等しい。ことゴッホに関しては、作品よりその不遇な人生の方にあまりに目がゆき過ぎです(その事を自分は「ゴッホ症候群」と呼んでいます)。

そもそも富豪らは何故こんな桁違いな金を出して、美術作品を買うのか?理由は3つあり、1つに「金銭的価値が高いものを手に入れた自分を世間に見せつけたい」、つまり自己顕示欲の表れです。次に、「貨幣というのを信頼していない」から。最後に、「金で買えない欲求を満たしたい」からだと思います。

これらは全てエゴの極みでもあります。もちろん中には、しっかりとした審美眼を持ち保護の為に蒐集している人も居るでしょうが、その大金で世の為になるもっと重要なことに使えたはず。2014年現在、最も高値で買われたのはセザンヌの『カード遊びをする人々』という作品で250億円以上したそうですが、そこまでの金銭的価値があるとはとても思えません。描かれているカード遊び(たぶん庶民的な賭け事)をしている2人からしたら、唖然としている事でしょう。

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話を村上隆に戻します。著作を読めば分かるように、彼はパブリックイメージとは違って物凄い努力と戦略を練って活動しています。ただ、その戦略があまりに露骨が故、誤解を抱かせ嫌われ者になってしまうのでしょう。だけど、やらしい事にそれも計算の内で、路線としてはアンディ・ウォーホルと同じです。また提唱しているスーパーフラットは、日本文化を考える上でかなり腑に落ちる理論といえます。

作品そのものへ目を移しますと、個人的にはかなり好きな部類に入ります。単純に、構図も色彩も見ていて楽しい。かつ西洋美術の文脈にしっかり乗りつつ、日本画の要素を引き継ぎふんだんに取り入れている。藝大日本学科出身初の博士号の名に恥じない作品を産出していると、ちょっとばかし美術を齧った人間からしたら思います。

熱闘! 日本美術史 (とんぼの本)

熱闘! 日本美術史 (とんぼの本)

 

 ↑は出たての書籍で、伊藤若冲歌川国芳などを再発見した美術史家辻惟雄とコラボし『芸術新潮』で連載されていたのをまとめたものです。この連載のお陰で、自分は日本美術への関心と解釈の幅が広がったりしました。美術なんてのは、いつの時代も権威の膝元にあるものですが、知見が広がるだけで現代の庶民でも楽しめるものになります。

 

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