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オバマ大統領は、強制退去者の数を低減させる目的で大統領権限を発動したが、国境の町に住む多くの帰国者にとって、その決定は遅すぎるものだった。
ティファナは、アメリカとの国境に面したメキシコの町である。アメリカ側で出入国警備官が鉄製扉の南京錠を外すと、メキシコ側でも警備官が南京錠を外す。いささか時代遅れとも言えるやり方だが、ともかくこうして鉄の扉は開かれ、アントニオ・ゴメス(Antonio Gomez)氏は子どもの頃に祖国を逃げ出して以来、実に34年ぶりにメキシコへ足を踏み入れた。
「頭がくらくらするような気分だ」。後にゴメス氏は、山がちなティファナの丘の頂上に建つカトリック教会系のホームレスシェルター「カサ・デル・ミグランテ」でそう語った。「まさか、自分にこんなことが起こるなんて」・・・
ティファナは、アメリカとの国境に面したメキシコの町である。アメリカ側で出入国警備官が鉄製扉の南京錠を外すと、メキシコ側でも警備官が南京錠を外す。いささか時代遅れとも言えるやり方だが、ともかくこうして鉄の扉は開かれ、アントニオ・ゴメス(Antonio Gomez)氏は子どもの頃に祖国を逃げ出して以来、実に34年ぶりにメキシコへ足を踏み入れた。
「頭がくらくらするような気分だ」。後にゴメス氏は、山がちなティファナの丘の頂上に建つカトリック教会系のホームレスシェルター「カサ・デル・ミグランテ」でそう語った。「まさか、自分にこんなことが起こるなんて」。
ゴメス氏がたった1人で国境を違法に越えたのは1980年、9歳の時だった。12歳の時には、高架下で寝泊りもした。その後数十年の間苦労を重ねてきたが、43歳になった頃には夫となり父親となり、小さな建設会社の共同経営者となっていた。
昨年のある土曜日、カリフォルニア州オンタリオにあるアパートで家族と一緒にテレビを見ていると、アメリカ移民関税執行局(ICE)の職員がやってきた。職員は別の男性を探していたのだが、かわりにゴメス氏が連行されてしまった。
いくつかの法廷審問を重ねた結果、1年後に移民局職員はゴメス氏と他の20人の不法滞在者をフォードの白いバンに詰め込み、国境まで連れて行ったという。
過去5年間で、アメリカは記録的な数の不法滞在者を国外へ強制退去させている。そのうち、メキシコへ送還された数は年間およそ25万~30万人に上る。メキシコには15カ所の国境検問所があるが、強制退去者のうち3分の1がバハカリフォルニアへ送られ、その半分ほどの1日100~300人がティファナへやってくるという。
11月20日にバラク・オバマ大統領は、400万人以上の不法滞在者へ救済措置を与える計画を発表した。その主な対象者は、アメリカ市民または合法滞在者の親たちである。大統領は、議会が移民改革法案を通過させることができなかったとして、大統領権限においてこれを執行する。その結果、メキシコへの強制退去者は減少することが予想される。しかし、ゴメス氏やそのほか既にティファナへ追放されてしまった多くの移民にとって、その決定は遅すぎるものだった。
これまで、より良い生活を手に入れようと夢見るメキシコの貧困層の多くが、ここティファナを通過してアメリカへと渡っていった。長年の間ティファナの町は、彼らのもたらす希望とエネルギーによって栄えてきた。カサ・デル・ミグランテの代表ジルベルト・マルティネス(Gilberto Martinez)氏は、「人々はアメリカンドリームを胸に抱き、希望と働く意欲に満ち溢れていた。枯葉のように道に落ちている金をかき集めに行くつもりだった」と語る。
しかし最近では、ゴメス氏をはじめ多くの人々が、「落胆し、疲れ果て、傷心を抱え、まるで葬式帰りかと思わせるような顔をして送り返されてくる」という。
メキシコ政府の職員たちは、ここで彼らに健康診断を行い、食事、健康保険、電話代を支給し、携帯電話を充電させるが、その後帰国者たちは自力で生きていかなければならない。
政府から支給される無料の飛行機やバスの切符を使って故郷の町へ戻っていく人々もいるが、およそ3分の1はここにとどまるという。特にティファナは、国境沿いの町の中でも最も多く強制退去者が集まる地域となっている。
◆ほとんど見知らぬ国への帰還
強制退去者の90%は男性である。そのほとんどが、宙に浮いた状態で生活している。アメリカに長年住んでいたため、メキシコとのつながりがなくなっている場合が多い。彼らはアメリカに残した家族に少しでも近い場所にいて、いつか再びアメリカへ戻れることを期待し、ティファナにとどまっている。あるいは、故郷に戻っても誰も知り合いがいないからここにいるという者もいる。その多くが、メキシコ人であることを証明する書類もなく、仕事を見つけるのはほぼ不可能に近い。
