スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Tag:スポンサー広告 

広島市の平和教育の教材にはだしのゲンが採用されたそうだ。しかし、「なぜ原爆が投下されたのか?」を教えるにははだしのゲンは危険だ。

只今ランキングに参加しています。
よろしければ応援ぽちをお願いします。
↓↓

↓↓

人気ブログランキングへ

「ゲン」広島市の教材に初採用
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1957466&media_id=2

平和教育として、
原爆の「悲惨さ」を教えるにはいい。
しかし
平和教育として
「なぜ原爆が投下されたのか?」を教えるにははだしのゲンは危険だ。


現在、日本の小学校の図書館に並んでいる漫画 はだしのゲン

■はだしのゲン

中公文庫コミック版(5)

先生
「えー明日は天皇陛下さまがこの広島にきてくださることになり、広島県民にとってたいへんよろこばしい日だ。みんな日の丸の旗をふってご歓迎するため旗をつくってくることをわすれるな。わかったな」

児童たち
「はーい」

ゲン
「なにがよろこばしいのだ。わしらの先生はバカじゃのう。
天皇は戦争を起こし日本中の街やこの広島や長崎をピカで焼け野原にし、わしのとうちゃんや数えきれない人を殺し、いまも苦しめている戦争の責任者じゃないか。
なんでありがたがって歓迎しないといけんのじゃ。
おかしいわい。
日本人は戦争の反省がたりんのう。
わしぁ先生をみそこなったわい。あしたは学校をサボったるわい。
ばかばかしい。
だけど天皇はよくこの広島へのこのこやってこれるのう。
いまも多くの死体が埋まっているこの広島へ。
わしだったらはずかしくて苦しくてとても人前には出れんわい。あ〜腹がへったのう。なにか食うものはないかのう。天皇はおわびに米でもわしにもってきやがれバーカ」
(同五巻三十九〜四十頁)




中公文庫コミック版(7)

「それだけじゃないぞ。天皇陛下のためだと言う名目で日本軍は中国、朝鮮アジアの各国で約3千万人以上の人を残酷に殺してきとるんじゃ」
(同151ページ)

「あの貧相なつらをしたじいさんの天皇今上裕仁を神様としてありがたがりデタラメの皇国史観を信じきった女も大ばかなんよ」
(同305ページ)




7bc7d3c062dbc3906f242ce4374c3368aaa906a8_6_74730053_34_large.jpg





■はだしのゲン著者  中沢啓治氏

「天皇や軍部はポツダム宣言を無視し、その結果、広島・長崎で多くの人が亡くなった。なのに戦後、天皇が広島に来た時には日の丸を振るように学校で言われた。なぜ万歳なのか。今でも腹の中が煮えくり返る思いがある。日本人は甘いと思う。」

「天皇ヒロヒトと皇族を助けるために広島と長崎は犠牲にされたのだ。」

読者に「天皇は憎いですか?」と言う質問に対し、
天皇の名によってアジアで2000万人、日本では300万人も殺された、私は天皇が憎い」と返答

日朝関係に対しては、日本統治時代の植民地支配を批判し、朝鮮に対し贖罪意識を持っており、朝鮮語版『はだしのゲン』を北朝鮮に持ち込みたいと述べている

日中関係に対しては平和交流を期待しており、「日本人が被害者ぶるのではなく他の国で何をしたのかも知っておく必要がある。南京虐殺の資料が出てくると、なんと日本人が酷い事をしたのかというのが出てくる。申し訳ない気持ちでいっぱいになります。」と述べている



はだしのゲンは言う。

「日   本   は    悪い    国!!!!!! 」


「なぜ原爆が投下されたのか?」
誤った認識では、また、繰り返す。





平和教育として、
戦争の「悲惨さ」を教えるにはいい。

しかし
「なぜ戦争が起こったのか?」
そこで与えるものが
他国に都合がいい捏造の末の
「日   本   は    悪い    国!!!!!! 」では
また、繰り返す。



以下を与えず、
「日   本   は    悪い    国!!!!!! 」では
また、繰り返す。



~もう いらない~



132165130213413217352.jpg


「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。
もちろん、
日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。
それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。
ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、
その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。
落した者が責任の所在を明らかにして
《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。
この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、
これまた日本の責任ではない。

その戦争の種は
西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。
さらにアメリカは、
ABCD包囲陣をつくり、
日本を経済封鎖し、
石油禁輸まで行って挑発した上、
ハルノートを突きつけてきた。
アメリカこそ開戦の責任者である。」

ラダ・ピノード・パール


広島、長崎に投下された原爆の口実は何であったか。
日本は投下される何の理由があったか。
当時すでに日本はソ連を通じて降伏の意思表示していたではないか。
それにもかかわらず、
この残虐な爆弾を《実験》として広島に投下した。

同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである。
そこに人種的偏見はなかったか。
しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない。
彼らの手はまだ清められていない。
こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか

ラダ・ピノード・パール




かつての敵であるアメリカさえも
かつて原爆を落としたアメリカさえも
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
「They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.」

「(日本語訳)もしこれらの原料の供給を絶たれれば一千万人以上の失業者が発生するであろうことを日本は恐れた。したがって日本が戦争に飛び込んでいった動機は大部分が安全保障の必要に迫られたのことだった。」

「東京裁判は誤りであった」
「日本の戦争の動機は正当防衛であり、侵略戦争と呼ぶべきものではなかった」
〜連合国軍最高司令官 ダグラス・マッカーサー


「東京裁判は公正なものではなかった」
〜極東軍事法廷 キーナン主席検事(アメリカ合衆国)

「東京裁判には法的手続きの不備と南京大虐殺のような事実誤認があったが裁判中は箝口令がしかれていて言えなかった」
〜レーリング判事(オランダ)

「日本は原爆に対して報復する権利を持つ」
〜ブレークニー弁護士(アメリカ合衆国)


◆東京裁判について↓↓↓↓↓
ご存じない方はどうぞ知ってください。

http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\



議論はいたしません。
理由>>悪魔の証明 ↓↓↓↓
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-78.html


「無いものは無い」
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

南京陥落直後、南京近郊にて中国人の子供と手をつないで歩く赤星昂(あかぼしたかし)少尉(夫人提供)
37651279_1422876834_136large.jpg



日本兵から菓子をもらって喜ぶ南京の家族(1937.12.20撮影)
37651279_1422876837_189large.jpg




疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵
37651279_1422876828_20large.jpg




カメラマン佐藤振寿氏。南京占領の2日後 1937.12.15撮影
37651279_1422876843_200large.jpg




支那軍に町を焼かれ、逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士
『写真集支那事変』
37651279_1422876830_66large.jpg





■中国の近代化を夢見た国民党の孫文の像に中華民国の旗をかける日本
c0059946_21143793.jpg




■日本軍兵士と遊ぶ中国人児童
img03799577z0l2fk.jpg




■中国人の子供にキャラメルをあげる日本兵
img68b8db14z0kvps.jpg




■中国のお菓子売りの子供と日本兵
c0059946_21144095.jpg





■オルガンを弾く日本兵に集まる中国の子供たち
c0059946_21144297.jpg





■天津の日本軍部隊へ毎日きて遊ぶ中国の子供
c0059946_21153437.jpg





■「孟子廟に参拜する日本軍人の心得」

1>孟子は孔子と一緒に時中国人が一番崇拜する偉人だ.
 私たち,日本人にとっても精神的文化の恩人だ.
2>参拜する人は仏閣に参拜するのと同じ心で愼重に行動すること.
3>模範的行動が日本軍の名誉を証明する.
 それが民衆に日本軍が愛される力になることを肝に銘じなさい.

c0059946_21143510.jpg


\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\





それでも


日本は   


悪い国!!!!!!





