ボンタイ

社会、文化、若者論といった論評のブログ

B層拡大装置としての読売グループ

 

「東京ドームの巨人戦」はつまらないぞhttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9d/Tokyo_Dome_and_peole.jpg/800px-Tokyo_Dome_and_peole.jpg(画像は例によってすべてコモンズからの引用です)

 たしか去年だったか。人生で初めて「東京ドームの巨人戦」に友人の誘いで行ったことがある。

 もともと野球に無関心だった自分だが、巨人というものには敬遠意識があった。悪人面のオーナーが好き勝手やっているイメージがひどいのと、見たいテレビ番組やアニメが巨人戦のナイトゲームでやたらと中断になることから悪印象があったのだ。

 それでも、何だかんだで国民的娯楽なわけで、1度くらいは観ようと思ったのだ。

 

 東京ドームは水道橋駅に直結している。ホテルや商業施設、遊園地、ボウリング場、日帰り入浴施設、ジャンプショップ、それなりにエンターテイメントの集結地だ。しかし駅舎はオンボロで、駅とドームを結ぶ橋も汚い。おまけにドームの入り口前には公営ギャンブル目当ての団塊オジサマがたむろしていて雰囲気が物凄く悪かった。当時はサウナもあった。

 男の自分でも雰囲気の悪さを感じたのだから、女性にはとても訪れずらい場所だろう。デニーズがあるのが唯一の救いだったが、なんだかB層の城を見ているような気分だった。

 

 ドームの中は、フェス飯みたいな特別なグルメがあるわけでもない。昭和の遊園地のようなボッタクリの食事を売りつけている古びたスタンドがいくつかあるだけだ。試合が始まるまでスクリーンでひたすらベッキーが動物を撫でてるような日テレの番組紹介をしていたのがさすが読売グループである。選手の紹介映像も凝ってないし、チアガールもそんなに可愛くなかったし、昭和の興業をそのままやっている。

 何より面白くなかったのが、ライブ会場とかWWEの試合みたいな観客の盛り上がりがないことだった。ラッパの演奏に合わせて決まりきった応援歌をひたすら歌う「様式美」の繰り返しはひどく退屈だった。観客の自由度がなさすぎるのだ。

 

 確かに昭和の時代は「巨人大鵬玉子焼き」と言う言葉があった。「巨人の星」と言う漫画もあった。日本人の娯楽が他になかったわけで、テレビゲームもなければみんな草野球をしたり野球中継を観るだろうし、後楽園球場で巨人戦を応援することが東京ディズニーランドの代わりだったんだろう。

 だが、そういう時代は昭和40年代までだろう。昭和50年からは「スペースインベーダー」や「ブロックくずし」が喫茶店に広まってそれがのちのゲーセン文化やテレビゲームになった。野球観戦以外の娯楽もたくさん増えたし、テレビ局もバブルの右肩上がりに乗じて番組の質を高めていき、野球観戦以上に面白いゲームショーをたくさん作っていた。

 スポーツ娯楽そのものにしてもモータースポーツなどの選択肢が増えた。平成になってからはスラムダンクやマイケルジョーダンが流行ってバスケブームになったり、Jリーグが開幕したり、石川遼選手がゴルフ人気を集めたり、羽生結弦選手や浅田真央選手らの活躍がフィギュアスケートブームを起こすなど、年々多様性を増していっている。

 

 かくして地上波テレビの野球中継は平成以降凋落を続け、ついには日本テレビすらほとんど放送しなくなっている。昭和の日本映画と同じように斜陽化しているのは、過去の栄光を引きずって保守化したことが原因で自業自得だ。今ではスポーツ中継はフィギュアスケートやサッカー日本代表やバレーボールの方が多いのではないか。

 

 だが、この期に及んで「プロ野球の巨人戦」をありがあたがっている人間が、高齢者ではなく、若者にすらいる。彼らは「昭和89年」に生きる生粋のB層だろう。

 

戦後日本の「B層の神様」としての正力松太郎

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 読売グループの発展を成し遂げた人物が正力松太郎だ。東京ドームには正力の肖像画が掲げてあったのだから神様のような存在なのだろう。

