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1960年代から70年代にかけて英国に存在したスラム街の実態を浮き彫りにした写真が初めて公開された。これは戦前でもなく戦中でもなく、約40年前の戦後しばらくしてからのものである。日本が高度成長期に入った時代である。
これらの写真は、当時英国に巣食う貧困の窮状を明るみ出すために写真家のニック・ヘッジズが、バーミンガム、マンチェスター、リーズ、ロンドンのスラム街を3年かけて巡り、撮影したものである。
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湿っぽい寝室で、カビの生えた壁紙に一番下の子供をかかえて立っているのは、ミセス・M。彼女の本名を知っているものは誰もいない。警戒しながらカメラを見つめている。
1969年1月撮影
他の3人の子供(男の子が2人と女の子が1人)は、ボロボロのレインコートを着て、身を寄せ合うにしている。ガタガタの金属が飛び出しているベッドに直に寝なくてもいいように、ズブ濡れの2つのクッションが置いてある。
この家にはお風呂もお湯もなく、壁は常に湿気っている。外では雪が降り積もり、身を切り刻むような冬の風が家の壊れた窓から吹き込んでくる。このような貧困家庭は当時数多くあったのだ。
がれきの下の寒く、灯りのない場所に子供を運ぶミセス・Hの姿。
ミセス・Hは夫と小さな子供と一緒にグラスゴーの賃貸アパートに住んでいる。このアパートに住んでいるのは、この家族のみで他の住居者たちはすでに皆去って行った。ある朝、目覚めると、解体業者が建物を壊し始めていた。
ミセス・Tは5人家族で、シェフィールドのソーシャルワーカーが所有する、今にも崩れ落ちそうな連棟住宅に住んでいる。ガスも電気もお湯もなく、お風呂もない。料理するには、リビングルームで火をおこさなければいけなかった。
このアイルランド系家族は3世代にわたりリバプールにある共同アパートの地下の一室に9人で住み続けた。
展示会「価値のある人生を」で初めて公表されたこれらの写真は大昔の出来事ではない。1970代、何百万人というイギリス人がこのような過酷な状況で暮らしていた。
今日、イギリス内の最も貧しい人たちでも生活の最低水準は維持できているが、当時の貧困とは、電気も水もなく、屋根もない家で寝ることだった。
バーミンガム、1969年11月
バーミンガムのスラム街にある公営住宅で暮らす一人の女性と子供が、台所から見上げている姿。狭い部屋には、作り合わせの洗たくをかける紐が、むき出しの水道管とはがれかけ湿っている壁紙の間に吊るされている。
グラスゴーのアパートの地下室、1970年10月
壁にかかった鏡の断片をじっと見つめ、メイクをする若い女性。部屋には、水漏れしている汚い流しがあり、捨てられたシリアルの箱で覆われている壊れかかった窓からは光が差し込んでいる。
1970年1月
カルガー夫妻は4人の子供と一緒にグラスゴーの貸アパートに住んでいる。寝室は雨漏りし、水たまりができている。夜はネズミよけのため灯りをつけて寝る。以前、夜中にネズミを16匹見たという。
バーミンガム、1696年6月
幼い少女が泣き叫ぶ幼児を胸に抱えなだめようとしている。二人がいる部屋の、破れかけ湿った壁紙は「基準以下の住宅」を表している。
バーミンガム、1970年8月
湿った、ひび割れたデコボコの壁、そして作り合わせの洗たく紐がコンロの上に吊るされている。スラム街の台所で佇む一人の少年
1971年7月
ミセス・チチョッキーと娘の写真。当時の住宅建設相、ピーター・ウォーカー氏がリバプールにあるこの家を訪れた。ミセス・チチョッキーによると、大臣は「ここは人間の住む様な場所ではないと言った」という。そのすぐ後に「それでも私はここにいる」と付け加えたそうだ。
かがみこみ料理をしているミセス・Tはリバプールにある家で写真に写っている夫のミスター・Tと一緒に暮らしている。
小さな女の子がマンチェスターのアパートの前に立っている。1960年代、70年代初期、マンチェスター市は多くのビクトリアやエドワード朝の建物を解体し、新しい住宅地を建設した。
1970年にグラスゴーで撮られた写真に写っている2人の女の子は、結婚式を真似るためボロの布で作り合せのベールを作り、遊んでいた。
マンチェスターの一角にある住宅が取り壊された地域。1971年6月に撮影。匿名性を保護するために、上の写真もあわせ、これらの写真は40年間公表されなかった。
ロンドン、1969年
ボロボロの洋服に身を包み、ゴミの山の前でポーズをとる少女。彼女が住んでいるのは破れた新聞紙とゴミで埋もれている地下の一室。
アパートの窓から外の様子を見ている少女。
さびれた道中で立っている、顔中汚れた貧しい男の子
石畳の道路の上、銃で遊ぶ3人の男の子。