\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
ご存知ですか?
世界で初めて人種差別撤廃を発議した国
それは日本なんです。

1919年2月13日、
牧野伸顕氏が、
新設される国際連盟規約委員会において、
連盟規約に人種的差別撤廃を入れるように提案。

これは
「人種あるいは国籍如何により法律上
あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す」というもので、
国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は、
日本が世界で初。
大多数の賛成を得るが
アメリカ合衆国や大英帝国などの反対で否決され、実現しませんでした。
http://ameblo.jp/create21/entry-10268467678.html より



1910年当時のアジア情勢。
欧米列強はアジアを支配。
c0059946_014914.jpg




そんな中、
なぜアジアは独立できたのか?

アジア各国は以下のように言っています。

日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、
生まれた子どもはすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。
われわれはこの日を忘れてはならない」

ククリット・プラモート タイ元首相



インドはまもなく独立する。
この独立の機会を与えてくれたのは日本である。
インドの独立は日本のおかげで、30年も早まった。
インドだけではない。
ビルマも、インドネシアも、ベトナムも、東亜民族はみな同じである。インド国民はこれを深く心に刻み、
日本の復興には惜しみない協力をしよう

インド パラバイ・デサイ博士




ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。
・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・

バ・モウ ビルマ元首相
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\




それでも


日本は   


悪い国!!!!!!





\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
1910年当時のアジア情勢。

c0059946_014914.jpg


当時、日本と韓国(朝鮮)は欧米列強に包囲されていた。
このままいけば、
日本も同じく欧米列強に飲み込まれてしまう。

http://fujissss.exblog.jp/10705930/ より


だからこそ
<共栄>する為
知恵、インフラを日本は韓国へ。
↓↓↓↓
◆「日本が韓国にあげたもの」
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-30.html


◆前と後
37651279_1024515076_124large.jpg

◆当時の韓国人と日本人
c0059946_161639.jpg

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\



それでも


日本は   


悪い国!!!!!!


侵略国!!!!!!


悪い!悪い!悪い!!!!!!!!!!!!!!!!!!



\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
原爆を二度も投下され、
沢山の人が焼き殺されたというのに

日本各地に爆弾や焼夷弾が投下され
沢山の人が焼き殺されたというのに

アジア諸国が日本を慕い
祖先たちの生き様を語り継いで下さっているというのに


悪い悪いと
日本国の国体を責め
命がけで日本を守りぬいた祖先たちを責め


殺したのは日本だと
殺されたのは日本のせいだと
殺されたのは日本人のせいだと


【二度と過ちは繰り返さぬ】と
自分達を責め続け


【私たち国、日本は悪い国】だと
子供たちを教育する


悲しき国     日本



◆日本は悪かった!と回答しなければ丸がもらえない反日教材
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-81.html
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\



日本   は    悪い    国!!!!!!


国体をさげすみ
日本は悪い国だと叫ぶのは
アカイ思想の人々

どうか惑わされないように
どうか踊らされないように

アカイ思想は
共産主義国が日本占領の為
日本弱体化を目的として作られた思想


染まったアカが叫び
染めたアカが高笑い


どうか惑わされないように
どうか踊らされないように


◆アカとは何か?
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-11.html


そして

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
戦争を、現在の「尺度」で考えることなかれ
いったん始まれば、人が死ぬのが
武器を使った戦争です。

だからこそ
外交カードをむやみに他国に渡さない

だからこそ
インフラを他国に任せない

だからこそ
殺されても殺さない覚悟 憲法9条に反対


戦争をしたくなければ
戦争を未然に防ぐ「構え」が必要です。
戦わせない為の「構え」が必要です。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\


もういらない

他国に都合がいい自虐史観なんてもういらない
他国に都合がいいアカい思想なんてもういらない



まずは
日本人がそれを望むことではないかと思います。

何が起きているのか
何がどうなっているのか

認識した上で
それが日本人のメリットにならない事なら、
現状打破を望む

それがスタートになると思います。


同じ思いの方、
どうぞ
内に留めず

ご家族
ご友人
お子様へ

一人から二人へ
外へ
周りへ
お伝えください。



同じ思いの方、宜しければ、ぽちお願いいたします。
↓↓

↓↓

人気ブログランキングへ

Tag:学校が教えない日本人の生き様  Trackback:0 

どうか忘れないでほしい、お願いだよ。 ~日本人よ、日本に返れ~

http://www.twitlonger.com/show/ce2n2o より以下転載

~ここから

昨日靖国神社に参拝してきました。
参集殿前のベンチで休んでいた時、隣に座った93歳のおじいちゃんが話しかけてくれました。

皆に知ってもらいたいので、脚色なく書きます。
以下すべておじいちゃんの話です。

暑いね~。
初めて靖国神社に来たのかい?
いくつ?24歳か~。
若い人が靖国神社に参拝してくれるのは本当にうれしいよ。

僕はね、ガダルカナル島に行ってたんだよ。
右足撃たれちゃって途中で離脱しちゃったけどね(笑)

はぁ~
今の日本みてどう思う?

ねえ戦争についてなんて習った?
くやしい、本当にくやしいよ(ここでおじいちゃん泣き出した)

侵略戦争じゃないんだ、防衛戦争だったんだ。
強制連行なんてしてないんだ、不法入国されたんだ。
従軍慰安婦なんていなかった、募集慰安婦だったんだ。

国を守ったのに…
どうして僕たちは殺人者のレッテルを張られなくちゃいけないんだ。
戦わなかったら日本はなくなってたんだ。
なのに・・・・・・なのに・・・・・・

あの時死んでればよかった。
死んでればこんなくやしい思いをしなくて済んだんだ。
あの時なんで心臓じゃなく右足だったんだ。

ごめんね、取り乱して。
僕はね、衆議院のエレベーターボーイしてたんだ。

今みたいにボタン押すんじゃなくてね、
ハンドルでエレベーター動かしてたんだよ。

東條閣下も何度も乗せたよ。
乗るたびに「ご苦労」って言ってくれてね。
あんな高飛車じゃない政治家は他にいないよ。

国会議事堂の真ん中の建物の最上階に何があるか知ってるかい?
先輩からあそこは立ち入り禁止って言われてたんだけど、
ある日東條閣下に行ってみたいとお願いしたら入らせてくれたんだ。

檜で造った立派な鳥居が皇居のほうに向かってあったよ。
素晴らしいものだった。

ねぇ、東條閣下は怖い人じゃないんだ。
日本を守りたかっただけなんだよ?

