関門海峡:海中に眠る負の遺産 米軍機雷なお1700発
毎日新聞 2014年11月27日 15時46分(最終更新 11月27日 18時08分)
海上交通の要衝、関門海峡周辺には太平洋戦争中、米軍が日本の海上交通を封鎖するため機雷約5000発を投下した。戦後、処理が進められたが、海上自衛隊によると、関門海峡周辺には今も未処理の機雷約1700発があると推定され、爆発の危険性も残る。戦後69年を過ぎても戦争の「負の遺産」が海中に眠ったままとなっている。
関門海峡で機雷や爆弾の処理にあたる海上自衛隊下関基地隊(山口県下関市)によると、米軍が日本近海に投下した機雷は全部で約1万1000発と推定されている。半数近くが関門海峡周辺に集中的に投下されたことになる。関門海峡が朝鮮半島や中国大陸へ向かう重要な海上交通路だったことに加え、終戦前の1945年春、瀬戸内海にいた戦艦大和が関門海峡を経て戦闘行動するのを封じ込める狙いもあり大量に投下されたとみられる。
下関基地隊は、これまでに機雷や爆弾など計約28万発を処理してきた。京直樹総務科長は「近年も、年に1〜2発のペースで未処理の機雷が見つかっている」と話す。
機雷は、船舶の音などを感知して爆発するタイプが多いが、すでに内蔵電池の寿命が過ぎており作動する危険は少ない。ただ、強い衝撃を与えると、爆発する可能性もあるという。
見つかった機雷はかつては深海に投棄していた。しかし、海洋汚染防止を目指す国際的な動きを受け、現在は爆破処理している。
機雷の多くは、海底のしゅんせつ工事や海底ケーブル敷設前の調査で発見されるが、思わぬところで見つかるケースもある。今年3月末には山口県山陽小野田市の埴生(はぶ)漁港沖の砂地で見つかった。重さ約490キロ、全長1・7メートルの円筒形の金属で、底引き網漁船の網にかかり、ごみと勘違いされ、放棄されたらしい。91年には、北九州市若松区沖で機雷に触れたとみられる砂利運搬船が爆発する事故も起きている。
第7管区海上保安本部(北九州市)によると、深海への投棄ができなくなった2007年以降の関門海峡や周辺での機雷や爆弾などの爆破処理件数は12件あり、うち7件は一般の船舶が航行する可能性があるエリアで見つかり、航行制限が実施された。同本部は「漁協や工事業者には不審物を見つけたら触らずに118番通報するようにお願いしている。もし海岸などで機雷のようなものを見つけたら同様に通報を」と呼びかけている。【曽田拓、浅野翔太郎】