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長崎県対馬市 Tsushima island
韓国と国境を共有して・・・ボーダーエリアからの発振〜!

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2013年05月24日

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朝8:00に、奥方は塩づくりの仕事に出発〜!
ミッキーは9:30、厳原港に向けて出発〜!
 
今日は韓国からお客さんが来島しますのでお迎えです
お客さんは、リーダーの光州女子大の鄭成一(チョンソンイル)教授、
嘉泉大学校の張舜順(チャンスンスン)教授、江原大学校の金剛一(キムカンイル)先生の3人
 
“コビー号” 厳原港に着岸したは定刻の9:55
鄭先生と張先生はC.I.Q検査所から早めに上陸してきたのですが、キム先生が来ません
そのうち、釜山大の学生たち93名が次々と〜 
出迎えていた市役所の職員の話では上対馬町に漂着しているゴミ清掃に来島したとのこと
 仏像盗難事件はそれとして、こうして様々な交流は続いています
 
さて、遅れていたキム先生、一時間後にようやく出所〜 ?
北朝鮮から来たのではないかと嫌疑をかけられ、立ち往生していたとのこと〜
今日最初のサプライズです〜 爆笑になりました!!
盗難仏像を見逃したC.I.Qは特別検査を実施していたようです
 
ともあれ、3名の先生と合流、たくさんのお土産をいただきました
今日は来れなかったユ・チヨン先生からもお土産を預かってきてもらっていました ・・・ びっくり!
待たされた一時間も楽しい笑いのひとときに〜
 
 
皆さんは日本の江戸時代と近世史が専門です
最初に行ったのは修善寺・・・ここは日帝時代の反日運動のリーダー崔益鉉の記念碑
多くの韓国人観光客が訪れていました
 
イメージ 7
 
先生方はそこには行かず、その先の松水軒へ〜
ここは、長崎の出島に行こうとしていたオランダ人7名が朝鮮半島に難破し
対馬を介して長崎に〜 その宿泊所となったのが松水寺でした
 
宗家の毎日記に記録があるのですが、知っている対馬人はほんのわずかでしょう
3〜4年前、、『タムナ』 という韓ドラがあっていたのですが、このことをテーマにしていました
“タムナ” は “済州島” の古い時代の名称です
 
それから、日本最初の 『小学校』 跡、『藩校日新館』 、次いで、『宗家桟原館』・・・
明日はみなさん、対馬歴史民俗資料館での資料調査の予定
今日は時間があったので、それから、浅茅湾にご案内しました〜!
 
 
今日はね〜 いろいろなトラブルがおこりました〜!
 
キム先生の入国検査場での話・・・
 
松水軒に行く道路では狭くて、対向車のバックにずいぶん待たされました〜
 
昼食は簡単にラーメンということになったのですが・・・
さっそく、 “はるちゃんラーメン” へ
待っているうちに、先生方の座っていた後ろ壁が、「ドーン〜!」 と、衝撃音〜!
なんと、駐車場にいた車がバックで壁に衝突〜! びっくりしました〜!
 
おいしくラーメンをいただいてから、愛艇で浅茅湾に出かけることになりました
先生方は何度も対馬調査に来島していらっしゃるのですが、行く場所は資料館の資料室ばかり
現場調査はあまりしていませんでした
 
樽ケ浜を出発、竹敷沖に一旦停船して、
「竹敷港は海路の要所、遣唐使船が停泊し防人が万葉集に歌った入り江。
1905年の日本海海戦ではここに水雷艇が集結し、バルチック艦隊撃滅の要因になりました・・・」
と、解説していたのはいいのですが、
自分のバックがないことに気づきました〜!
 
今日は大潮、最干潮時のボートに岸壁からようやく乗り込んだとき、バッグを岸壁に置き去りにしていました
急きょ、バッグ探しに、バック(?)
 
帰ってみると、陸に上がってくれたキム先生が、両手を横に振って、 “ない” とのサイン
財布とカメラと、ケイタイが入っているバックですから、ミッキー蒼白〜
鄭先生の携帯で呼び出しながら上陸してみると、
電信柱の影で呼び出し音の“ジュピター”がなっていました〜!
 
というわけで、一件落着〜!
 