戦争に向いてない人だったと思うけどね。
本当はとっても優しい良い人だったんだ。
どうか忘れないでほしい、お願いだよ。

長く話してしまって悪かったね~。
来年も来るかい?
また会えたらいいね~。それじゃあね。

~~~~~~~~  転載ここまで




侵略戦争じゃないんだ、防衛戦争だったんだ。
強制連行なんてしてないんだ、不法入国されたんだ。
従軍慰安婦なんていなかった、募集慰安婦だったんだ。

国を守ったのに…
どうして僕たちは殺人者のレッテルを張られなくちゃいけないんだ。
戦わなかったら日本はなくなってたんだ。
なのに・・・・・・なのに・・・・・・

あの時死んでればよかった。
死んでればこんなくやしい思いをしなくて済んだんだ。





今、
生活をしているここ日本は
先人達が
命をかけて
守ってくれた国であるというのに

それを
知らず

先人達を
戦犯と呼び
悪い悪いと責め
「あの時死んでればよかった」とまで考えさせる
現代を生きる日本人。



こんな悲劇は
こんな馬鹿げた事は
もう止めよう。

どうすればいいのか?

ただ知ればいいだけだ。

日本人は日本人の歴史を。

日本人は日本人の生き様を。



学校は
テレビは、
こんなことばかりを与え、
↓↓↓
NHK世界史講座の内容が酷すぎる
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-103.html

反日教材を集めてみました。
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-81.html



以下を日本人に与えない。
↓↓↓
日本人へ ~遺言~
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

東京裁判
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-2.html


こんなもの、もういらない
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-100.html




■日本は侵略戦争などしていない。■

GHQマッカーサーすら、それを知っている。

【連合国軍最高司令官 ダグラス・マッカーサーの証言 「東京裁判は誤りであった」】
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
ABCD包囲網
「太平洋において我々は彼らを迂回しました。
我々は包囲したのです。
日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。
その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。
歴史上のどの時点においてか、
日本の労働者は、人間は怠けてゐる時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、
つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。
 
これほど巨大な労働力を持ってゐるといふことは、
彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。

彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。
しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。
彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。
そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、
一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを
彼ら(日本政府・軍部)は恐れてゐました。
したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、
大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです」


「東京裁判は誤りであった」

「日本の戦争の動機は正当防衛であり、侵略戦争と呼ぶべきものではなかった」

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\





■従軍慰安婦なんていない。■

c0059946_21285643.jpg


この資料にはこう書いてあります。
「慰安婦を募集!月給300円以上!3000円まで借金が可能!」 
↓↓↓
今でいうと、
「慰安婦の月収133万円、更に1330万円の借金が可能」
ということになります。
http://photo.jijisama.org/ianfu.html

連行ではないですね。
募集広告を出し、お給料まで出ていますから(然も高給


慰安婦の月収 1000円~2000円(アメリカ軍の調書)
①元慰安婦、文玉珠の2年3ヶ月の郵便貯金 26145円…
現地で贅沢品を消費しながら
大邱の家族に5,000円を送金し、
26,145円(現在の貨幣価値で約6,000万円)を約2年で貯金した売春婦
②高安やえ
「一晩に200円や300円稼ぐのはわけがなかった」
「女のラバウル小唄」『続戦中派の遺言女性版』櫂書房1979年

こうやって売り込みをしていましたし↓↓
d0044584_8152668.jpg


戦争当時、日本は、
「朝鮮人」の女衒に誘拐された「朝鮮人女性」を救出している。↓↓↓
20111218061306c32.png






■先人達の言葉。
次を託されたのは今を生きる私たち日本人だ。■




イッテマイリマス
ノチノ ニホンニ  エイコウアレ


大空に雲は行き、雲は流れり すべての人よさらば
後は頼む   
いって参ります



ここに信じてよいことがある。

いかなる形の講和になろうとも、
日本民族が、
将に滅びんとする時に
当たって身をもってこれを防いだ若者達がいたという歴史が残る限り、
五百年後、
千年後の世に
必ずや日本民族は再興するだろう


tokkoutai.jpg





永野修身(おさみ)・海軍大将の証言

「戦わざれば、亡国と、政府は判断された。
戦うもまた亡国であるかも知れぬ。
戦わざる亡国は魂まで失った亡国であり、
最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活を見いだしうるであろう。
戦ってよし、勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、
我らの子孫は再起、三起するであろう」



東条英機氏 遺言
《日本青年諸君に告げる。》

我が日本は神国である。
この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。
私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、
胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。

現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。
しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正
義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。

また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、
彼らの英魂毅魄〔伴注:美しく強い魂魄〕は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。
殉国の烈士は、決して犬死したものではない。
諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。
これこそがまことに私の最後の願いである。
思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。


真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである







最後に。
東京裁判で、
日本が、国際法に照らして無罪であることを終始主張し続けた
パール判事の言葉をご紹介します。

「日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。
しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。
いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、
日米安保条約に依存し
、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、
アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。
日本人よ、日本に返れ!とわたくしはいいたい。」


日本人よ、日本に返れ



同じ思いの方、宜しければぽちお願いいたします。
