白馬村被災状況レポート追加版
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- 2014.11.25 Tuesday
24日付のレポートは、白馬村から帰って深夜に及ぶ編集作業であったこと、紙幅が限られていたことから、紹介できていない写真・情報があります。そこで、以下、追加報告をします。
なお、この追加版はメール送信及びブログでの発信のみで、印刷版の村内配布はいたしません。
姫川第二ダム近くの道路の損壊
知人から「野平(のだいら)のあたりは隆起などが生じているそうです」と聞いたので、知人宅を離れた後、そこに向かおうとしました。
国道408号線が「岩岳入口」というところで通行止めになっています。
![](/contents/190/339/709.mime4)
そこで立ち番をされていた人に伺うと、「ここから白馬駅方向にむかって2つ目の信号(森上交差点)を左に入っていくのですが、行けるかどうか」とのこと。
説明された通りに進むと、進行方向右手にダムが見え、その横手の道路の路肩が崩れていました。その様子が以下の写真です。
![](http://megalodon.jp/get_contents/190339711)
写真の右に見える木々の下が姫川第二ダムです。道路の左側のJR大糸線ではJR線の保守作業を請け負っている第一建設工業の作業用列車が線路の保守点検を行っていました。
![](http://megalodon.jp/get_contents/190339713)
この道路は、帰宅後に地図で確認すると、野平に向かう道を越え、小谷方向に向かうものでした。その後、一度向かいかけた道が野平に通じるものだったようですが、まったく地理不案内であるため、無理をせずに408号線に戻り、つぎに大出というところに向かいました。
大出地区
大出(おおいで)地区も知人から教えられ、向かいました。JR大糸線の白馬駅の近く、白馬村役場交差点を役場と反対の方向に曲がって少し進むと、「大出」の看板がかかる信号があり、その先は通行止めになっています(下写真では写真左手が村役場方向、右手が大出地区)。
![](/contents/190/339/715.mime4)
私は当初、大出地区そのものよりも鬼無里に通じる国道406号線の状況が知りたかったので、大出地区の様子を車内から見ながら、山の方へ上がっていきました。
![](http://megalodon.jp/get_contents/190339716)
写真は「天神宮橋」という小さな橋のたもとから国道406がつながる山の方向を撮影したものです。ゆったりした雰囲気が漂う、いい山景色です。
ちなみに、ここから反対方向、白馬のスキー場が広がる八方尾根の方向を見た眺めは次のとおりです。いいところです。この大出地区にもかなりの数の宿があるようです。
![](/contents/190/339/717.mime4)
さて、大出地区の国道406号沿いでは道路の隆起・段差などが見られ、水道管の復旧工事が行われていました。道路に段差がある箇所では壊れたアスファルトを取り除き、バラスで埋めて通行しやすくする応急復旧が進んでいました。このあたりのことは栄村の時よりも対応が素早いなと思いました(後に堀之内でその種の作業の準備を行っている業者に確認したところ、「県の発注です」との答えでした)。
![](http://megalodon.jp/get_contents/190339718)
![](/contents/190/339/719.mime4)
この大出地区の水道復旧工事で驚いたのは施工者が「佐久水道企業団」というところだったことです。工事をしている人に確認すると、「はい、佐久から来ています」とのことでした。佐久水道企業団は佐久地方の広域水道事業団で代表は佐久市長。県が仲介しているのかもしれませんが、東信地方からの素早い応援、感心しました。
嶺方区
嶺方については第1報で紹介しましたが、紹介していない写真もあるので、もう少しレポートします。
「この先にも人が住むところがあるだろう」と考えて、山道を進み、嶺方区を知ったのですが、当初、嶺方をこえてさらに上りました。まもなく、二度目の通行止めの表示(下写真)。もう先には山しか見えず、さすがに引き返すことにしました。ただし、後で嶺方の人から聞いたところによると、この先に小さな集落が2つあるそうです。
![](/contents/190/339/720.mime4)
写真を何枚か紹介します。
![](/contents/190/339/721.mime4)
上は嶺方の公民館。建物に損傷はなく、「避難所とちがって畳があり、休まる」と言っておられました。下は公民館向かい側の空き地に設置されたテント。総代さんは「昨夜はここで石油ストーブを焚いて待機した」と言っておられました。
![](http://megalodon.jp/get_contents/190339722)
