俺は男だ。
ちんこも立つ。
不思議だ。
でもみんなそれを不思議に思わない。
はっきり言って人類は異常なんじゃないかと思えるほど不思議だ。
科学的に考えると綺麗な顔の人の綺麗な女体を見るとニューロンがわさわさーってなってそれでなんかドパーでドキューンって感じなんだろう。
でも抜いたあとのやるせない倦怠感の中でAV女優は単なる肉塊にしか見えてこない。俺には。
俺はそれが恐ろしく怖い。
だってそうだ。
肉塊になぜ俺は興奮しているんだって思うと信じられない。
なんで「あぁんっ!あぁんっ!」に興奮しているんだ。
これはやはりたいへん不思議なことだ。
俺はちんこが立っているときでもこれを不思議に思っていたんだがある日気付いた。
ちんこが立つのと女体で興奮するのは別のことなのだと。互いに独立した現象であると。
俺はまず後者の謎について実験してみた。興奮していない状態で適当にググるだけだ。
するとどうだろう女体を別に見ても興奮などしないのだ!
これは衝撃的なことだった。
俺は自分が興奮状態にないときに女体を見ても興奮が促進されることはないのだ。
それはたいへん化学式に似ていたので俺はセックスは化学の一つだと思うこともできた。
ではどちらが卵なのか。
俺はそれは興奮状態にあると思う。
平衡状態にある人体でいきなりちんこが立つというのはあり得ないからだ。
したがってちんこが立ってから興奮するのではないのだ。これは背理法でありセルオートマトンでもある。
そこで俺は外界から何らかの刺激を受けて興奮、ちんこたつ、という仮説をたてた。
しかしここで疑問が生じた。その刺激とはやはり女体ではないのかと。
否、そうではないのである!!
ちんこが立つに至らないような興奮もある。
思えらく俺は女体なんぞに興味は無くてかわいこちゃんといちゃいちゃしてぇという欲求が興奮剤になっていたのだった。
これは突き詰めれば保護欲・支配欲とかなんだろう。
けどそんなこたぁどうだっていい!
俺にとって不思議なのは別にちんこなんていらないだろうということだ。
少なくとも俺にこんなものはいらなかったという点でセネカもびっくりの悲劇だ。
ちんこが立っておなにーするっていうのは興奮を発散するという処理だと俺は思っている。
せっかく沸騰し始めてきた水を流しにジャーというのはあまりにももったいないというのが俺の持論だ。
ちんこは必ず立つ!
それはなぜなにに関係なく立ってしまうものだ。受け入れるしかない摂理だ。
ただしちんこは興奮したから立ったのだ。これはおそらく因果論ではなくて単に一様連続的なものだろう!
ちんこが立ったそのあとに自分がどうするか・どうしたいかということはきちんとちんこと向き合って考えるべきだ。
ちんこが立ったからオナるというのは自然な流れだがもったいない。
俺たちはもう一度ちんことの付き合い方・自分のあり方について考えてみるべきだ。
ちんこ一同