↓↓

↓↓

人気ブログランキングへ





Tag:学校が教えない日本人の生き様  Trackback:0 

西洋人を驚かせた日本と、別の意味で西洋人を驚かせた朝鮮

只今ランキングに参加しています。
よろしければ応援ぽちをお願いします。
↓↓

↓↓

人気ブログランキングへ


西洋人を驚かせた昔の日本

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
C・P・ツュンベリー『江戸参府随行記』
ケンペル、シーボルトと並んで「出島の三学者」と謳われたスウェーデン人医師・植物学者ツュンベリーの日本旅行記。その見聞は詳細・正確で偏見がなく、田沼時代の日本および日本人を世界的視野で観察したまたとない貴重な実態録となっている。
スウェーデン語原典から初訳。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%8F%82%E5%BA%9C%E9%9A%8F%E8%A1%8C%E8%A8%98-%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%96%87%E5%BA%AB-C-P-%E3%83%84%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC/dp/4582805833

◎記述1
「地球上の三大部分に居住する民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。・・・
その国民性の随所にみられる堅実さ、
法の執行や職務の遂行にみられる不変性、有益さを追求しかつ促進しようという国民のたゆまざる熱意、
そして百を超すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない。・・・
また法の執行は力に訴えることなく、かつその人物の身上に関係なく行われるということ、
政府は独裁的でもなく、
また情実に傾かないこと、・・・
飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、
あってもごく稀であること、等々、
これらすべては信じがたいほどであり、
多くの(ヨーロッパの)人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。
私は日本国民について、
あるがままを記述するようにつとめ、
おおげさにその長所をほめたり、
ことさらその欠点をあげつらったりはしなかった。」


◎記述2
「このように極端な検査(長崎での持ち物検査)が行われるようになった原因は、オランダ人自身にある。・・・原因にはその上に、数人の愚かな士官が軽率にも日本人に示した無礼な反発、軽蔑、笑いや蔑みといった高慢な態度があげられよう。
それによって、日本人はオランダ人に対して憎悪と軽蔑の念を抱くようになり・・・
その検閲はより入念により厳格になってきた」


◎記述3
「日本は一夫一婦制である。
また中国のように夫人を家に閉じこめておくようなことはなく、
男性と同席したり自由に外出することができるので、
路上や家のなかでこの国の女性を観察することは、私にとって難しいことではなかった」

◎記述4
「そこでは宿の主人から、
かつて私が世界のいくつかの場所で遇されてきたより以上に、親切で慇懃なあつかいを受けた」


◎記述5
「この国の道路は一年中良好な状態であり、広く、かつ排水の溝をそなえている。・・・
上りの旅をする者は左側を、下りの旅をする者は(上りから見て)右側を行く。
つまり旅人がすれ違うさいに、一方がもう一方を不安がらせたり、邪魔したり、または害を与えたりすることがないよう、配慮が及んでいるのである。
このような状況は、本来は開化されているヨーロッパでより必要なものであろう。
ヨーロッパでは道を旅する人は行儀をわきまえず、気配りを欠くことがしばしばある。・・・さらに道路をもっと快適にするために、道の両側に灌木がよく植えられている」


◎記述6
注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。
子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、
家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった
まったく嘆かわしいことに、もっと教養があって洗練されているはずの民族に、そうした行為がよく見られる。
学校では子供たち全員が、非常に高い声で一緒に本を読む。・・・」

◎記述7
海岸に臨みかつ国のほぼ中央に位置した大阪は、地の利を得て国の最大の貿易都市の一つになっている。
国中のあらゆる地方からあらゆる物が信じ難いほど大量に供給されるので、
ここでは食料品類が安く購入でき、また富裕な画家や商人が当地に住みついている」

◎記述8
その国のきれいさと快適さにおいて、かつてこんなにも気持ち良い旅ができたのはオランダ以外にはなかった
また人口の豊かさ、よく開墾された土地の様子は、言葉では言い尽くせないほどである。
国中見渡す限り、道の両側には肥沃な田畑以外の何物もない」

◎記述9
(大阪から京都への道の感想)私はここで、ほとんど種蒔きを終えていた耕地に一本の雑草すら見つけることができなかった。それはどの地方でも同様であった。・・・
農夫がすべての雑草を入念に摘みとっているのである。
雑草と同様に柵もまたこの国ではほとんど見られず、この点では名状し難いほどに幸運なる国である」

◎記述10
天皇は町なかに自分の宮廷と城を有し、特別な一区画のように濠と石壁をめぐらし、
そこだけでも立派な町をなしている。・・・
軍の大将である将軍は、最高権力を奪取した後もなお、天皇には最大の敬意を表していた


◎記述11
「日本のすべての町には、火災やその他の事故に備えて行き届いた配慮がなされている。
寝ずの番をする十分な数の確かな見張り番が、あらゆる地点に置かれており、
暗くなると夕方早々から外を廻りはじめる」


◎記述12
「(日本人の)国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順にして礼儀正しく、
好奇心に富み、勤勉で器用
、節約家にして酒は飲まず、清潔好き、善良で友情に厚く、
率直にして公正、正直にして誠実、疑い深く、迷信深く、
高慢であるが寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にして不屈である」

◎記述13
「日本人を野蛮と称する民族のなかに入れることはできない。
いや、むしろ最も礼儀をわきまえた民族といえよう」

◎記述14
「自由は日本人の生命である。
それは、我儘や放縦へと流れることなく、法律に準拠した自由である

◎記述15
「日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。
身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られており・・・」

◎記述16
「この国民の好奇心の強さは、他の多くの民族と同様に旺盛である。
彼らはヨーロッパ人が持ってきた物や所有している物ならなんでも、じっくりと熟視する。
そしてあらゆる事柄について知りたがり、オランダ人に尋ねる。
それはしばしば苦痛を覚えるほどである」

◎記述17
「この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。
そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族に群を抜いている。
彼らの銅や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。
その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、
これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである。
農夫が自分の土地にかける熱心さと、そのすぐれた耕作に費やす労苦は、信じがたいほど大きい」

◎記述18
節約は日本では最も尊重されることである
それは将軍の宮殿だろうと粗末な小屋のなかだろうと、変わらず愛すべき美徳なのである」

◎記述19
「またこんなにも人口の多い国でありながら、どこにも生活困窮者や乞食はほとんどいない。
一般大衆は富に対して貪欲でも強欲でもなく、また常に大食いや大酒飲みに対して嫌悪を抱く」

◎記述20
「清潔さは、彼らの身体や衣服、家、飲食物、容器等から一目瞭然である。
彼らが風呂に入って身体を洗うのは、週一回などというものではなく、毎日熱い湯に入るのである」


◎記述21
「日本人の親切なことと善良なる気質については、
私はいろいろな例について驚きをもって見ることがしばしばあった」

◎記述22
「国民は大変に寛容でしかも善良である。
やさしさや親切をもってすれば、
国民を指導し動かすことができるが、
脅迫や頑固さをもって彼らを動かすことはまったくできない」


◎記述23
「正直と忠実は、国中に見られる。
そしてこの国ほど盗みの少ない国はほとんどないであろう。
強奪はまったくない。
窃盗はごく稀に耳にするだけである。
それでヨーロッパ人は幕府への旅の間も、
まったく安心して自分が携帯している荷物にほとんど注意を払わない」