1960s UK Slums, Poverty, Inner City, Children
この40年間におけるイギリスの貧困基準の変化
現在今日の英国における貧困基準とは、世帯所得が平均所得の60パーセント以下の場合。これは、地方税や賃貸料などを差し引いた、住宅費控除前所得(BHC)で計算されている。
2014年1月の時点での英国の平均収入は26,500ポンド(約490万円)。英国の雇用年金局から今年の7月に発表された、2012年2013年の貧困に関する最新の数字では、住宅費を除く前の平均世帯所得の週当たりの所得は440ポンド(約8万1000円)。この数字からすると、イギリス人の15パーセントにあたる、970万人が貧困状態だということになる。
英国政府の認めた貧困の定義がいくつかある。燃料貧困、物質的欠乏、後者は「ある特定の時点において社会的に一般的と言われている用品や活動を購入できない状態を自ら申告した個人や家庭」のことを指す。
英国政府が認めた「根強い貧困」という定義。これは3年から4年間、世帯所得が平均収入の60パーセントを下回る家庭にあてはまる。2011年、イギリス人の手取り収入は約1万4000ポンド(約250万円)だという。
この平均より60パーセント以下という基準に疑問の声があがっている。なぜなら、この数字はその時の英国の経済を反映したものであり。不況の場合、当然平均所得は下がる、その平均所得からさらに60パーセント以下でないと貧困層には入らない。つまり、それまで貧困層に入っていた人も、平均所得が下がることで、所得は変わらないのにもう貧困とは数えられない可能性があるからだ。
40年前
1970年代、当時の社会保障相は、貧困線として、単純に生活補助金委員会が支払う基本的な額と賃貸料を基準とした。(貧困線とは、最低限の生活を可能とする収入を表す統計上の指標) 収入が一定の水準(貧困線)を満たさないものは貧困であるとみなされた。
一世帯あたりの所得平均は1961年には960ポンド(約17万7千円)だったが、1971年になると、2000ポンド(約37万円)まであがった。1970年代中頃には所得額は年々上昇し1979年には5000ポンド(925万円)となった。
1965年、貧困についての研究が始まった。社会学者のピーター・タウンゼンド教授とブライアン・アベル-スミス教授は、政府が定めた生活補助金レベルを下回る生活をしている人たちを貧困と定義した。
この貧困線を使い、ピーター・タウンゼンド教授とブライアン・アベル-スミス教授はイギリス国民の14パーセントにあたる750万人が貧困状態で暮らしていると計測した。
1960年代、各家庭で一人頭につき自由に使える可処分所得(手取り額)は4754ポンド(約88万3千円)。1970年代では、5752ポンド(約106万8千円)だった。
先ほどの60パーセント規則に基づくと、1970年半ばの不景気時には相対的貧困数が減ったことになる。なぜなら、社会における平均所得が下がったからだ。しかし、実際は貧困家庭における平均収入も下がっており、貧困問題が改善されたわけではなかった。
via:dailymail/原文翻訳:melondeau
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コメント
1. 匿名処理班
貧乏なうちは結婚するな
自分の事でもどうなるかわからんのに子供育てる余裕無い
子供生まなきゃやっていける
無駄に格好つけなくていいし
教育費も食費もかからん
メリットだらけ
加えて
そうすることで支配者層涙目になるから復讐にもなってお得
2. 匿名処理班
日本の大学生でも、親の年収が200万円台とかザラだね
3. 匿名処理班
make life worth living という壁書きがなんともかなしいな
4. 匿名処理班
イギリスは階級が残っていると聞くけど、
早く赤裸にすれば少しでも多くの人が救われたと思う。
5. 匿名処理班
最後から二番目の画像の後ろの壁に「何故投票する?無政府だ」って書かれてるな。ホントに貧困状態ならもはや国なんてクソくらえなんだろうな。
マスコミの言うがまま身勝手に投票できる日本はまだマシ
6. 匿名処理班
近い将来、日本がこうなりそう
7. 匿名処理班
※1
金持ちになるまで待ってたら、婚期を逃してしまうよ。
そして少子化へ。
8. 匿名処理班
60年代あたりは写真でみると
フランスもイタリアも日本も貧しいイメージだが
9. 匿名処理班
ヨーロッパは人権や文化的生活が行き渡った先進地域であり、日本は遅れた人権後進国だと叫んでいた日本の「文化人」たちは、こういう現実を全く知らなかったのだろう。
10. 匿名処理班
こういった貧困層がセックスピストルズを作った。
もう1つ上の層がビートルズで敷いた道を通って。
11. 匿名処理班
モンティ・パイソンの人生狂想曲を思い出すな。
12. 匿名処理班
スラム・ダーンクッ!