テントの後方にお宮があり、随分と歴史のあるもののようです。
総代さんが嶺方スキー場の閉鎖に関連して興味深いことを言っておられました。
「いまは西高東低。昔と逆だ」
「西高東低」の「西」とは現在の白馬村中心地及びその西方の大規模スキー場地域、「東」は嶺方のような国道408号よりも東側の山間地域。おそらく山の生業が廃れ、「西」のスキー場中心の白馬村に変わったのでしょう。国道406号線の使用状況についても、「最近はあまり上がらないな。下にくだる。まあ、鬼無里に行く時は通るけど」とのこと。
私が昨日のレポートで積雪前に嶺方あたりまで国道406を機械除雪可能なように緊急復旧する必要性を書いたのは、以上のような背景があってのことです。
国道406号線の状況をもう少し報告しておきます。
昨日のレポートで紹介した道路を横断する形でのクラック・段差は今日の信濃毎日新聞の関連記事から推測すると断層の動きによるもののように思われます。
嶺方から少し下ったところで片側通行になっていますが、次の写真はその片側通行区間の路肩の状況です。左手が沢です。
![](/contents/190/339/723.mime4)
本格的な復旧工事が必要なことがわかると思います。
当面、積雪期は片側通行で除雪をする以外ないと思いますが、雪消え後、すぐにでも工事が始まるように、本格的積雪期前に被害調査をして復旧工事を予算化してもらいたいものです。3桁番号の国道は県の地方建設事務所の所管で、国から予算が下りてくるのが遅くなる傾向が明瞭にありますので。
白馬村の歴史について若干
今回の追加レポートで紹介してきた野平、大出、嶺方はいずれも「北城」と呼ばれる地域です。白馬村は神城と北城の2つの地域から成ります。
1956(昭和31)年に神城村と北城村が合併して白馬村が誕生しました(白馬村役場HPより)。栄村誕生と同時期で、いわゆる「昭和の大合併」です。
堀之内は慶長19(1614)年の検知の時に石高が示された「本村」の1つ。今日紹介した野平、大出、嶺方はその後に新田開発されて生まれた村のようです。
ちなみに、神城は「かみしろ」と読むのに対して、北城は「ほくじょう」と読むようです。
三日市場
三日市場については第一報では少ししか触れられませんでしたが、堀之内とともに被害が激甚な集落(区)です。白馬村役場発表のデータでも、全壊家屋があるのは堀之内(住宅23棟、倉庫等41棟)、三日市場(住宅4棟、倉庫等8棟)の2集落(区)だけです。
しかし、メディアは少なくとも24日午後は堀之内に集中していて、私が目撃したのは歩きで取材している記者一人だけでした。
何枚か、写真を紹介します。車庫兼車庫が潰れ、中の車も潰れているのは衝撃的でした。しかし、ここでも片付け作業が急ピッチで進められていました。
![](/contents/190/339/724.mime4)
![](http://megalodon.jp/get_contents/190339725)
堀之内公民館
堀之内については第一報でかなり紹介しましたが、どうしても追加しておきたいことがあります。堀之内公民館です。
![](http://megalodon.jp/get_contents/190339726)
上が公民館の全景で、全壊です。第一報で紹介した写真の1枚目のペチャンコに潰れている家屋の左手に位置します。
内部の状況もひどいです。
![](/contents/190/339/727.mime4)
公民館は集落(区)の結束にとって不可欠のものです。
青倉公民館の再建に全国の方々からご支援いただいた当事者として、堀之内公民館の惨状は無関心でいられません。
堀之内関連で紹介しておいたほうがいいかと思われる写真をもう1枚だけ示しておきます。
![](/contents/190/339/729.mime4)
堀之内の集落内道路と畑の間に立つ電信柱の状況です。法面が崩れていますし、写真左手で道路にかなりの段差が生じているのが確認できます。
白馬村にとって生命線の観光、冬のスキー客確保をどうするか
昨日、白馬村を訪れて強く感じたのは、「ああ、ここは観光が基幹産業の村だなあ」ということでした。
そして、今日の新聞では「風評被害が心配だ」、「風評対策を万全に」ということがかなり大きく出ていましたし、ネット上でも同様の趣旨の記事が見られます。
私は激甚被災地の復旧と白馬村の冬の観光(スキー)の確保とが両輪でなければならないと思っています。
その両輪をうまくまわすのに必要なものは情報発信の量と工夫にかかっていると思います。
いまのところ、冬の観光客をひきつける新たな情報発信はあまり見られません。白馬村となんらかの関係がある諸個人が情報発信するとともに、やはり情報発信に全精力を注ぎこむような人が必要だと思います。白馬村には「白馬村観光局」の公式サイトがあり、「白馬村」で検索すると、役場公式サイトよりも上位で「白馬村観光局」のサイトが出てきます。この数日、繰り返し見ていますが、地震関連の情報は役場のサイトに跳ぶ形になっていて、率直に言って、充分な情報が出ているとはいえないように思います。また、英語バージョンもありますが、地震関連については役場の日本語情報しか出てきません。白馬のスキー客に占める外国人客の多さからすると、早急な改善が必要だろうと思いました。
