私事片々
2014/11/25〜
・いったい、いつからニッポンは「いまのように」なってしまったのですか?友人Hさんに訊かれた。「いまのように」というのは、憲法を無視し、9条をまったく歯牙にもかけず、歴史修正どころか、歴史の完全塗りかえ路線になったことを指すらしい。即答できなかった。喉もとには「ニッポンには歴史がないのだよ」という、捨てばちみたいなことばが浮かんだが、言わなかった。日本書紀伝承による神武天皇即位の日を「紀元のはじまり」とした「紀元節」(2月11日)が、天皇制維持のためのフィクションであること、1872 (明治 5)年にそれが国民の祝日とされ、その後、延々と「紀元節」が祝われ、とりわけ1940(昭和15)年には宮城前広場で内閣主催の「紀元二千六百年式典」が盛大に開催されたこと、ここに「神国ニッポン」の祝賀ムードが全国で最高潮にたっし、学校では「皇紀2600年奉祝曲」がうたわれたこと……は、ニッポン近現代史が、検証に検証をかさねられた客観的史実ではなく、「天皇制と戦争」によってゆがめられ、〈真実を無化された時間〉であることを証している。敗戦後の1948 年(昭和 23)に「紀元節」は廃止されたのだが、これとて、民衆の主体的意思と抵抗で廃止したのではない。GHQによってやめさせられたのだった。しかし、権力者だけでなく、かなり多数の民衆も、「紀元節」の情念にこだわり、「建国をしのび、国を愛する心をやしなう」とかいう趣旨で、1967 年(昭和 42)から旧「紀元節」を「建国記念日」として復活させてしまった。黒い魂の国家権力だけでなく、多数の人民も大メディアも、「神国ニッポン」のフィクショナルな心性にそまった「紀元節」からいまだにはなれることができないでいる。少なからぬ国会議員がげんざいでも西暦ではなく、「皇紀」(元年は西暦紀元前 660 年にあたるらしい!)で年をかぞえているのだ。「サムライジャパン」に「なでしこジャパン」。そんな国にそもそも歴史なんてしゃれたものがあるのかい?そうHさんに言いたかったけれど、若いひとたちの責任ではない。〈無歴史状態〉の責任は先達にある。堀田善衛「……満州事変なんていっても、いったい、いまの若い人たちが、それについてなにかを知りたいと思ってもちゃんとした歴史の本があるのかしら。きちんとした、日中戦争史さえないんじゃないでしょうか」。武田泰淳「あまりないですね」(『私はもう中国を語らない』73年、朝日新聞刊)。そのとおり。テクストはないのだ。じぶんでさがすしかない。戦後史ならいくつかある。そのひとつは、ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて――第二次世界大戦後の日本人』(Embracing Defeat:Japan in the Wake of World War II )。ピュリッツァー賞受賞のこの本を、首相Aは読んでいまい。「たしかに多くの日本人がほとんど一夜のうちに、あたふたとアメリカ人を礼賛するようになり、『平和』と『民主主義』の使徒となったかのような有様をみると、そこには笑うべきこと嘆くべきことが山のようにあった」。「平和」と「民主主義」は、似たようななにかがあるにせよ、戦ってかちえたものではない。じつはなにもかちえていないのだ。ふしぎな身ぶりとたちまわり(変わり身)の方法のほかは。だからこそ、ニッポンの「平和」と「民主主義」はいまだにインチキである。「たとえば原爆が投下された長崎においてさえ、住民は最初に到着したアメリカ人に贈り物を準備し……またすぐ後にも住民たちは、駐留するアメリカ占領軍軍人とともに『ミス原爆美人コンテスト』を開催したのである」。こうした歴史の大事な細部を、ロードアイランド州生まれの米国人の著書で知っておどろく、ということそのものが、わたしたちが〈自画像〉を欠く(あるいは鏡の奥をみたがらない)習性のもちぬしであることをしめしている。勉強家のHさんは、すでに目を皿のようにして読んだにちがいない。「終戦に至るまでに日本人は――日本の男たちのほとんどは、ほぼ確実に――帝国軍隊による破壊と残虐行為についてなんらかの知識を得ていた。何百万人もが海外に出ていたから、必ずしもみずから残虐行為に及ばなくても、そのような犯罪を目撃したり、噂に聞いたりはしていた」。こんなことを外国人の学者に言われるまで気づかないか気づかぬふりをするほど、ひとびととその政治的指導者は「集団的痴呆症」(ダワー)だったのか。いまもそうなのではないか。Hさんはこの本の「下」第16章の注(3)をお読みになっただろうか。それはこうです。「ドイツのユダヤ人とちがって、日本人が犠牲の対象にした人々――朝鮮人、中国人の労働者や「慰安婦」のような日本人が身近な関係をもった人々も含めて――は、日本社会の一員として受けいれられたことはなかった。『汎アジア』なるものは、ほんのわずかの例外を除いて、まったくの宣伝文句にすぎなかった」(436頁上段)。「日本人以外の死者には顔がないままだった」(289頁)のだ。首相Aのだいすきな「御英霊」とは、顔をはぎとったおびただしい他者の屍体の群れから、ゆらゆらとくゆりたつ戦中、戦前の幻である。ジョン・ダワーは東条英機を「巨大な愚者の船の船長」と形容した。おなじことばを安倍晋三氏に冠するのが妥当か妥当でないか。学生とかたりあうのも一興かもしれない。歴史をほんきで論じるとしたら、わたしたちがいまも血みどろの戦場にいるというイメージからはなれることはできない。教員だろうが記者だろうが学者だろうが、わたしのようなただのグウタラだろうが。雨。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/25)