ジュリアナのVIPの食事、今見るとショボイなwwwwwwシダックスのほうが豪華wwwwww pic.twitter.com/kVVlFP336G
— あり〜な@11/29AZ歌謡大全 (@ari_namama) 2014, 7月 21
1980年代後半から90年代前半にかけてのバブル期は、日本が最も豊かな時代だったとされる。景気の上ではそうだ。しかし実質的な文化の質はどうだったのだろうか。
バブルの象徴的なディスコ「ジュリアナ東京」の当時のVIPルームの食事の画像を見るとなんとなくわかる。今のシダックスのほうがゴージャスだ。では「今のシダックス」のクオリティができあがったのはいつのことか。まさに1990年代後半である。
ちなみに東京ディズニーランドも、オープンから日の浅い1980年代は、高速道路のパーキングエリアの隅っこにあるアメリカンドックやクレープを売る屋台レベルの食事だったらしい。これも今のクオリティにあがったのは10年後のことだ。
①ファミレス
1990年代であれば、外資系の上質なファミレスが首都圏の各地に存在していた。それらは昭和の時代のうちに日本の進出していたが、バブル全盛期はまだまだ発展途上だった。シズラー、IHOP、レッドロブスターあたりはそれだろう。本来はデニーズもその路線だったし、ロイヤルホストは国内資本ながら健闘していた。
バブル全盛時期は豊かさに乗じて、世界各国のグルメを「知った」時代である。とくにイタリア料理(イタ飯)はブームにもなった。しかし当時を知る人の話を複合すると、「今のサイゼリアの方がクオリティが高い」という。日本人がイタリア料理をそもそも知らなかったからこそ、東京の一等地でボッタクリビジネスができたわけである。そして、「今のサイゼリアの水準」が定まり全国展開をしていた時期が、まさに1990年代後半ごろなのだ。
2000年代半ばあたりから、不景気を理由に各地の街から姿を消す外食チェーンが一斉にでてきた。だいたいが「中の上」あたりの選択肢である。
カーサ、サンデーサン、すかいらーくは全面消滅。IHOP日本版も撤退。残る資本も、「中の上」の店ほど店舗数は激減し、そのかわりにガストやサイゼリアばかりが伸びた。回転寿司も「いけすの魚を職人がさばいて握る、皿ごとに値段の違う本格回転寿司」は2000年あたりまでは全盛だったが、その後は閉店ばかりで今や百円均一でロボットの握るかっぱ寿司系列が主流だ。
②大型レジャースポット
バブル絶頂期というと昭和60年代だと思いがちだ。実際そうだ。
だが、「ジュリアナ東京」は実は1991年オープンである。年号が平成に代わり1990年代になってからオープンしているのである。テレビや映像で振り返るときに「絵的に」それっぽいからやたらと引き合いに出されるだけなのだ。
ジュリアナ東京が閉鎖したのは1994年である。まさに不景気によって潰れたわけだが、実はこれがディスコの終焉ではない。その数か月後には、ジュリアナを手掛けた折口雅博氏がアジア最大のディスコ「ヴェルファーレ」を六本木に立ち上げている。として、なんと2007年まで営業していたのだから驚きである。ジュリアナ以上に息が長く不景気を生き抜いたのだ。Wikipediaによるとこのヴェルファーレの「成功」によってジュリアナの失敗で抱えた借金を返済したというのだから驚きだ。
日本人の多くの共通認識として「ディスコ文化は1970年代後半に華やぎ、バブルピークに全盛を迎え昭和の終わりとともに廃れた」という思い込みがあるが、実際には平成に元号が変わってからが繁栄の始まりだったのだ。
