大阪府茨木市の東奈良遺跡で出土した古代のれんが「塼(せん)」は、藤原鎌足の墓とされる阿武山古墳(大阪府高槻市)のものと酷似していることが分かり、茨木市教育委員会が10日発表した。遺跡周辺は、大化の改新のきっかけとなった乙巳(いっし)の変(645年)前に、鎌足が隠居した別邸「三島別業」があったとされ、隠居地説を補強する遺物となりそうだ。
遺跡で出土した塼の破片は横13センチ、縦18センチ、厚さ4センチ。遺跡の約7キロ北にある阿武山古墳で見つかった塼と比較したところ、厚さや、表面にある同心円文様の大きさ、へり部分にある文様を消す特徴などが共通しており、同じ工房で作られた可能性があるという。
日本書紀によると、鎌足が乙巳の変前、皇極天皇に新たに役職に就くよう求められたが断り、三島別業にこもった。目立つことなく作戦を練るためだったと考えられている。
大阪府北部の三島地域は古代から藤原氏ゆかりの地とされるが、三島別業の場所はよく分かっていなかった。藤原氏の氏寺である奈良市の興福寺に残された文献から、遺跡近くの茨木市沢良宜だったとの説がある。
京都府立大の菱田哲郎教授(考古学)は「遺跡から鎌足に関係するものが見つかった。三島別業が沢良宜にあったとの見方を後押しする」としている。〔共同〕
藤原鎌足、菱田哲郎