私はスキーをしませんが、今冬はスキーをする知人・友人に白馬行きを積極的に薦めたいと思っています。そして、関係者のお許しがあれば、ペンションなどが受けた被害(建物内部の壁の亀裂など)をも逆に積極的な宣伝材料にして誘客を図るのも一つのやり方ではないかと思っています。
栄村は、現在はとても観光がうまくいっているとは言えない状況ですが、震災から3年間は見舞いを兼ねて来村する人など、泊り客がかなり増えた局面もありました。いろんな意味で村が注目を浴びることが大事だと思います。
私自身、ささやかながらお役に立てればと思い、今後も努力していきたいと思っています。
(了)
なお、この追加版はメール送信及びブログでの発信のみで、印刷版の村内配布はいたしません。
姫川第二ダム近くの道路の損壊
知人から「野平(のだいら)のあたりは隆起などが生じているそうです」と聞いたので、知人宅を離れた後、そこに向かおうとしました。
国道408号線が「岩岳入口」というところで通行止めになっています。
そこで立ち番をされていた人に伺うと、「ここから白馬駅方向にむかって2つ目の信号(森上交差点)を左に入っていくのですが、行けるかどうか」とのこと。
説明された通りに進むと、進行方向右手にダムが見え、その横手の道路の路肩が崩れていました。その様子が以下の写真です。
写真の右に見える木々の下が姫川第二ダムです。道路の左側のJR大糸線ではJR線の保守作業を請け負っている第一建設工業の作業用列車が線路の保守点検を行っていました。
この道路は、帰宅後に地図で確認すると、野平に向かう道を越え、小谷方向に向かうものでした。その後、一度向かいかけた道が野平に通じるものだったようですが、まったく地理不案内であるため、無理をせずに408号線に戻り、つぎに大出というところに向かいました。
大出地区
大出(おおいで)地区も知人から教えられ、向かいました。JR大糸線の白馬駅の近く、白馬村役場交差点を役場と反対の方向に曲がって少し進むと、「大出」の看板がかかる信号があり、その先は通行止めになっています(下写真では写真左手が村役場方向、右手が大出地区)。
私は当初、大出地区そのものよりも鬼無里に通じる国道406号線の状況が知りたかったので、大出地区の様子を車内から見ながら、山の方へ上がっていきました。
写真は「天神宮橋」という小さな橋のたもとから国道406がつながる山の方向を撮影したものです。ゆったりした雰囲気が漂う、いい山景色です。
ちなみに、ここから反対方向、白馬のスキー場が広がる八方尾根の方向を見た眺めは次のとおりです。いいところです。この大出地区にもかなりの数の宿があるようです。
さて、大出地区の国道406号沿いでは道路の隆起・段差などが見られ、水道管の復旧工事が行われていました。道路に段差がある箇所では壊れたアスファルトを取り除き、バラスで埋めて通行しやすくする応急復旧が進んでいました。このあたりのことは栄村の時よりも対応が素早いなと思いました(後に堀之内でその種の作業の準備を行っている業者に確認したところ、「県の発注です」との答えでした)。
この大出地区の水道復旧工事で驚いたのは施工者が「佐久水道企業団」というところだったことです。工事をしている人に確認すると、「はい、佐久から来ています」とのことでした。佐久水道企業団は佐久地方の広域水道事業団で代表は佐久市長。県が仲介しているのかもしれませんが、東信地方からの素早い応援、感心しました。
嶺方区
嶺方については第1報で紹介しましたが、紹介していない写真もあるので、もう少しレポートします。
「この先にも人が住むところがあるだろう」と考えて、山道を進み、嶺方区を知ったのですが、当初、嶺方をこえてさらに上りました。まもなく、二度目の通行止めの表示(下写真)。もう先には山しか見えず、さすがに引き返すことにしました。ただし、後で嶺方の人から聞いたところによると、この先に小さな集落が2つあるそうです。
写真を何枚か紹介します。
上は嶺方の公民館。建物に損傷はなく、「避難所とちがって畳があり、休まる」と言っておられました。下は公民館向かい側の空き地に設置されたテント。総代さんは「昨夜はここで石油ストーブを焚いて待機した」と言っておられました。
テントの後方にお宮があり、随分と歴史のあるもののようです。
総代さんが嶺方スキー場の閉鎖に関連して興味深いことを言っておられました。
「いまは西高東低。昔と逆だ」
「西高東低」の「西」とは現在の白馬村中心地及びその西方の大規模スキー場地域、「東」は嶺方のような国道408号よりも東側の山間地域。おそらく山の生業が廃れ、「西」のスキー場中心の白馬村に変わったのでしょう。国道406号線の使用状況についても、「最近はあまり上がらないな。下にくだる。まあ、鬼無里に行く時は通るけど」とのこと。