船橋に大型屋内スキー場「ザウス」ができたのも実は1993年である。東関東自動車道から見えるド派手な建造物には度肝を抜かされたものだ。都心の近場で夏場でもスキーができることから多くの若者が全盛期ここに押し寄せた。ディズニーランドやららぽーとが近いことからデートスポットとしても重宝されたようだ。
バブルと言えばスキーブームだ。ホイチョイプロダクションズの「私をスキーに連れてって」が公開されたのは1987年のこと。その時点でバブルピーク感丸出しだが、ザウスができた1993年はまさにバブル崩壊直後である。
昭和末期に映画やメディアで初めてスキー文化の面白さに気づいた日本人が、あとになってそれをもっと突き詰めるようになった結果ザウスは賑わったのだ。これも「イタ飯ブーム理論」の1つだ。統計を見ても日本のスキー人口のピークも1993年で、1990年代は今に比べるとはるかに多くのスキーヤーが存在していたことがわかる。不景気でゲレンデが潰れるようになったのは2000年代になってからのことだ。
一方、横浜には巨大屋内ビーチ「ワイルドブルーヨコハマ」があった。本物のビーチのような波の出るプールが再現され、雨でも冬でもサーフィンやボディーボードができることが話題となった。
バブルと言えば海岸文化である。湘南あたりにサーファーや陸サーファーが押し寄せ、ナンパされにギャルがたむろしたりしたわけだが、このワイルドブルーヨコハマができたのもやはり1992年。10年後の2002年に閉鎖している点も、ザウスと被ってしまう。
湘南海岸育ちだからわかる話だが「ケバイギャル」が増えたのも1990年代以降だ。平成生まれなので80年代は知らないのだが、日に日に近所の浜辺の夏野客層がヤバくなったのだった。茶髪や金髪、しまいには歩く現代アートのような「コギャル」が闊歩するようになり、幼い少年にはとてもエキサイティングで面白かった。派手な人ほど絡むとゲラゲラ笑いながら構ってくれるので、当時の湘南のガキは友だちと一緒によく暇そうなコギャルをナンパしていた。
古い雑誌などを見ると、バブル絶頂期の女性は金髪・茶髪がむしろ一切いないように見える。「イケイケのチャンネー」の全盛期も10年遅れだったのではないだろうか。
③テーマパーク
新宿駅前にある高島屋タイムズスクエアがオープンしたのは1996年のこと。その目玉施設の1つとして建物の10~11階フロアにオープンしたのがセガのてがけた「新宿ジョイポリス」だ。しかしこれが業績不振で閉鎖になったのは2000年のこと。わずか4年の寿命である。もともとジョイポリスの1号店は「横浜ジョイポリス」だった。こちらは1994年開業で2001年の閉鎖。いずれにせよ不景気の真っただ中にオープンし、不景気を抜け出せない中に潰れた不運の屋内テーマパークだ。
今首都圏に生き延びているジョイポリスはお台場にある「東京ジョイポリス」だけであるが、お台場にはかつて競合するテーマパークがあった。格闘ゲームメーカーSNKの手がける「ネオジオワールド」だ。東京ジョイポリスの3年後の1999年に同じように屋内型施設としてオープン。先端技術による大がかりなアトラクションが当初の見どころだったが、格ゲーブームの終わりと共にSNK本体が潰れてしまい、現存していない。
一方、ナムコ(現在のバンダイナムコ)が二子玉川で運営していたテーマパークが「ナムコ・ワンダーエッグ」だ。こちらは屋外型のテーマパークで、第二エリアを拡張したり、映画やドラマのロケ地にもなったが、2000年に再開発によって閉鎖されている。
テーマパークはおカネのかかる娯楽だ。莫大な資本がないとそもそも建設ができず、維持をすることも大変だ。だが、バブル全盛時代よりもその10年後の方が明らかに東京首都圏のテーマパーク事情は満たされていた。なんせ80年代はディズニーランドしかなかったのだ。
バブルの究極はコギャルだったのではないか?