彼らのアメリカの家族は、初めのうちは生活費を送ってくれるが、それもいつしか途絶え、否が応でも自立を迫られる時がやって来る。
ティファナの下町にあるカトリック教会系列の炊き出し所「パドレ・チャヴァ・ブレックファスト・ホール」の前には、毎朝数百人の男性があたかも大恐慌時代のパン配給時のように列をなしている。建物の中に入ると、手を洗ってスタッフの渡す紙タオルで手を拭く。テーブルの前に立って祝福の祈りを受け、素早く食事をかき込む。そのすぐ後ろでは、ボランティアたちが次の6人を入れるためにテーブルが空くのを待ち構えている。
ここではおよそ1200人の帰国者ホームレスに毎朝食事を出しているというが、その数は町全体のホームレスのほんの一部でしかない。
「彼らの多くは、またアメリカへ戻れる可能性が高まったと信じてここにとどまっている」と、炊き出し所の共同創立者であるマルガリータ・アンドナーギ(Margarita Andonaegui)氏は言う。
◆アメリカの取り締まりによる影響
彼らがそう期待してしまうのには、ここ30年の間にコロコロ態度を変えてきたアメリカの不法移民対策に原因がある。
1986年、議会は不法移民の雇用を犯罪とする移民改革管理法案を可決したが、雇う側であるアメリカの企業や個人の家庭はほぼ見て見ぬふりをされてきた。メキシコでは、国境さえうまく越えることができれば、アメリカで仕事を見つけ、生活を立ち上げることができると広く信じられていた。
それから20年が経過し、アメリカ国内の不法滞在者の数は推定で1200万人近くまで膨れ上がっていた。その半数以上がメキシコからの移民である。彼らはアメリカで働き、結婚し、子どもをもうけた。家を購入したり、ゴメス氏のように起業する者もいた。合法的な滞在証明書なしに、比較的安定した生活を手に入れていたのである。
しかし、その後状況は大きく変化した。
移民法改革を誓っていたジョージ・W・ブッシュ大統領は、自らの党である共和党に妨害され、厳しい姿勢をアピールするために取り締まりを強化させた。オバマ大統領就任後、強制退去の数はさらに増加した。
オバマ政権は、強制退去となった者のほとんどに犯罪歴があったと主張しているが、ニューヨークタイムズ紙が今年入手したICEの統計によると、その3分の2は軽い違反歴しかなく、ゴメス氏のように不法で滞在していたということ以外何の犯罪歴も持たない人も多かった。
この影響をまともに受けてしまったのが、ティファナの町である。他の多くのメキシコの自治体同様、公共の予算は少なく、にわかに押し寄せた帰国ホームレスの受け入れに大わらわの状態となっている。
地元の商店経営者たちは、窃盗事件や路上生活者の増加に何の対応も取られていないことに不満を感じ、困窮する帰国者たちが町を徘徊する姿を不安を抱えて見守っている。
また、カリフォルニア南部でギャングに属していた若者も、数多く送還されてティファナに集まってきている。その腕には、ギャングメンバーであることを示す不穏な入れ墨が彫られている。警察では、その一部が麻薬カルテルの手先として活動していると見ている。ゴメス氏と一緒に強制送還された中の、少なくとも3人がロサンゼルスで有名なギャングの入れ墨をしていたという。
◆裸同然で戻ってくる人々
恐らく、ティファナに最も重くのしかかっている問題は、夢破れて戻ってきた数千もの帰国者が、生まれ故郷で身分を証明する手段を持たないため、合法に働くことができないことだろう。
そこで自治体は、メキシコで仕事を見つけるためにまず必要な出生証明書を各出生地から取り寄せるための窓口を開設する予定だ。また選挙管理局では、帰国者が有権者登録証の交付を受けられるよう支援サービスを拡大する。メキシコでは、有権者登録証が身分証明書として一般に用いられている。
ティファナに流されてきた人の多くは、アメリカで仕事のスキルを磨こうとしてこなかった。アメリカなら工事現場の作業員でも十分に食べて行けたので、職業訓練校へ通う必要性を感じなかったのだ。英語は少し話せるものの、長年アメリカに住んでいたわりにはそれほど流暢でもない。しかしメキシコに戻ってみたら、工事現場の作業員は最も競争率の高い仕事の一つで、給料は少ないという現実を突きつけられる。
Photograph by Eros Hoagland / National Geographic