◎記述24
「国民の内裏に対する尊敬の念は、神そのものに対する崇敬の念に近い」

◎記述25
「道路は広く、かつ極めて保存状態が良い。
そしてこの国では、旅人は通常、駕籠にのるか徒歩なので、道路が車輪で傷つくことはない。
そのさい、旅人や通行人は常に道の左側を行くという良くできた規則がつくられている。
その結果、大小の旅の集団が出会っても、一方がもう一方を邪魔することなく互いにうまく通り過ぎるのである。この規則は、他に身勝手な国々にとって大いに注目に値する。
なにせそれらの国では、地方のみならず都市の公道においても、
毎年、年齢性別を問わず――とくに老人や子供は――軽率なる平和破壊者の乗り物にひかれたり、ぶつけられてひっくり返り、身体に損害を負うのが珍しいことではないのだから」


◎記述26
国史は、他のほとんどの国より確かなものであろうとされ
家政学とともに誰彼の区別なくあらゆる人々によって学ばれる」


◎記述27
「法学についても広範囲な研究はなされていない。
こんなにも法令集が薄っぺらで、裁判官の数が少ない国はない。
法解釈や弁護士といった概念はまったくない。
それにもかかわらず、法が人の身分によって左右されず、
一方的な意図や権力によることなく、確実に遂行されている国は他にない。
法律は厳しいが手続きは簡潔である



◎記述28
「測量術については、かなり詳しい。
したがって一般的な国とそれぞれの町に関する正確な地図を持っている。一般的な国の地図の他に、私は江戸、都、大阪、長崎の地図を見た。
さらにたいへんな危険をおかして、禁制品であるそれらを国外へ持ち出すこともできた」


◎記述29
「子供たちに読み書きを教える公の学校が、何か所かに設けられている」
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
##江戸時代の日本人の識字率は世界最高だったと言われています。
イギリス外交官の秘書ローレンス・オリファント『エルギン卿遣日使節録』
(岡田章雄訳・新異国叢書9・雄松堂書店、1968年)は、
「子供たちが男女を問わず、またすべての階層を通じて必ず初等学校に送られ、そこで読み書きを学び、また自国の歴史に関するいくらかの知識を与えられる」(p.162)と、
当時子どもたちがみな勉強しているので驚いたことが記されています。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

◎記述30
「日本人が家で使う家具は、台所や食事のさいに使う物を除けば、他は極めて少ない。
しかし衣服その他の必需品は、
どの町や村でも、信じられないほど多数の物が商店で売られている」
(村でも同様であることを記しています。江戸時代の町人農民の貧しさを強調する人たちに読んでほしい)

◎記述31
「日本の法律は厳しいものである。
そして警察がそれに見合った厳重な警戒をしており、秩序や習慣も十分に守られている。
その結果は大いに注目すべきであり、重要なことである。
なぜなら日本ほど放埒なことが少ない国は、他にほとんどないからである。
さらに人物の如何を問わない。
また法律は古くから変わっていない。
説明や解釈などなくても、国民は幼時から何をなし何をなさざるかについて、確かな知識を身に付ける。
そればかりでなく、高齢者の見本や正しい行動を見ながら成長する」

◎記述32
「ここでは金銭をもって償う罰金は、正義にも道理にも反するものと見なされる。
罰金を支払うことで、金持ちがすべての罰から解放されるのは、あまりにも不合理だと考えているのである」

◎記述33
「当地では犯罪の発生もその処罰も、人口の多い他の国に比して確かにずっと少ないといえよう」
(日本の犯罪もついに外国に追い付いてしまいました!)

◎記述34
「日本では農民が最も有益なる市民とみなされている。
このような国では農作物についての報酬や奨励は必要ない。
そして日本の農民は、他の国々で農業の発達を今も昔も妨げているさまざまな強制に苦しめられるようなことはない。
農民が作物で納める年貢は、たしかに非常大きい。
しかしとにかく彼らはスウェーデンの荘園主に比べれば、自由に自分の土地を使える。(スウェーデンの農民が農業以外の苦役に従事しなければならない例をいくつかひいて)日本の農民は、こうしたこと一切から解放されている。彼らは騎兵や兵隊の生活と装備のために生じる障害や困難については、まったく知らない。そんなことを心配する必要は一切ないのだ」

◎記述35
「農民の根気よい草むしりによって、畑にはまったく雑草がはびこる余地はなく、炯眼なる植物学者ですら農作物の間に未知の草を一本たりとも発見できないのである」


◎記述36
「商業は、国内のさまざまな町や港で営まれており、また外国人との間にも営まれる。
国内の商取引は繁栄をきわめている。
そして関税により制限されたり、多くの特殊な地域間での輸送が断絶されるようなことはなく、すべての点で自由に行われている。
どの港も大小の船舶で埋まり、街道は旅人や商品の運搬でひしめき、どの商店も国の隅々から集まる商品でいっぱいである」

以上、参照元
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/edo_sanpu.htm



ヴァリニャーノ『日本巡察記』
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%A1%E5%AF%9F%E8%A8%98%EF%BC%88%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%96%87%E5%BA%AB-229-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8E/dp/458280229X
日本人の家屋は、板や藁で覆われた木造で、はなはだ清潔でゆとりがあり、技術は精巧である。
屋内にはどこもコルクのような畳が敷かれているので、きわめて清潔であり、調和が保たれている。 (p. 6)
彼等は外國人によつて齎された改良を觀察するのが極めて早く、
忽ち自らそれを會得し、
非常な巧みさと精確さとを以てそれを模するのである。
金属に彫刻するのは甚だ巧みであり、金属の肖像を鑄ることもできる。 (1巻, p. 142)
木材及び竹材加工に於て、彼等に優る國民はない。
彼等は又世界に優るものなき一つの技術を有している。
それは木材製品の漆塗りの技術である。他の諸國民は多年に亙つて、この技術に於て彼らと形を比べようと試みたが成功しなかつた。 (1巻, p. 143)
彼等は磁器を製作してゐるのだし、
また或る人の語るところによれば支那人よりももっと立派に製作することができると云ふ。
兎に角、吾々が見た日本磁器の見本は甚だ織巧美麗である。
但し或る筆者の語るところによると、最良質の粘土が盡きたために、現在では嘗てのやうに立派に製造することができないと云ふ。 (1巻, p. 144)



M・C・ペリー『日本遠征記』
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%81%A0%E5%BE%81%E8%A8%98-1-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%AA/dp/4003342216
日本人は極めて勤勉で器用な人民であり、或る製造業について見ると、如何なる国民もそれを凌駕し得ないのである。 (1巻, p. 141)
彼等は外國人によつて齎された改良を觀察するのが極めて早く、忽ち自らそれを會得し、非常な巧みさと精確さとを以てそれを模するのである。金属に彫刻するのは甚だ巧みであり、金属の肖像を鑄ることもできる。 (1巻, p. 142)
木材及び竹材加工に於て、彼等に優る國民はない。彼等は又世界に優るものなき一つの技術を有してゐる。それは木材製品の漆塗りの技術である。他の諸國民は多年に亙つて、この技術に於て彼らと形を比べようと試みたが成功しなかつた。 (1巻, p. 143)
實際的及び機械的技術に於いて日本人は非常な巧緻を示してゐる。
そして彼等の道具の粗末さ、機械に對する知識の不完全を考慮するとき、彼等の手工上の技術の完全なことはすばらしいもののようである。
日本の手工業者は世界に於ける如何なる手工業者にも劣らず練達であつて、
人民の発明力をもっと自由に發達させるならば日本人は最も成功してゐる工業國民[マニュファクチャ-リング・ネーションズ]に何時までも劣つてはゐないことだらう。
他の國民の物質的進歩の成果を學ぶ彼等の好奇心、それを自らの使用にあてる敏速さによつて、これ等人民を他國民との交通から孤立せしめてゐる政府の排外政策の程度が少ないならば、彼等は間もなく最も惠まれたる國々の水準にまで達するだらう。
日本人が一度文明世界の過去及び現在の技能を所有したならば、
強力な競争者として、将来の機械工業の成功を目指す競争に加わるだろう。 (4巻, pp. 127-128)


写真は100年ほど前の日本
c0059946_1205115.jpg
c0059946_1212853.jpg
c0059946_123636.jpg
c0059946_1214860.jpg
c0059946_1233660.jpg



参照
http://fujissss.exblog.jp/pg/blog.asp?dif=m&acv=2008%2D12%2D01&nid=fujissss&p=2




加えて
以下もご紹介します。
比較してみて下さい。

