「金色の猫と紅い犬、そしてその愛する弟」 その1

12月の午前中、柊家。
 柊家の三女・柊瀬芦里は、暇をもてあましていた。
 ここで今の状況を整理しておく。

 まず一家の大黒柱たるべき人物、柊翔は当然のように仕事でいない。まあ彼の場合、1年のうち家にいる日は数えるほどしかないので、改めてここで大きく扱うこともないが。
 まず長女の雛乃は巫女のアルバイトで家にいない。これから年明けにかけて、彼女のような職業の人々にとっては最も忙しい季節なのである。当然ペットのマルも同行している。
 そして次女・要芽はここのところ、弁護の案件が立て込んでおり事務所に泊り込みの日々が続いていた。彼女の事務所は家からそう遠くないし、帰ろうと思えば帰ることができる(実際、彼女のボディーガード兼部下である摩周慶一郎はきちんと定時に帰っている)はずなのだが、彼女はなぜか家に帰ろうとはしなかった。そして同じ部下である秋山衣瑠香にも強制的に「居残り」を命じていた。残業時間に一体2人で何をしているのかは定かではないが、偶然掃除のため事務所の廊下を通っていた用務員の話に寄れば、衣瑠香のただ事ではない悲鳴とも嬌声とも取れる叫び声を聞いたらしい。・・・まあ多分ただの空耳だろうが。
 そして四女・巴から六女・海までの3人はそれぞれ学校に通っており、したがって今の時間この家にいるのは瀬芦里と、一番末っ子でありただ一人の弟、空也のみである。

「ああ、暇だにゃあ・・・。」
 瀬芦里は、ちゃぶ台の上で彼女の髪止めよろしくたれていた。
「何とかしてクーヤと遊びたいけど、そろそろネタも尽きてきたし。なんか面白い話でもないもんかねえ。」
 そういうと瀬芦里は、朝他の家族が読んだまま放ってあった新聞をパラパラっとめくってみた。当然のように世界情勢だとか、政治経済の動向とかにはほとんど関心のない瀬芦里ではあったが、それでも案外それつながりでおいしい話は何かないものかという好奇心のみで、普段子供のように紙飛行機用として使っている新聞をあえて読むという本来の用途で使ってみようとした。しかし5分後やっぱり飽きて、いつものように紙飛行機を作ろうとした矢先、ちゃぶ台からするりと抜けた広告のある一文に瀬芦里の目は釘付けとなった。
「これだ!」
 瀬芦里はそう言うが早く電話をつなぎとある場所へ電話をかけた。

 同時刻、こちらは柊家のお隣さん、犬神家。
 ここには柊家と縁浅からぬ関係を持つ2人の女性が暮らしている。
 その一人、新進小説家の犬神歩笑はこの日、新作の打ち合わせのため東京に行っており、今の時間家にいるのは、出演していたドラマの撮影が終わり久々のOFFをもらった歩笑の姉、女優の帆波だけだった。
「あーあ、暇だなあ。」
 くしくも、瀬芦里と同じせりふを吐く帆波。
「せっかくのOFFだし、空也ちゃんと遊びたいけど・・・。どうしよっかなあ。」
 やりたいことまで同じだ。
「あっ、歩笑ちゃんが昨日ケーキを作ってくれたんだっけ。夜食べたけど昨日の今日だし余ってるはずだからそれ食べてから隣に行こうっと。」
 さすがにここは瀬芦里とは違う。
 帆波は意気揚々と階段を下り、冷蔵庫を開ける。
 が、
「あれーっ、歩笑ちゃん。一人で食べちゃったのーっ?」
 あるはずのケーキは、跡形もなく消えていた。机には置手紙で「昨日のケーキは編集長に差し入れするので、姉さんは冷蔵庫から適当にあるものを食べてください。クー君に迷惑かけちゃダメだよ。」という歩笑からの書置きがあったのだが、当然ケーキの存在を信じて疑わなかった帆波の目には届いていない。
「歩笑ちゃん・・・。相変わらずチャレンジャーのようね。後でどんなお仕置きをしてあげようかしら。」
と怒りに震える帆波。すると、床に1枚の広告が。その広告に帆波の目が留まる。
「ふーん・・・面白そうね。よーし、空也ちゃんを誘ってこの憂さを晴らそうっと。」

