「どうして解散するんですか」に関して


どうして解散するんですか?」なるサイトを、ある慶応義塾大学生が、小学生を騙って作り上げた、として炎上中である。

批判されるべき点は幾多もあろうけれども、何よりも批判されるべきは、問題提起をするのならば、何故質問をするにとどまったのか、という点にあろうと思う。曲がりなりにも大学生であるのならば、自分が問題提起を行う事象について、それが何故問題なのかを説明し、かつ、それを解決するためのアクション・プランを提示するべきである。すなわち、この解散が問題的であると思うのならば、単純に「どうして解散するんですか」と問うにとどまり、答えを見つける責任を読者に押し付けるのではなく、自ら、「なぜこの解散が問題的であるのか」を論理的に説明し、それに対してどのようなアクションを取ることができるかを明示するべきである。それを行わないうちは、まさしく小学生同然であって、政治は小学生が行うものではない。

800億円という数字が紙面を踊っているけれども、選挙に伴って発生する様々なコスト─そこには単純に経済的なものだけではなく、選挙中の意思決定の遅れなども含まれる─は、そもそも代表制民主主義に不可避のものであって、単純に金額の大きさに触れるだけではこの選挙の問題性を指摘したことにはならない

仮に、この解散は不当である─すなわち、法的に適正なプロセスを経て成立したものではない─という議論を組み立てるのであれば、まず、「そもそも内閣に衆議院の解散権は存する(べき)か」、そして「もしそうだとすれば、どのような場合において内閣は衆議院を解散することができる(べき)か」を論じ、この解散がそれに当たらないことを示した上で、最終的に、「どうすればその不当性を糾弾することができるか」─たとえば、署名─をサイト閲覧者に示すべきだった。そこまでやらずに、「ねえ、どうして解散するの?」と聞くだけなら、まったく、小学生でもできる。

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