西洋人を驚かせた昔の韓国

■フランス人宣教師シャルル・ダレ「朝鮮事情」より抜粋
韓国人は怯えながら生きる生活を続けていたので、感情の安定を失った民族になった。
おそらく韓国人は世界一怒る事を好む民族だろう。怒る事が不安や焦燥感を解決するのだ。代償行為になるし、自尊心を守る手段にもなる。
その自尊心も、虚飾によって作られた自尊心である。
だから、ちょっと<触れただけで傷つき、怒りの感情が爆発する。


■1886~91年に朝鮮で布教したアメリカ人宣教師ホーマー・ハルバート「朝鮮亡滅」より抜粋
韓国人は本当に怒ると、正気を失う。自分の生命すら見えないような状態になり、牙のある動物になってしまう。口の周りに泡が溜まり、更に動物のような表情になる。
悲しい事だが、この怒りの衝動で理性を忘れる悪弊は、男だけではない。
女は立ち上がって酷い大声で喚くので、最後には喉から声が出なくなり、次には強烈に嘔吐する。
精神錯乱になった女を見る度に私は思う。
「どうして脳卒中で倒れなかったのか?」と。
韓国人は子供の時から、自分の気持ちを制御する術を学ぶ事がないらしい。
子供も親を見習って、自分の気に入らない事があると、狂人のように大暴れする。
欲望を達成するか、あるいは長時間の後、鎮静に戻るか、そのどちらかに落ち着く。


■スウェーデン人の記者アーソン・グレブスト「悲劇の朝鮮」より抜粋
将来性がなく、中国人以上に酷い民族である。1000年前に眠った場所に留まり続けている。
更に良くないのは、その眠りから覚めようとしない事だ。韓国人は独立が嫌なのだ。できれば他者に依存して責任回避をしたいのだ。
彼らの望むことは、何の心配もなく平和に暮らす事だけだ。
「独立」と言う言葉は、彼らにとって恐怖を意味し、不信や無法と同じである。


■イギリス人女性イザベラ・バード「朝鮮紀行」より抜粋

ソウルを描写するのは非常に憂鬱だ。
北京を見るまで私はソウルこそ、この世で一番不潔な町と思っていたし、
shoukouへ行くまではソウルの悪臭こそ、この世で一番酷い匂いだと考えていた。
都会であり首都であるが、その粗末な様子は表現が難しい。
礼節から二階建ての家は建てられず、
したがって推定二十五万人の住民は迷路のような細い道の「地面」で暮らしている。
道の多くは荷物を積んだ、牛が通りにくい程の狭い道で、
家々から出た小便と大便を受ける穴か溝で更に狭くなる。悪臭が酷い。 
その穴や溝の横に好んで集まるのが、土の埃で汚れた半裸の子供たち、皮膚病と眼病を患った大きな犬で、
犬は汚物の中で転げまわり、日光の中で瞬きしている。
 ウル名物は水路である。蓋の無い広い水路を黒く汚れた水が、川の底に堆積した排泄物やゴミの間を悪臭を漂わせながら、ゆっくりと流れていく。もはや水とは呼べない混合物を桶に汲んだり、小川とは呼べない水溜りで洗濯している女達の姿・・・


■イギリス人女性イザベラ・バード「朝鮮紀行」より抜粋 
ソウルには芸術品は全く無い。園も無い。見るべき催し物(イベント)も無い。劇場も無い。他の都会にある魅力がソウルには全て無い。
古い都ではある。
しかし、旧跡も無い。文献も無い。宗教に無関心だった為、寺院も無い。


c0059946_23475692.jpg


ちなみに
昔の韓国と日本。

1910年当時のアジア情勢を見るとよくわかりますが、
当時、日本と韓国(朝鮮)は欧米列強に包囲されていた。
このままいけば、飲み込まれてしまう。
http://fujissss.exblog.jp/10705930/ より
c0059946_014914.jpg

だからこそ
知恵、インフラを日本が韓国へ。
共栄する為
共に頑張った時代もありました。
↓↓↓↓
「日本が韓国にあげたもの」
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-30.html

37651279_1024515076_124large.jpg
c0059946_161639.jpg


今、
残念な事に
日本悪かった悪かったと責められていますよね。

反日教育をする韓国
同じく
反日教育をする日本

何かがおかしいですよね。


以上、参照元 
http://fujissss.exblog.jp/pg/blog.asp?dif=m&acv=2008%2D12%2D01&nid=fujissss&p=2





さて、日本の今と昔。
何がどう変わったでしょうか?

西洋人を驚かせた朝鮮を笑ってばかり
西洋人を驚かせた日本に奢るばかりで
日本を
守ろうと、
保とうとしなければ

朱に交わりアカクなってしまったり
壊されてしまったり
弱体化してしまうかもしれません。

西洋人を驚かせた日本
そして
今もまだ、日本って凄いんです。
↓↓↓↓↓
「凄まじい国」日本
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-37.html


戦後
教育勅語の廃止
国家観を与えられず自虐史観を与えられ
日本人の器に入れるものがそれ以前と大きく変わりました。

結果、
素晴らしい日本という国を守り保ちより発展させるのは私たち日本人であるという認識すら
薄らいでしまっているのが現状だと私は思います。


保ち守ってこそ国は成り立ちます。

それができるのは日本人です。

過去から学び、今に繋げる。
国益とならないことはなるように対策する。(教育などもそうではないでしょうか?)
国益となることは保持、発展させる。

これができるのは日本人です。




素敵な国、日本
今、内側から破壊されている状態です。
↓↓↓
■世界が驚いた日本と、それを弱らせる民主党
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-20.html
■民主党の目的
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-4.html


素敵な国、日本
弱れば、困るのは私たち日本人
素敵な国、日本
壊されるのが嫌なら、
どうか、今、何が起きているのか知ってください。


c44d196e26b60e224ab8d64dc2d0399df0c72bdf_6_75307020_105_large.jpg



只今ランキングに参加しています。
よろしければ応援ぽちをお願いします。
↓↓

↓↓

人気ブログランキングへ

Tag:学校が教えない日本人の生き様  Trackback:0 

アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ ~インドネシアで語り継がれる日本人の生き様~

世界には沢山の親日国があります。
なぜ親日国なのか?

そこには、
日本人の先人達の生き様が大きく関与しています。


パラオ、ポーランドとご紹介してきましたが、


インドネシア
この国にもまた、
日本の学校が教えてはくれぬ先人達の生き様が語り継がれています。




【インドネシアの独立で通じ合った日本の犠牲的精神を、
今の日本の若い人達はほとんど知りません。残念でたまりません。
私達の独立の為に戦ってくれた日本兵の事を、
きちんと日本で語り継いでほしいと思います。
そしてインドネシアに来られたら、
ジャカルタの英雄墓地に眠る日本兵の奥城にお詣りして下さい。
その墓標には、みなイスラムの名前と日本人の名前が彫られています】

インドネシア元大統領 スカルノ氏                

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
「祖国防衛義勇軍(PETA)マーチ」  (斉藤守氏訳)
1、
アジア すでに敵に向かい 蜂起せり
己を捨てて 全力を尽くす 連合国を粉砕せんと
玉散ることもいとわず 進め進め 義勇軍
アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ

2、
古きアジア 不幸に苦しむ列しき圧制に 
幾世紀も忍ぶ 大日本 雄々しく立てり
アジアを救い 我らを守る 進め進め 義勇軍
アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

インドネシア独立記念日、
この日は毎年盛大な独立記念祭が行なわれます。
そこで華々しく行進するインドネシア国軍のパレードで使われているのがこの、PETAマーチです。

マーチの歌詞を見ると<大日本>の文字が。

そして、
パレードのクライマックスでは、インドネシア人の男女二名と、日本陸軍の扮装をした男性による三名で、インドネシアの国旗を掲揚するのです。


独立記念日の実際の様子↓↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=ElAoXeGmj2k&feature=player_embedded




インドネシアと日本、過去に何があったのでしょうか?




■インドネシア
インドネシア共和国(インドネシアきょうわこく)、
通称インドネシアは、東南アジア南部に位置する共和制国家。




【オランダによる350年の圧政】
1602年、オランダはジャワ島に東インド会社を設立し、植民地経営を始めました。首都のジャヤカルタはバタヴィアに改称され、以降350年間に渡って、オランダは東ティモール以外の領土を支配します。

第一次大戦後、1930年前後から
インドネシアにも独立を希求する民族運動が発生しましたが、オランダはこれを厳しく弾圧しました。