私が昨日のレポートで積雪前に嶺方あたりまで国道406を機械除雪可能なように緊急復旧する必要性を書いたのは、以上のような背景があってのことです。
国道406号線の状況をもう少し報告しておきます。
昨日のレポートで紹介した道路を横断する形でのクラック・段差は今日の信濃毎日新聞の関連記事から推測すると断層の動きによるもののように思われます。
嶺方から少し下ったところで片側通行になっていますが、次の写真はその片側通行区間の路肩の状況です。左手が沢です。
本格的な復旧工事が必要なことがわかると思います。
当面、積雪期は片側通行で除雪をする以外ないと思いますが、雪消え後、すぐにでも工事が始まるように、本格的積雪期前に被害調査をして復旧工事を予算化してもらいたいものです。3桁番号の国道は県の地方建設事務所の所管で、国から予算が下りてくるのが遅くなる傾向が明瞭にありますので。
白馬村の歴史について若干
今回の追加レポートで紹介してきた野平、大出、嶺方はいずれも「北城」と呼ばれる地域です。白馬村は神城と北城の2つの地域から成ります。
1956(昭和31)年に神城村と北城村が合併して白馬村が誕生しました(白馬村役場HPより)。栄村誕生と同時期で、いわゆる「昭和の大合併」です。
堀之内は慶長19(1614)年の検知の時に石高が示された「本村」の1つ。今日紹介した野平、大出、嶺方はその後に新田開発されて生まれた村のようです。
ちなみに、神城は「かみしろ」と読むのに対して、北城は「ほくじょう」と読むようです。
三日市場
三日市場については第一報では少ししか触れられませんでしたが、堀之内とともに被害が激甚な集落(区)です。白馬村役場発表のデータでも、全壊家屋があるのは堀之内(住宅23棟、倉庫等41棟)、三日市場(住宅4棟、倉庫等8棟)の2集落(区)だけです。
しかし、メディアは少なくとも24日午後は堀之内に集中していて、私が目撃したのは歩きで取材している記者一人だけでした。
何枚か、写真を紹介します。車庫兼車庫が潰れ、中の車も潰れているのは衝撃的でした。しかし、ここでも片付け作業が急ピッチで進められていました。
堀之内公民館
堀之内については第一報でかなり紹介しましたが、どうしても追加しておきたいことがあります。堀之内公民館です。
上が公民館の全景で、全壊です。第一報で紹介した写真の1枚目のペチャンコに潰れている家屋の左手に位置します。
内部の状況もひどいです。
公民館は集落(区)の結束にとって不可欠のものです。
青倉公民館の再建に全国の方々からご支援いただいた当事者として、堀之内公民館の惨状は無関心でいられません。
堀之内関連で紹介しておいたほうがいいかと思われる写真をもう1枚だけ示しておきます。
堀之内の集落内道路と畑の間に立つ電信柱の状況です。法面が崩れていますし、写真左手で道路にかなりの段差が生じているのが確認できます。
白馬村にとって生命線の観光、冬のスキー客確保をどうするか
昨日、白馬村を訪れて強く感じたのは、「ああ、ここは観光が基幹産業の村だなあ」ということでした。
そして、今日の新聞では「風評被害が心配だ」、「風評対策を万全に」ということがかなり大きく出ていましたし、ネット上でも同様の趣旨の記事が見られます。
私は激甚被災地の復旧と白馬村の冬の観光(スキー)の確保とが両輪でなければならないと思っています。
その両輪をうまくまわすのに必要なものは情報発信の量と工夫にかかっていると思います。
いまのところ、冬の観光客をひきつける新たな情報発信はあまり見られません。白馬村となんらかの関係がある諸個人が情報発信するとともに、やはり情報発信に全精力を注ぎこむような人が必要だと思います。白馬村には「白馬村観光局」の公式サイトがあり、「白馬村」で検索すると、役場公式サイトよりも上位で「白馬村観光局」のサイトが出てきます。この数日、繰り返し見ていますが、地震関連の情報は役場のサイトに跳ぶ形になっていて、率直に言って、充分な情報が出ているとはいえないように思います。また、英語バージョンもありますが、地震関連については役場の日本語情報しか出てきません。白馬のスキー客に占める外国人客の多さからすると、早急な改善が必要だろうと思いました。
私はスキーをしませんが、今冬はスキーをする知人・友人に白馬行きを積極的に薦めたいと思っています。そして、関係者のお許しがあれば、ペンションなどが受けた被害(建物内部の壁の亀裂など)をも逆に積極的な宣伝材料にして誘客を図るのも一つのやり方ではないかと思っています。
栄村は、現在はとても観光がうまくいっているとは言えない状況ですが、震災から3年間は見舞いを兼ねて来村する人など、泊り客がかなり増えた局面もありました。いろんな意味で村が注目を浴びることが大事だと思います。
私自身、ささやかながらお役に立てればと思い、今後も努力していきたいと思っています。
(了)