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忙しすぎて、働く意味がわからなくなりました。(50代男性)

遙から

 働き盛りの世代とは、死に盛りだと思う。倒れ盛りと表現しようかと考えたがやめた。風邪だって倒れる。そんな軽さを超えて深刻な身体状況に陥りかねない。それが自由業の働き盛りだ。これはブラック企業の社員もそうだろうし、名ばかり管理職も同様。労働時間を規制されずに働く人たちは、私も含め、あ、そうそう、出版社の雑誌担当も同様。働き盛りとは死に盛りだと思って、改めて働くとは?を考えてみたい。

 人生はいくつかのブロックに分かれて構成されている。

仕事、用事、人と会う

 まず“仕事”。

 仕事には外で働く仕事と、家でする仕事がある。私の場合なら外で講演、家で執筆、というように。役者なら外で撮影、家で台本を覚える。「家には仕事を持って帰らない主義」という言葉を耳にすると、随分恵まれた職業だなぁ、と感じる。持って帰らないで済む、つまり、明日に回せる、つまり、今に追われていない仕事ということだ。そんな人どれほどいるのだろうかと自由業の私なんかは思う。私と、私の周りの仕事実感は、外でも家でも働く。食べて寝る以外は全部、働く、だ。

 そして、次なる人生のブロックは“用事”。

 冠婚葬祭を始めとし、何かを購入したり、銀行へ行ったり、税理士と会ったり。これすべて生きるためについてまわり終わりはない。用事だけは仕事の隙間を埋めつくすように次から次へと湧いてでる。その比率たるや、仕事より用事のほうが多いのではないかというくらいだ。

 そして次の人生ブロックは“人と会う”。

 打ち合わせしたり、打ち上げしたり、食事会したり。人間関係上、どうしても顔を出さねばならない宴席というのがある。勘弁してくれっ、と願っても、風邪で熱があっても出ねばならない宴席。それを断れば人でなし扱いを受けかねない重要な社会参加儀式だ。自由業とはそれほど人とのネットワークで成り立っている。


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