 また同時刻、柊家・空也の部屋。
 奇しくも瀬芦里と帆波という2人のお姉ちゃんのターゲットにされてしまった弟・空也は、そんなことを知る由もなく、自分の部屋で珍しく悩んでいた。きっかけは、夏に父・柊翔からいわれた「そろそろ自分の後を継ぐ準備をしろ」という、ある意味自分の一生を左右する一言からだった。あの後、要芽・高嶺という2人のお姉ちゃんからそれぞれ別の励ましを受けたのだが、その日は確実に迫っており、一頃には消えたはずの彼の不安も日増しに再び増えていくばかりだった。
「やっぱり、いつまでもお姉ちゃんに頼ってばっかじゃダメなのかなあ。」
末っ子とはいえ、彼も男。いくら姉とはいえ、女の子にいつまでも甘えていては男としてダメなのではないかと思ってしまう。
「・・・やっべえ、また知恵熱だ。」
 しかし彼の悩みはいつも出てくる知恵熱でストップする。これが悲しいかな、人生であまり頭を使ったことのない弟の贖うことのできない性であった。

 空也は再び横になってウトウトし、頭を冷やそうとしたその瞬間、今まで守られてきた静寂が「バタン」というふすまの音で遮られた。
「クーヤ、遊びに行くよーっ。」
 ふすまの音と同時に瀬芦里の弾んだ声がしたかと思うと、あっという間に空也は瀬芦里の脇に抱えられて部屋を出されてしまった。
「んぐ・・・。ねぇねぇ、遊びに行くってどこに行くのさあ。」
 瀬芦里の豊満な胸に抱えられながら、空也は声を絞り出すように問いかける。
「ふふふ。ここここ。ここに行くのだーっ!」
 そういうと瀬芦里は空也の眼前に先ほど見つけた広告を見せ付ける。そこには「今ならおトク!○○温泉年末大サービスプン!あの有名な名湯においしい食事がついてお一人様1泊2日1万円ポッキリ!」というありがちな謳い文句とともに温泉やらカニ鍋やら、おなじみの写真が並んでいた。
「こないだはモエといい思いしたんでしょ?今度はあたしと2人きりで温泉楽しもうね。」
 瀬芦里がヘッドロックし続けながら空也に優しく話しかける。
「モエ」とは彼女の妹で空也の姉の1人である四女・巴のこと。空也はこの日をさかのぼること1週間前、巴が商店街の福引で当てた温泉宿泊券を使って2人きり姉弟水入らずで(しかしいろいろあって結局他のお姉さんたちも最終的に来てしまったのだが)楽しんできたばかりだった。
「あのさ、温泉楽しむのはいいとしてさ、これ1泊だよね?他のお姉ちゃんに黙って行っちゃっていいの?」
「ん?じょぶじょぶ。(大丈夫のことらしい。筆者註)1日くらいいなくなってもバレないって。」
 そう思ってるのはねぇねぇだけだよ・・・。柊家の終身家事担当である空也にとっては一夜家事をしないだけでも死活問題でありそのことが気が気でならなかった。
「心配しなくても大丈夫。弟はだまって姉を信じてついてくる!分かったかー!」
 確かその言葉、一年前こんな風に無理やり連れてこられたラスベガスのカジノでも聞いた気が・・・。空也は更に不安になった。結局あの時は帰国資金まで手をつけた挙句全財産をスッてしまい、しばらく置きざりにされひどいめにあったという忌まわしい記憶が空也の頭に映像としてよみがえっていた。
(余談だが、その後父翔とともに再度ベガスを訪ねた際もやはりスッた挙句置きざりにされている。)
 そんな空也の苦悩を完全無視し、瀬芦里はバイクを動かすためガレージを勢いよく開けた。