オランダは、徹底的した愚民政策で、インドネシア全土を支配しました。100以上ある部族を互いに敵対させておくようにし向け、
一部のオランダ人に、従順な部族を警官として雇い、
経済は華僑を利用し、
現地人の反感がオランダ人に直接向かわないようにしたのです。

統一言語ができると抵抗運動がおきるので、
部族間の言葉はバラバラのままにさせ、
道ばたで3人以上のインドネシア人が話していると処罰するほど徹底した支配でした。




【大東亜戦争】
やがて、大東亜戦争が始まります。
この際、インドネシアにやってきたのが日本軍です。

日本軍の落下傘部隊、銀輪部隊はインドネシアを進撃し、
オランダ軍は9日間で完敗することになります。



【日本軍政時代】
以後、インドネシアは日本軍により統治されます。

このとき、国名は蘭印からインドネシアに、
オランダ名だった首都バタヴィアは、古インドネシア王国のジャヤカルタに倣ってジャカルタに改称されます。

さらにオランダ語は廃止され、
新たな国語としてインドネシア語が作られました。
(当時、ジャワ語の分かる日本人がおらず、特務機関で学習されていたマレー語が採用された)

また公的機関にもインドネシア人が雇用されるようになりインドネシア人の組織化、社会参加が進みました。


この時点で、日本軍とオランダ軍のインドネシアの方々への対応の仕方が全く異なることが分かります。
(もし、「侵略」をしたのであれば、日本語を教え、公的機関も日本人が配備されるのではないでしょうか?)

さらに、日本は将来のインドネシア独立を見越して、
インドネシア人の若者からなる祖国独立義勇軍(PETA)を組織し、
日本軍式の軍事教練を施しました。
このPETAが、独立戦争の中心戦力となり、後のインドネシア国軍の母体となったのです。
今でもPETA出身の軍高官は
「日本精神のおかげでオランダに立ち向かうことができた」
と語っています。



【インドネシア独立戦争】参考動画↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=HPWS4h3WmI4&feature=player_embedded


日本は、
1945年の9月にインドネシアの独立承認を約束していました。
8月15日、
日本は敗戦。
そして、
大東亜戦争終戦。

再びインドネシアを植民地支配するために、
イギリス軍とオランダ軍が戻ってきました


2000人以上の日本兵が、
日本の家族の元には帰らず、
インドネシアに残り、PETAと共に、独立戦争を戦いました。

PETAは訓練経験があるのみで、実戦の経験がありません。
その為、日本兵は、インドネシア人を指揮して最前線で戦いました。

私達の祖先達は、
日本に帰るという選択肢がある中で、
それを選ばず、
インドネシア独立の為、命をかけて戦ったのです。
その数は3000人と記録されています。

37651279_1030414273_135large.jpg






4年の戦いの後、インドネシアは独立を手に入れました。

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

インドネシアの独立宣言文を起草したスカルノ大統領、ハッタ副大統領は“独立を宣言をしたその日付”を1945年という西暦ではなく、

「日本の協力なしには独立できなかった」という
感謝の念を込めて
“17805”(=17日/8月/05年)
つまり
2605年という皇紀で記しました。




■モハメッド・ナチール元首相

「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私達アジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」





■ブン・トモ氏 元情報相

「日本軍がアメリカ・オランダ・フランスを
我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信を持ち、
独立は近いと知った。
そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。
それなのに
全て日本に背負わせ日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。
申し訳ない。」




■ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)

日本軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、
最も重要なものの一つは、
正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略)  
インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。
これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。
日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、
戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\


台湾や朝鮮の場合と違い、
3年半という短期間の統治であったインドネシアには、
日本が建設した建物は何も残っていません。
しかし、
日本への敬愛の情と、
国家の誇りと独立にかける情熱は残りました。


我々日本人が与えられない、
日本の祖先達の生き様を
語り継いでくださる国があることは有りがたいことです。
語り継いで下さっているからこそ、
今まだここに、こうして消え去らずに、残っているのですから。

そして
日本の祖先たちの生き様有りきの親日国だということも
忘れたくないものです。
当たり前だと想い、胡坐をかくばかりで、
祖先たちの貯金を食いつぶすばかりではやがては呆れられてしまうでしょう。


〜各時代を生きた日本人が
繋げたからこそ
今がある〜

今、日本では
捏造された、反日国家に都合のいい自虐史観により
日本人の先人は悪かった!!!!と教え
平和憲法9条と言う、
殺されても殺さない覚悟=守りの構えを捨てる覚悟をさせられています。

そこに
日本人にとって
のメリットがあるのか?

国は守らなければ続きません。
国はその国の民が守ろうとしなければ続きません。

守りつなげた先人に感謝の気持ちを持つことも
日本人であることに誇りを持つことも
守りの構えも
なくしてしまった時、

国は続いていくのでしょうか?



〜各時代を生きた日本人が
繋げたからこそ
今がある〜

「殺されても殺さない覚悟」平和憲法反対
「日本は悪い国!!!」  自虐史観教育反対
「日本解体!!!」    売国政党反対


無関心でいると、
確かに楽ですが
知らない間に船が沈むかもしれません。

いざ沈みかかる船で
「誰がこうした!!!」と叫べど、
答えわからぬまま、
答えがわかったところで何もできぬまま
沈むことになります。

「この船が悪い悪い」と叩き壊せば、船は沈みます。

こちらに大砲を撃つ敵船に対し、何もしなければ、船は沈みます。

壊れた船を誰も修理しようとしなければ、やはり船は沈みます。

ここ日本は私達日本人が愛し、守り、保たねば、続きません。




〜各時代を生きた日本人が
繋げたからこそ
今がある〜

日本人が、
少しずつでもいい、
同じ想いを抱くとき、
日本の現状に
耳を塞ぎ、
目を瞑り、
関係ないね!と白をきる日本人はいなくなると思います。




〜各時代を生きた日本人が
繋げたからこそ
今がある〜

今を生きる私たち
繋げる先にいるのは
未来の私
未来の貴方
未来の誰か。
私達の生活は、日本有りきです。





最後に、
インドネシア独立宣言をされたスカルノ元大統領の言葉を記します。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
インドネシア スカルノ元大統領
37651279_1030414270_123large.jpg


「インドネシアの独立戦争では、
約3,000名の日本兵がインドネシアの為に戦ってくれました。

私たちはその『心』を大切にし、
同じアジアの民族として伝えなければなりません。

その『心』は日本とアジアばかりではなく、
世界の平和にも繋がるのです。

ところが、
インドネシアの独立で通じ合った日本の犠牲的精神を、
今の日本の若い人達はほとんど知りません。
残念でたまりません。

私達の独立の為に戦ってくれた日本兵の事を、
きちんと日本で語り継いでほしいと思います。

そしてインドネシアに来られたら、
ジャカルタの英雄墓地に眠る日本兵の奥城にお詣りして下さい。

その墓標には、みなイスラムの名前と日本人の名前が彫られています」





日本兵戦死者数 約1000名


インドネシア独立の為に亡くなった日本人の祖先達は、
インドネシアの英雄墓地に祀られています

37651279_1030414260_123large.jpg

インドネシア、カリバタ英雄墓地

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\


感謝


そして


恥じない生き方を。











只今国政がめちゃくちゃです。
めちゃくちゃをして内側から日本を壊されている真っ最中です。
続けば、後ろへと繋がらないでしょう。

現状打破ができるのは
有権者である私たちです。