 
ロシア艦ポサドニック号が強制停泊し、対馬の吉野数之助と松村安五郎を殺害した大船越の記念碑へ
ポサドニック号排除のために、勝海舟、小栗上野介が乗船した咸臨丸が江戸から回航してきた事件でした
 
イメージ 6
 
碑には、 “省軒亀谷行撰”
ブログを毎日読んでくれている“年金少年K”さんのご先祖です〜!
この時、無法に測量を始めたロシア艦を排除していなかったら、
あるいは国境線に異変が起こっていたかも・・・
 
小船越にある日本最古の寺、梅林寺へも行きました
この寺は南北朝時代、日朝貿易の際に“文引”を発行していた事務所でもありました
留守番をしていた住職の奥さんがずいぶん親切に宝物庫を見せてくださいました
 
イメージ 4  イメージ 5
 
大般若経、釈迦誕生仏など、簡単にはお目にかかれない文化財・・・
先生がたは突然の調査チャンスに大喜び〜!
 
仏像盗難事件もまだ未解決の中でしたが・・・あまりに親切な対応です
奥さんと話をすると、ミッキー夫婦の劇団の活動をよく知るかたでした〜!
 
遣唐使が通過したという “西の漕ぎ出” を見てから、いよいよ浅茅湾周遊へ
 
いちばんの目的は、芋崎の写真撮影
ここが、ロシア艦ポサドニック号が投錨し、半年もの間居座った場所です
「なぜ、“芋” と〜?」 の質問がありました ・・・ 
百聞は一見にしかず
島の形がサツマイモに似ているからです
これが、 “デスク・ワーク”と “現場調査” の相違です
 
イメージ 2
(1861年にロシア艦ポサドニック号が強制停泊した芋崎)
 
イメージ 3
(海から見る和多都美神社)
 
芋崎、城山、黒線、糠、和多都美神社、仁位、を回って万関橋
それぞれのポイントで停船し、浅茅湾の歴史を解説しながら舵を切りました
 
“対馬はもともと朝鮮国の領土” ・・・このワードはどこから・・・
 
世宗大王の元年、倭寇の暴虐に業を煮やした国王はイ・ジョンモ将軍に“対馬征伐”の命を下しました
 応永26年(1419)の事件で、
日本史では 『応永の外寇』、韓国では『己亥東征』、また対馬では『糠岳の合戦』 と呼ばれています
 
『対馬はもともと朝鮮領土であったが、土地貧しく採るに足りない島なので、倭人に任せてきたが、
昨今の暴虐ぶりは許せない。 よって、征伐に向かう 』 という檄を飛ばして軍を鼓舞したのです
 
しかし、実際浅茅湾に入り、上陸を試みると予想外に対馬の抵抗は激しく、
尾崎、水崎などを攻めるに留まり、10日間だけの攻防で巨済島に引き返さざるを得ませんでした
このことは、『朝鮮王朝実録』 に明白なのですが、“檄” の言葉だけが独り歩きしているのです
これは、韓国の教育者の責任だと提言しておきました〜! (^o^)
 
 
万関瀬戸では大型船が対向、急いでバックして旋回する場面もありました〜!
 
事なきを得、5:30に無事帰岸〜!
 
食事処 “けい” に予約〜!
自宅で風呂に入り、出かけようとすると今度は鄭先生から電話です
「 私のバックが車のトランクに乗っていませんか〜? 」
「ありますよ〜!」 と大笑いしながら、
招待された奥方も久しぶりにいっしょに出かけました
 
鄭成一先生とは30年来の家族付き合いです・・・
昨年はご夫婦で来島、全島をご案内しました
『ミュージカル対馬物語』の釜山市公演のときには、
ソウルの娘さん2人も応援に駆け付けてくれました〜!
逆に、済州島に夫婦で出かけてお世話になったこともあります
 
 “けい” はミッキーの中学生時代のバレー部の先輩が経営するお店
 
盗難仏像の話、漢字を共通語とする日韓中の関係、慶応義塾大の田代和生先生の話
キム先生が対馬歴史民俗資料館の山口学芸員と汝矣島でダンスした話
まー、話題は尽きません
そこへ、突然現れたのは、同級生の長君と宮子ちゃん
今まで弘子ちゃんともいっしょだったこけど分かれたばかりだとのこと、合流しました〜!
図らずも、フランクな “民際交流”〜 小一時間、話が弾みました〜!
 
のどの渇きをがまんしていたので、生ビールのうまかったこと〜!
 
今日一日のたくさんのトラブルを振り返りながら、大笑いの食事会でした〜!
 
イメージ 1
 
いろんなトラブルもありましたが・・・和気藹々、爆笑〜 結果オーライの一日でした〜!
 
 
先生方の談・・・
 
浅茅湾がこんなに広い湾だとは知りませんでした
それに、美しい自然と豊かな歴史・・・
古文書の研究だけでは理解しにくことも現場の模様がよくわかりました
文書の解釈にも深みが出てきます〜!
 
よいサポートができました〜!
 
 

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