京都の起伏に潜む物語発掘 高低差崖会(がっかい)発足
- 新京極通三条下ルの通称「たらたら坂」(京都市中京区)も豊臣秀吉の京都改造に起源がある。当時は低地(鴨川の河原)で、ここに三条通を延長した際、路面が周囲よりも高く造られ、後世に整備された新京極通との高低差が生まれたという
京都の地形の起伏から街の歴史や物語を読み解く「京都高低差崖会(がっかい)」が結成された。街歩きツアー「まいまい京都」の市民ガイドが中心となり、なぜあちこちに起伏が生じているのかをブログで解説し、現地で高低差を体感するツアーも行っている。かすかな地形の変化に潜む京都の奥深さを発信している。
NPO職員の梅林秀行さん(40)=京都市北区=が、代表に当たる「崖長(がけちょう)」となり、今春発足した。街を歩いて気付いた高低差について古地図や文献を調べ、現地写真とともにブログで分かりやすく紹介している。
例えば、豊臣秀吉が都を囲む城壁として築いた「御土居」。今も市内に遺構が点在するが、梅林さんは北区大宮に残る御土居の一部がラクダのこぶのように波打つ形になっていることに疑問を抱いた。調べると、その凹凸の部分に重なるように西賀茂断層が走っていることが分かった。「地表のたわみが土塁に変化を与えた」とみる。
秀吉が築いた「大仏殿」の基壇跡が、今も広大な台地として豊国神社(東山区)の裏に残ることも紹介。江戸期の絵図などを引用して当時の土木工事の大きさを解説した。
また、上御霊前通と小川通の交差点(上京区)に残る緩やかな傾斜といったマニアックな事例も。昭和初期から戦後にかけての町並みを記録した「京都市明細図」で、小川通が暗きょになる前には橋があったことを確認し、現在の起伏はその名残だと説明する。道路端には一対のコンクリートの物体があり、橋脚の遺構ではないかとつづる。
梅林さんはこれまでに宇治市の太閤堤跡を巡るなどのツアーを行っている。「京都の高低差の背景には、自然と人間の営みの強烈なぶつかり合いがある。その劇的な出合いを多くの人に伝えたい」。フィールドワークと称するツアーは月1回実施しており、フェイスブックを通じて予約を受け付けている。
【 2014年11月27日 17時19分 】