 すると、空也の鼻にあの独特のいい香りが匂ってきた。
 ヘッドロックされた顔を精一杯その匂いの方角へ向けると、あのさらさらした紅い髪と屈託のない笑顔が自分に向けられているのがかろうじて見えた。間違いない、帆波ねぇやだ。空也は直感した。
「空也ちゃん、それに瀬芦里ちゃんも。チャオ♪」
「ど、どうも・・・。」
 どうもこの状態で挨拶されるとバツが悪い。空也は挨拶を返すだけで精一杯だった。
「あれ?ほなみんじゃん。ヤッホー♪。」
 瀬芦里は空也の心配をよそに普段どおり帆波に接していた。
「あれ?どっかにお出かけかな?」
「まあ・・・ね。」
「これからねぇねぇと2人きりで温泉でバカンスを楽しむんだよねえ、クーヤ。」
 せっかく空也が気を利かせてはぐらかしたのに、瀬芦里は行先とその目的を堂々と暴露してしまった。
「あっ・・・それって、あの○○温泉?」
「ねぇや、どうして知ってるの?」
「どうしてって、ワタシもこれから空也ちゃんと2人でそこ行こうと思ってたのにい。」
「なっ・・・。」
 言葉を失う空也と瀬芦里。
「せっかく久しぶりに空也ちゃんと遊べると思ったのに、先客がいたのね。みーみー。」
 ある種独特の悲しみ方をする帆波。
「どうする、ねぇねぇ?」
 空也は瀬芦里に尋ねてみた。確かに2人きりでバカンスという雰囲気ではなくなってきたが、それでも瀬芦里はあくまで空也と2人で行くという希望を押し通すと空也は思っていた。
しかし・・・。
「ん、いーよ。せっかくだし、3人で行こうよ。」
 呆気にとられる空也。突然の方針転換だった。
「えっ、いいの?」
 逆にうれしそうな表情をする帆波。
「うん、バカンスはやっぱり大勢のほうがいいしさ。それに、一度ほなみんとゆっくり話してみたかったんだ。」
「嬉しい!、瀬芦里ちゃん、だーい好き♪」
 瀬芦里に抱きつく帆波。心底嬉しそうだ。
「でも、バイクで行くんだよね?大丈夫なの?」
 空也が心配するのももっともだ。瀬芦里の運転するバイクは巴の運転する大型バイク「ラスカル」よりも更に大きく排気量も半端じゃないのだが、それでも大の大人3人が乗るのははっきり言って無謀だった。しかも2人の姉はまさにダイナマイトな体の持ち主である。
「ん?じょぶじょぶ(註略)。昔ひなのん、アタシ、要芽姉の3人で乗ったことあるし。クーヤは華奢だから、あたしとほなみんが乗ってもまだスペースあると思うし。それに・・・。」
 急に小声になる瀬芦里。
「クーヤだってアタシとほなみんの間に挟まれたいってひそかに思ってるでしょ?夢がかなうかもしれないよ?」
 弟というより男を直に刺激するような言葉に空也は覚悟を決めた。交通違反がなんだ。このチャンス、逃してなるものか。

 こうして、弟が姉2人に挟まれる形での無謀ともいえるバイクのセッティングが完了した。
「さあ、風になるよー。温泉目指してしゅっぱーつ!」
 いつものように法定速度をはるかにオーバーするスピードを出し始めたバイクを操る瀬芦里。
「ひゃっほーっ!最高ね!」
 早くも興奮している帆波。そして・・・。
「むぐ・・・。」
 早くもグラマーな2人の肉圧に耐えられず、後悔の文字が浮かび始めた空也。
 こうして3人の秘密のバカンスが慌しく始まったのでありました。

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