 正力は「野球の父」「テレビ放送の父」「原子力発電の父」と言われている。

 大正時代に警察官僚としてキャリアを重ね、1924年読売新聞社を買収し社長に就任し、その後巨人軍を立ち上げた。戦時中には政権がナチスのようにファシズム化した大政翼賛会に加担したため、A級戦犯として巣鴨プリズンに収容された。

 戦後釈放された正力は日本全国をカバーする巨大な民放テレビ局を作る「日本テレビ放送網構想」を立ち上げた。後の日本テレビである。1952年に会社を設立し、初代社長に就任。1953年に放送をスタートし、力道山のプロレス中継などが国民の人気を集めた。

 正力は新聞事業にも復帰し、1952年には関西に進出、1964年には九州にも展開し、単なる関東の地方新聞から朝日・毎日に並ぶ全国紙に発展をさせた。いまや読売新聞は朝日新聞を抜いて発行部数世界一である。日本一どころか世界一だ。

 

 この経歴を振り返ると極めて疑問符が浮かぶ。

 はたして「読売新聞」はジャーナリズム機関なのだろうか。

 新聞報道とは、不偏不党であるとともに、権力の監視役であってしかるべきだ。しかし、官僚や閣僚でもあった正力の経歴を振り返れば、戦前・戦後一貫して政権与党とズブズブであることは明白である。

 実際読売新聞は「御用」と指摘されている。たまに出かけ先とかで読売を読むと明らかに別の世界が広がっていることがわかる。自民党政権をめぐる報道姿勢は明らかに読売はヌルい。右翼とされる産経新聞の方が「権力としての自民党」の批判をしっかりとやっているようにすら思える。政権と官僚の広報機関と言った方がいいかもしれない。

 文化面も、朝日新聞が芸術などの硬派な話題が多いのに対し、読売新聞は大衆向けの芸能が割合多く見える。両新聞社とも銀座に大型屋内ホールを持っているが、朝日ホールが湾岸のオアシスである浜離宮庭園に隣接しているのに対し、読売ホールは有楽町駅隣接のビックカメラの屋上にあるのもなんとなく因果を感じてしまうものだ。

 

 朝日新聞大卒のホワイトカラー層が読者に多く、読売新聞は高卒以下の低所得者層に多い

 戦後読売新聞を契約した層はもしかすると、「それまで新聞を読んだことのなかった階層」ではないだろうか。朝日新聞は契約者に洗剤を配っているが、読売新聞は巨人戦のチケットを配っているという。高度成長期でテレビが普及し、巨人戦に夢中になった大衆がその流れで読売新聞を読んでいるような流れはあってもおかしくない。読売新聞のスポーツ欄は野球=巨人の話題がやたら多く、テレビ欄の写真付きの番組解説も日本テレビ系の番組を紹介している率がやたら高い。(朝日新聞はなぜかほとんどテレビ朝日を紹介していないように見える)

 

 日本テレビの「ニュースエブリー」や「ニュースゼロ」がニュース番組と称しながら報道人でも有識者でもない男性アイドルにアンカーマン兼コメンテイターをやらせているのも、「読売グループ的なおばさん層」に合わせているように思えるし、関西では中年ネット右翼層にやたら媚びた内容の報道バラエティ番組も流している

 

AKBは現代の力道山

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 2000年代後半以降、B層文化の象徴となった「AKB48」は、まさに現代の力道山だと私は思っている。

 

 AKBは2009年、東京ドームシティにあるシアターをサテライト劇場にしていた。この年にドームで開かれた巨人のファンフェスタにもAKBが招かれているほか、読売新聞社の創刊135年記念のテレビCMにもAKBが起用されている。

 2012年にはドームを舞台に姉妹グループを集めた大がかりなコンサートを開き、チームわけの組閣を発表している。東京ドームはAKBブームのピークを飾った象徴的な場なのだ。

 

 日本テレビとAKBのかかわりも歴史は古い。

 結成間もなくまだマイナーだった2007年の夏休みには日本テレビの汐留本社内のイベントでライブを行っている。2008年の正月からはAKBとしては初の地上波キー局レギュラー冠番組「AKB1じ59ふん!」を日本テレビが放送。番組はその後「AKB0じ59ふん!」にリニューアルされ、さらに「AKBINGO!」に引き継がれて現在に至っている。日本テレビの名物偽善特番である「24時間テレビ」でもAKBは常連出演者で、2010年度はメインパーソナリティだった。