13. 匿名処理班
コッパードも田舎町の貧しい生活を書いてたが、70年代でもそうだったのか
いやむしろ70年代だからこそか
14. 匿名処理班
マジで日本もろくな政党がないと言うならアナーキー(無政府)でいいじゃんとなる。
ヒツジの群れでしか生きられない日本人にそれが出来るのか?
もっと政治に参加して社会を維持するためにも選考には行こうね。
15. 匿名処理班
※1
日本にはデメリットだらけ
16.
17. 匿名処理班
俺は日本のスラムに住む年収300万台で子供二人。家の壁紙は湿気でカビだらけ・・・もちろん公営。台風の度に上階の雨漏りが壁を伝ってこっちの壁紙を濡らす。
引っ越したいけど金がない・・・貧乏は罪だ・・・。
もう日本でも始まってるぜ。
18. 匿名処理班
※14
選考? なにそれ? 美味いの??
19. 匿名処理班
※11
やっぱり思い出すよね。まんまだもんなぁ。
20. 匿名処理班888
イギリスやアイルランドは大昔から,(アイルランド)国民の80%が
飢餓に喘ぐなど。環境的にも極端な事になりやすい。
とくに、格差をつくる,ユダヤ登場で。キリストの名の下に
多くの没収が,広がった。ケルト民族性の濃いヨーロッパの人たちは
今何を思っているんだろう。
日本は,江戸時代以前にも飢餓などはあるが,局地的であるし
国家政策での貧困は第二次大戦からだと思う。
21. 匿名処理班
※1
上の奴が誰に変わろうと君の性根は変わらないだろうけどね
22. 匿名処理班
※20 日本を崇めたいのはわかるがそりゃ無理がある。日本はかつてがっちり身分制度があった。搾取する側とされる側は明確で、農民はがっつり年貢を納めなきゃならなかった。切り捨て御免だってあった。
23. 匿名処理班
写真と文の説明が微妙にかみ合っていない
この写真の人たちがどの程度の稼ぎだったのかを書いてほしい
>収入が一定の水準(貧困線)を満たさないものは貧困であるとみなされた。
だから写真の人たちがどの程度の稼ぎだったのかを書いてってば
無職とかだったの?
24. 匿名処理班
パンクロック発祥の地か?
25. 匿名処理班
※14
無政府を甘く見すぎではないのか?
イプエルの教訓を読めばどのような状態になるのか
わかるはずなのだが、こうなったら日本ところか
世界まで影響受け全人類は消滅するぜ
26.
27. 匿名処理班
ちょうどこの時代頃に英国人と結婚して渡英した女性のエッセイを読んだことある
結婚相手はここまでじゃないけど労働者階級出身者で裕福ではなかったそうだが
戦後随分経つのに敗戦国並に寂れてまともに復興してなかったそうだ
28. 匿名処理班
※14
なるほど、外人に任せろってことだね!
29. 空缶
シド・ヴィシャスとリンゴ・スターの伝記を探して読んでみる事をお奨めする。
世代も住んでた場所も違う二人だがあっちの底辺の様子がよく分かる。
あと、ヴィクトリア朝時代のロンドン底辺層を観察し尽した
「ロンドン路地裏の生活誌」という本も。
ちょっとクラクラする異世界ぶりだよ。
30. 匿名処理班
そしてイスラム街へってか
31. 匿名処理班
これ日本の将来の姿だよな、このままの状態が継続するならこうなる
32. 匿名処理班
第二次世界大戦は世界のすべてが疲弊したな
敗戦国も勝戦国もどん底まで貧乏だった
ただイギリスは自業自得と言わざるをえない
高慢ちきの絵に描いたような差別主義的白人種よ
33. 匿名処理班
イギリスの貧困家庭はカトリックが多いんだよな。あの国はプロテスタントの力がすごく強いから。
34. 匿名処理班
でもこんなに貧しくても結婚して子供作れるんだよなあ
子供は労働力だから生むのかな
35. 匿名処理班
※22
切り捨て御免っていってもリスクがでかすぎて実際に切る奴なんて滅多にいなかったけどな
36. 匿名処理班
うわ、、おれ貧困だわ
37. 匿名処理班
40年前なら、被写体の子どもたちは生きているかもしれないのか。
貧困は不幸の要因になり得るけど、不幸と全くのイコールではないと思う。
その後、どんな40年間だったんだろうな。
38. 匿名処理班
日本もいずれこうなるな
どんどん差が激しくなるだろう