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 戦国時代に一向(いっこう)宗(浄土真宗)門徒による武装自治都市「寺内町(じないまち)」として栄えた奈良県橿原市の今井町で、幅15~20メートルに及ぶとみられる16世紀後半の濠(ほり)跡が見つかった。市教委が27日発表した。敵対した織田信長との和睦時に濠は埋められたとされるが、防御性の高さを示すものとみられる。

 今井町の南西端を発掘。江戸時代から近現代まで使われた環濠(かんごう)跡と、その下層で16世紀後半に埋め立てられたらしい新旧2時期の環濠跡が確認され、旧環濠は過去の調査と合わせて幅約15~20メートル、深さ80センチ以上になることが判明した。

 今井町は1570年代に石山本願寺に呼応して信長と対抗。濠や土塁を備えた防御的な町を築いたが、信長の命を受けた明智光秀らに攻略されて75年に降伏。土塁を崩し、環濠を埋め立てたとされる。今回、鉛玉(直径1・2センチ)2発も見つかり、市教委担当者は「信長軍が脅しで発砲した銃弾かも」とみる。

 仁木宏・大阪市立大教授(日本中世史)は「武士の居館にも負けない大規模な濠。軍事目的とともに農業用水などに使われた可能性もあるのでは」と話す。

 現地説明会は30日午前9時~午後3時。近鉄八木西口駅から徒歩約15分。問い合わせは市教委文化財課(0744・47・1315)。(塚本和人)