現場である
国会中継を見れば、国政の現状がよくわかります。
誰がめちゃくちゃをしているか
誰が日本の事を考えているかよくわかります。

しかし
見ようと思わなければ、国会中継を見ることはないでしょう。
知ろうとしなければ、現状を知ることをしないでしょう。
現状も知らずどうでもいいと考えていれば、
現状打破の絶好の機会となる選挙に行こうともしないでしょう。

なぜそれをしないのか?
「無関心」
「ウワノソラ」
「国有りきの生活なんだという意識の薄さ」

日本人の意識が変わらなければ、
日本の未来も真っ暗だと私は考えています。

直結しなくてもいい。
何かしらのきっかけになることを祈り、
日本人の生き様をこの場にて伝えていこうと思います。


同じ思いの方、よろしければ応援ぽちをお願いします。
↓↓

↓↓

人気ブログランキングへ

Tag:学校が教えない日本人の生き様  Trackback:0 

日本への感謝を綴った「日本人よありがとう」という書物の序文に書かれた一編の詩

私はこの詩を読み、日本人はこのままではいけないと強く強く感じました。

「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」

日本について上記のように語ったラジャー・ダト・ノンチック氏は
今の日本、日本人に対して
以下のようにも語っているのです。

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
日本への感謝を綴った「日本人よありがとう」という書物の序文に書かれた一編の詩
マレーシア元上院議員 ラジャー・ダト・ノンチック
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/6646/vol4.html

41JyPNf-YML__SL500_AA300_.jpg


かつて 日本人は 清らかで美しかった
かつて 日本人は 親切で心豊かだった
アジアの国の誰にでも 自分のことのように
一生懸命つくしてくれた

何千万人もの 人の中には
少しは変な人もいたし 
おこりんぼや 我が儘な人もいた 
自分の考えを 押しつけて
威張ってばかりいる人だって 
いなかったわけじゃない

でも、その頃の日本人は 
そんな少しの嫌なことや 不愉快さを越えて
大らかで 真面目で 希望に満ちて明るかった

戦後の日本人は 自分達日本人のことを
悪者だと思い込まされた 
学校でも ジャーナリズムも
そうだとしか教えなかったから 
真面目に 自分達の父祖や先輩は
悪いことばかりした 残酷無情な
ひどい人達だったと 思っているようだ

だから アジアの国に行ったら ひたすら ペコペコ謝って
私達はそんなことはしませんと 言えばよいと思っている

そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
自分の国や 自分までが 偉いと思うようになってきて
うわべや 口先だけでは 済まなかった 悪かったと言いながら 
独りよがりの 自分本位の 偉そうな態度をする
そんな 今の日本人が 心配だ

本当に どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を 知っている 私達には
今はいつも 歯がゆくて 悔しい思いがする

自分のことや 自分の会社の利益ばかりを考えて
こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は これが本当の日本人なのだろうか

自分達だけでは 集まって
自分達だけの 楽しみや 贅沢に耽りながら
自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている
その国と 国民のことを 蔑んだ眼でみたり バカにしたりする

こんな 人達と 本当に仲良くしてゆけるだろうか
どうして どうして日本人は こんなになってしまったんだ

マレーシア元上院議員 ラジャー・ダト・ノンチック
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

日本の未来は日本人の意識次第。

先人達の貯金を食いつぶしていれば
いつか貯金はなくなるでしょう。

今の日本人に必要なこと。

日本人の先人達の生き様を
今を生きる私たちは知り、
それに恥じることのないよう生きること。



日本の未来は日本人の意識次第。

だからこそ
戦後、教育やメディアを用いて愚民政策が行われたのでしょう。
■愚民政策
http://note.masm.jp/%B6%F2%CC%B1%C0%AF%BA%F6/


「戦後教育現場から姿を消した教育勅語、ここに記された12の徳目 」
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
孝行
親に感謝する

友愛
兄弟仲良くする

夫婦の和
夫婦で協力する

朋友の信
友達を信じあう

謙遜
みずから反省する

博愛
みんなにやさしくする

修学習業、智能啓発
知徳を磨く

公益世務
公のために働く

遵法
ルールに従う

義勇
祖国に尽くす

伝統継承
伝統を守る

率先垂範
手本を示す
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

1908年の9月に再びロンドンで、第一回世界道徳教育会議が開催された。
このとき日本の教育勅語は、各国の要請があり、
今度は英語だけではなく仏語、独語、中国語など多くの外国語に翻訳されて世界中に広められることになった。
各国は、これを持ち帰ってそれぞれの国の道徳教育の規範にしたというのである。
教育家の小池松次先生によれば、あれから100年間世界中において、この状態が続いているという。
本家本元のわが国においてだけ、戦争に負けた占領期間中に教育勅語は廃止されてしまった
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-10489091598.html より




以下の日本人の生き様も
現在の学校教育は日本人の子供に与えない


◆遺言 学校では教えてくれないこと その1
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-1.html
◆東京裁判 学校では教えてくれないこと その2
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-2.html
◆親日国パラオ   学校では教えてくれないことその3
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-66.html
◆白旗の少女の真実 学校では教えてくれないことその4
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-7.html
◆大和の心とポーランド魂 学校では教えてくれないことその5
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-94.html
◆ウズベギスタンの桜守り 学校では教えてくれないことその6
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-33.html
◆放火された靖国に眠る日本人の心
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-42.html
◆日本のパスポートの秘密
http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-24.html




国家観を与えられず
自虐史観ばかりを与えられ
今、自分という人間まで命を繋げてくれた先人達を悪い悪いと責め
何の上、生活が成り立つかという当たり前の事を忘れ
国で何が起きているのかに無関心。

このままでは、続かないでしょう。


奪われたのなら取り戻して。
与えられないのなら
自分で自分に、自分が誰かに、自分が子供に。





よろしければ応援ぽちをお願いします。
↓↓

↓↓

人気ブログランキングへ


Tag:学校が教えない日本人の生き様  Trackback:0 

お気に入りに追加



プロフィール

Author:sahashipesu
国家とは、
民が安心して耕し商売をし育ち暮らし生きていける『仕組み』。
仕組みに対応するのが『国政』。
国政を誰に託すか選ぶのが『国民』。
だから国民の意識次第でいかようにも。

麻生氏、安倍氏にもう一度国政の前線で活躍していただきたいので自民党を応援しています。
もちろん、売国議員は民主党もとより例え自民党議員であっても反対です。

どの国も
自国優先。
とにもかくにも
国が成り立てば国は続きます。
国を続かせることができるのは、
その国の民です。
だから国民の意識次第でいかようにも。

国家観、日本人の生き様。
与えられないのなら自分で自分に与えましょう。
国政は私たちの生活に直結しています。
無関心はやめましょう。

訪問者数
現在の訪問者数
現在の閲覧者数:
カレンダー
10 | 2014/11 | 12
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
ブロとも一覧

ももさんの日常(改)
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。