複雑な物体の、ダイナミックな印象

複雑な物体があるとしましょう。とても、複雑な物体です。

どのくらい複雑かというと、見る角度が1度違うだけで、まったく違った形に見えてしまうぐらいの複雑さです。

あなたは不思議な体験をするかもしれません。

角度を変えてその物体を見れば見るほど__言い換えればその物体についての知識が増えれば増えるほど__その物体に対する印象は鮮明さを失っていきます。全体像がぼやけてくるのです。

一つの角度からしか見ていなければ、「この物体はAだ」ときっぱり断言できます。そのイメージはあまりにも鮮明なので疑う余地はありません。しかし、Bが増え、Cが増え、Dが増え……、となっていくと、徐々に短い言葉で言い切ることが難しくなってきます。

おそらく、ピントを変える必要があるのでしょう。

では、ズームアウトして、A〜Zをすべてフレームに収めれば事足りるでしょうか。

いささか不安は残ります。

なにせその物体は複雑です。あなたは観察を通して、その複雑さを体験しています。自分が想像もしなかったことが、そこにはあったことを知る体験をしています。

であれば、もしかしたらA〜Z以外の印象もあるかもしれません。A〜Zというフレーミングが本当に正しいものなのか、断言しづらいものがあります。

できれば、そこにあるもので、そこにないものを伝えたいところです。

もう一つ、やっかいな点は、「この物体はA〜Zだ」という言葉で表現してしまうと、損なわれてしまうものがあるということです。もちろん、その表現はある事象においては正しいものです。つまり、静的な見方をすれば正しい、ということです。

しかしその物体は、「Aだ。あれっ、Bもある。あれっ、Cもあるのか」という印象を与えるものでした。つまり、動的な変化を伴うものです。「この物体はA〜Zだ」という短いフレーズは、受容しやすい反面、動的な変化はまるっきり切り落とされています。

動画、連続写真、物語、といったものが必要なのでしょう。

さいごに

ピントの話と、メディアの話をしました。

残念ながら、複雑な物体は、その取り扱いも複雑にならざるをえないようです。

このエントリーだって、単純化しすぎているかもしれません。

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