 

 AKBの楽曲は古いアイドル歌謡を連想するものが多く、素人風の女の子を売り物にする下流マーケティングは秋元康氏が昭和時代に手がけた「おニャン娘」そのものである。

 結成当初は秋葉原のコアな地下アイドルオタクのためのコンテンツとしてネットを用いたバズで人気を広めていたものの、本格的に流行ってからは精神性が昭和B層な人間全般をターゲットにしているように見える。

 

 ちなみにAKBの総選挙の総合司会者の徳光和夫氏は、もともとは日本テレビ専属アナウンサーだ。今も日テレに番組を持っていて、芸能界きっての巨人ファンであることは周知の事実だ。

 

読売グループはクールジャパンに貢献してきたか

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2c/Yomiuriland-20100411.jpg/800px-Yomiuriland-20100411.jpg?uselang=ja

 神奈川県川崎市には読売グループの遊園地「よみうりランド」がある。

 小田急で都心に行くたびにこの駅を通過する私だが、県民なのに1度も行ったことが無い。ただの「昭和のぼったくり遊園地」だからだ。後楽園ゆうえんちに毛の生えた施設に電車ではるばる行くくらいなら、地元のショッピングモールで買い物をするか、いっそ東京ディズニーランドに行くわけである。ディズニーの場合、舞浜駅からしてワクワクするわけだが、読売ランド前駅はありふれた小田急駅の中でも一番つまらない雰囲気が漂っている。

 

 読売グループはクールジャパンに貢献してきたのか。

 私はこれには大いなる疑問を抱いている。

 今、日本テレビを付けると、民放キー局の中で最も下らない番組の率が多い。地方のディスカウント店のようなチンケなスタジオとVTRで芸能人がただ駄弁るだけの「ヒルナンデス」や「火曜サプライズ」やら、貧困層を面白おかしくネタにした「ボンビーガール」のような企画からして狂っているものもが多い。日本テレビが動物番組を作ると、なぜか動物そのものではなく「動物と戯れているタレント」がメインとなる。犬が歩けばピヨピヨと効果音が鳴り、ガヤがとてもうるさい。動物をテーマにしようが、世界をテーマにしようが、法律をテーマにしようが、結局はタレントの馴れ合いが最大の見どころであり、Youtubeの動画を引き合いに出した番組も多い。それこそ国道4号線バイパスのような平面的で一律的で現実離れした世界が作られている。ベッキーが出てくる番組はだいたいひどい。

 「アニマルプラネット」を見れば、犬が歩けばピヨピヨなる番組なんて一つもないし、無駄な効果音やBGMがないことがかえって動物のリアルな生態系に迫ることができ、視聴者側の思考のゆとりもあっていい。海外に比べるとあまりに劣る悲惨な日本の地上波キー局業界だが、その負の真骨頂は日本テレビにある。

 

 そういうわけで「読売臭」の息のかかったコンテンツはだいたいが酷い。

 レジャー施設だろうが、野球興業だろうが、新聞社だろうが、音楽だろうが、テレビだろうが、表現として下世話であり、ゴリ押しとボッタクリであり多様な自社媒体で自画自賛することでB層を一本釣りするような、日本におけるダメな娯楽文化の体たらく真骨頂を感じるところがある。夢のなさと陳腐さは韓流とドッコイドッコイである。ちょっとばかしはウォルト・ディズニー社を見習えといいたくなる。

 疑似的なメディアムラ社会を作り、日本版ホワイトトラッシュのB層をその手中で水耕栽培させるやり口は、多くの都市住民から敬遠意識を招くことだし、田舎住人であってもオタク系の若者は毛嫌いすることだろう。

 

 もしも日本政府がクールジャパンを本気で進めたいなら、正力松太郎と決別したメディア・コングロマリットを作る必要がある。間違っても、レガシーメディアとなったテレビ局・新聞社・その他関連する系列会社と政界が癒着し、体たらくをそのままにしたうえで海外に日本の恥部を売り込むようなことはあってはならないだろう。