まるまるこふこふ

数々の次元が崩壊し、全ての生命が塵と化すのを見てきた。私ほどの闇の心の持ち主でも、そこには何の喜びも無かった。

新卒入社半年で退職した

お疲れ様です。さいです。
新卒で入社したソフトウェアハウスだかSIerだかわからない会社に
平成26年4月1日に入社し、同年11月30日をもって退職しました。

捻くれてるので、退職エントリ書くより「エンジニアはなぜ退職エントリを書きたがるのか」みたいな
記事を書いてやろうかと思ったけど、かけるほど転職経験があるわけでもないのでやめます。

退職理由

会社で働いている人たちを尊敬することができなかった。

社内の人間をバカにしているわけではない。

単純に社内の人間が

・能力、マインドともに高い人間だが、私が高めたいと思う能力・マインドではなかった
・能力、マインドともに低いが、仕事以外のところ(趣味・家族等)に人生を見出している人間

のどちらかだったという話。私は趣味と仕事を同一にしたいと思ってるし、
プロジェクトマネージメントや営業目線的なところより、まず技術力を高められるところまで
高めたいと思っていた。

私は環境(担当している仕事や人間関係)というものは
本人の成長に強く影響を与えると思っている。

この環境は果たして私に良い影響を与えてくれるのだろうか?
という自分への問いかけに私はイエスと答えられなかった。

業務システムに関わっていくキャリア観が持てなかった

BtoBビジネスを面白いと思うことができなかった。
BtoCビジネスはモチベーションを保てそうだと思ったが、残念ながら
社内でそういうビジネスをするのは難しいようだった。

チームメンバーとして一人前の立ち位置を確立してしまった

アサインされた配属先は、立ち上げ当初だったため、メンバーのスタートラインは皆同じだった。
その中で僕は自分が正しいと思う方法で仕事を進めていった。
新人の仕事ぶりにも関わらず、驚くほど周囲は何もダメ出しせず、僕を評価してくれた。
いつの間にかシステムに関しては僕が一番詳しくなっていて、
お客さんとのやりとりも大部分を僕が行うようになっていた。

これが社会人5年目くらいだとやりがいにつながるんだろうけど、
僕は入社1年目のルーキーなわけで、そんな僕が
「できないことができるようになる」という経験を一切せず
「できることをやっている」ばかりなのは自分が井の中の蛙であるような不安を感じていた。

半年間でやったこと

ユーザーサポート

業務システムについてユーザーからのオペレーションについての質問や
不具合などの窓口をメールや電話で対応していた。

あまり思い出したくない記憶になっている。
業務システム内にあまりにも不具合が多く、それをユーザーの運用方法で回避しているのだが、
いかんせん量が多いためにほぼ毎日のように不具合についての問い合わせがくる。
そのたびに大慌てで複雑な業務フローを洗い、異常なデータを
二次災害が発生しないように修正するのはただ辛みでしかなかった。

開発の人間が適当なシステムを作ると、苦労するのは運用の人間なのだなぁと
ヒシヒシと感じた。

機能改修

ユーザーとの要件定義から設計・開発・テストまで一人でやってた。
あくまで保守開発なので、要件定義といっても大した要件ではないし、設計といっても
既存の設計書をチョチョイと修正するだけだ。私一人で担当できた。

ただ機能改修について完全に私の中でブラックボックス化してしまっていたので
退職にあたる引継ぎの際には苦労した。(属人化を避けるというのは大変大事)

Subversion 導入

一番好きだった仕事。チームが立ち上げ当初だったため、
開発環境が何も整っていなかったため、「少なくともバージョン管理ソフトは必要よね」って話になり、
私が導入を担当することになった。

導入にあたっては、運用方法を考えるのがミソだった。
私は git しか知らず、git でよく使われるフローをそのまんまSVNに導入して、
意味のわからない branch や tag の切り方になったのは良い思い出だ。

とにかくメンバーの事をユーザーだと思って、運用方法について色々案を出しては
ヒアリングの中でブラッシュアップして、運用方法を詰めていったのを覚えている。

この手のチーム内での運用方法は最初から完璧を目指さず、
少しずつ少しずつ肉付けしていくほうが良いことを学んだ。

メンバー教育

私が開発に仕事をシフトするに連れて、ユーザーサポートまで手が回らなくなってきたので
別会社から人間を連れてこようという話になった。

これが35歳の人間とは思えないほど能力・マインドともに低い人間だった。
主体性がない・受け身・論理的思考ができない・会話の要点がない、etc...

22歳の新卒に仕事を教えるような感覚で色々教育計画を立てて指導していた。
あまりの能力の低さに、向こうからの質問にはいつもイライラしながら答えていた覚えがある。
我ながら人間力があまりにも低かった。

学んだこと

「目的と手段」という言葉があって、「目的のために手段を使う」って関係になっている。
技術とはあくまで"手段"である。何かを作ったり何かを提供するっていう"目的"を
達成するための手段でしかない。

私は高いモチベーションこそが高い成果を生み出すと信じていて、
技術が好きなだけでは仕事でモチベーションを持続させることが難しいと肌身で感じた。

技術に対してモチベーションがあるだけじゃダメで、
技術を通して自分は何を作るあるいは何を提供するときに一番モチベーションがあがるのか
というところまで考えないと、モチベーションの持続は難しいことを学んだ。

書いてみれば当たり前のことなのだけれど、私は社会に出るまで気づかなかった。

反省

いきなり転職せずとも社内の部署移動の嘆願を検討しても良かった。
半年間社内の人間と出会って、能力・マインドともにがっかりさせられる人ばっかりであり、
それを過度に一般化してしまって「そもそもこの会社に尊敬できるような人間はいないのではないか」と当時の私は思っていた。
(といっても課長職以上の人間は僕みたいな新卒から見ればスゴイ人ばかりであり、がっかりさせられたのは、入社5年目くらいまでの人や、役職についていない30代40代の人間だった)

次期システムの開発の話も進んでおり、その中でAWS周りのインフラの一切を任せて
もらえそうな話は進んでいた。
ただそれに携われる半年後まで今のチームで働く精神力は残念ながら持ちあわせていなかった。

転職方法

DODAの転職エージェントサービスを使った。
ぼんやりと自分のやりたい技術、作りたいものを面談で伝えたら、
エージェントから企業情報が送られてくる。
面接の手続きとかエージェントがモロモロこなしてくれるので楽。

転職エージェントサービスは、ほんとエージェント次第なところがあって、
使えないエージェントは本当に意味わからん企業情報を送りつけてくるらしいけど
私のエージェントは優秀な人っぽかった。

「オススメされた企業を応募したら受かったので転職する」っていう
ものすごい情報弱者みたいな行動をしてしまったので、それは反省している。

DODA第二新卒向けの転職サービスではないけど、
普通に中途採用に応募できたし、書類で落ちたことはなかった。

これからどうするのか

オタクがもっと人々に受け入れられるような社会にしたいです。
そのために一般ピープルがオタク文化にドップリハマるような
製品やサービスを作っていければいいなと思います。

とりあえずはまずは転職先でがんばりたいなぁと思います。