渋谷にコギャルが集まるようになったのは1990年代のこと。バブル崩壊後の混迷化、オウム事件や山一証券事件と並ぶ「社会的事件」として話題となった。もしかしたら彼女たちはバブルの都市文化の恩恵の最大の享受者だったのではないだろうか。
バブル時代の女子高校生はむしろ清楚だった。お嬢様風の風貌をしていて、ルーズソックス(画像)を履くどころか、通常の女子高校生の紺色ソックス以上に清楚な「三つ折りソックス」を履いたりしていた。髪の毛は染めないし、濃い化粧もしなかった。
ルーズソックスは文字通りだらしない見た目をしていて、世間の人は敬遠し、校則で禁じる学校も多かった。しかし、彼女らはそのスタイルを押し通せたのは、バブル期に深夜のディスコで踊り狂ったワンレンボディコンたちが「大和撫子は奥ゆかしくつつましやかにあるべき」を打ち砕く先駆者として都市文化を華やがせたお蔭だったのではないか。バブルの女子が草原を踏み倒して作った「わだち」にアスファルトを流し込んだのがコギャルであり、「本来の自然景観が乱れる」ことに強く反発したのが当時の世間の大人たちだった。
だから「やってTRY」とか、「学校へ行こう!」のファッションチェックのようなコギャルを正しい道に糺そうとする企画がテレビで流行ったりもした。やってTRYは「女は料理を作る人」というミソジニー意識に基づいていたし、「学校へ行こう!」のファッションチェックはV6のメンバーにルーズソックスの匂いを嗅がせて感想を言わせるという、足フェチや匂いフェチの変態AVと同じ目的が暗にひめられていた単なるセクハラコーナーだった。
そもそもコギャルが集まった渋谷と言う街自体が、1980年代にセゾンと東急が競い合って発展し、東京の、日本の、バブル文化の繁栄が凝縮された場所だった。彼女らが路上で食べたクレープは1980年代に原宿で流行ったものだし、ハーゲンダッツ路面店のアイスクリームは1990年初頭に六本木で流行ったものだった。コギャルがギャルサーで踊った「パラパラ」は、ディスコの延命に貢献しただろう。
食べ物、雑貨、化粧品、服装、娯楽施設、メディア・・・あげればきりがないが、コギャルが消費する文化の大半は、バブル期にワンレンボディコンやその財布のアッシーメッシー君から搾取してガッポリ儲けていた業者がそのまんま提供していて、売り物を平成式にアレンジしたものばかりだった。バブル期に存在しなかったものといえば携帯電話とルーズソックスくらいではないか。もちろん彼女らは卒業すると、制服を脱ぎ、晴れて「子ギャル」から大人の若い女性としての「ギャル」に進化し、今まで以上に、大学のサークルなどでバブル時代から引き継がれている青春を謳歌したのである。
さとり世代の女子高校生はバブルの終焉
現在の女子高校生にはコギャルは存在しない。
厚化粧はしなくなったし、ルーズソックスは誰も履いていない。埼玉に行けばまだいるかもしれないが、じきに消滅すると思われる。これは完全なるバブル文化の衰退だと思わないか。
たとえば今、女子高校生がどこにもっとも屯しているかご存知だろうか。「スシロー」である。安く食事ができてデザートも手に入れられる。椅子はふかふかで心地よくて、お茶はタダで飲み放題、2人~6人まで同じテーブルをともにできるので、都合がいいのだ。コギャル以前の清楚だった頃の女子高校生が、少女漫画に影響されてデニーズでパフェをつついていたことを考えるとずいぶんと娯楽のクオリティが下がっている。
タイツを履いた女子高校生がやたら多いのはかわいいからではなく単純に保温性が高いから履いているにすぎない。通学用の革靴を卒業後もファッションアイテムにするのも、靴を買う無駄遣いに興味を示さないからだ。量産型女子大生はかくして生まれるわけである。それじゃああまりにも華が無いからと髪の毛くらいは染めるが、それ以上のことは何もしない。
バブルの文化は極端に言えば「成上った日本人のカネの無駄遣い」である。真夏に莫大な冷房代を浪費してゲレンデを再現するザウスなんてまさに資源と資金をすさまじく浪費していたわけで、無駄遣いしたところで対して面白くないと気付いたからあらゆる文化が廃れたにすぎない。
それに比べれば、体験するまでもなくその文化の程度について悟ってしまい、徹底的に合理的に生きる今の女子高校生の方がよっぽど彼らの親世代よりも賢者なのだ。