ボン兄タイムス

社会、文化、若者論といった論評のブログ

ジャンクフード化する日本の若者の人生について

 私は学生時代に「歴史研究部」という部活に入っていた。

 郷土史についてフィールドワークなりをして調べ、壁新聞を作り、そして文化祭で発表するという地味な部活だったが、穴場だった。部員の大半は女子、それもギャルだった。歴女ですらもないギャルである。

 

 多くの部活動は「面倒くさい」ものだ。運動部なら、それこそ汗水たらしていい結果を出すための日々のトレーニングなりなんなりに尽力をするわけである。文化部はどうか。実はこれも、大会で良い結果を出すことを目的に、部員同士にプレッシャーをかけて打ち込む滅私奉公であることには変わらない。

 歴史研究部は母校の部活で唯一の穴場だった。大会はない。決まりごともない。基本は図書館で顧問のすすめた本を借りて、その内容を色ペンでコピペする形でダラダラと「それっぽい新聞」を作りつつ、ただ世間話をしているだけだ。帰りたくなれば帰る。この繰り返しである。

 毎日を休み時間の延長線上のような日常系マンガみたいな日々を過ごしていた。当然世間話の内容は、歴史に絡まないことだ。

 

 同じ学生時代。文化祭のクラスでの出し物が「モザイク壁画作り」だったのを思い出す。これはとても単純なものだ。大きい色紙に升目をいれたもののをいくつも用意して、指定の升目にマーカーで塗りつぶすだけというものだ。すべての用紙のすべての升目を埋めて、つなぎあわせると、巨大な風景画や人物画ができあがる。

 この作業は決して面白いものではなかった。クラスの出し物を壁画にするということも「何の壁画にするか」ということも上が決めたことであり、不可抗力に従うだけだった。主体性も持って携わる要素は何もない。自由もない。しかし、誰もが黙々と、文句も言わずに真っ暗になるまで作業をしていた。

 

 

 そんな経験をした私も大学生になった。

 大学は、小中高等学校と違い、専門分野に特化した学びの場である。「学びたい分野の大学・学部学科」を選んで受験し、カリキュラム作りはシラバスを読んで「学びたい講義」をとるものだ。それまでの「全国どこにでもありふれたただの公務員が文科省検定教科書を板書させるだけの画一的で均質的な場」と違い、何らかのエキスパートである教授や講師が、専門分野をみっちりと教えるような場というイメージがあった。

 

 ところが、ふたを開けてみると、勤勉意欲など誰一人としてもっていなかった。

 学生たちのモチベーションは本当にやる気がない。学部学科と無関係な必修の教養科目どころか、選択科目、果てはグループ実習や後期のゼミですらも、「歴史研究部」や「モザイク壁画」のようにやり過ごす人が多かった。授業中も私語ばかりで、私語がうるさすぎて講義がとまることもあった。Fランク大学だけの特徴なのかと思いきや、後で知ったところ、余程の名門大学以外は全部がこうらしい。

 普通なら絶対に会えないエキスパートから、そこらの書店で売ってる本では分からないような知識を直接聞けたり、「普通は見れないもの」が見られたり、「普通は行けない場所」で「普通はできない体験」ができることなんて心底どうでもいいというのが大学生の大半だった。

 現代の日本の大学生ににって大学とは、以下の3点に尽きるのだ。

 

 ①高校時代にはできなかった「余暇」をリベンジするため場

 ②もしくは高校時代の延長線上の「余暇」を過ごす場

 ③就活のための特権である「新卒大卒」を獲得する場

 

 極端な話、4年間すべてが「歴史研究部」や「モザイク壁画」のようなものである。大学1~2年の間は、恋人を作り、友だちを作り、街中で遊んだり、遊ぶ金を稼ぐためにバイトをし、大学で授業に出席をするのは「単位を落とさないため」。暇つぶしや昼寝の場であり、代返も多い。何大学で何学を専攻していようが関係ないのだ。

 そして3年になると判を押したようにみな一斉に就職活動を始める。すると余計に暇がなくなる。本来の学びの場としての大学であればいよいよクライマックスであるはずのゼミ活動は、サボりまくり、下手すれば、1年の教養科目よりも授業態度がぞんざいになる。

 

 で、バリバリと就職活動をこなし、見事卒業後の職を得るとどうなるか。

 今度は仕事そのものが「歴史研究部」や「モザイク壁画」のようなものになるのだ。

 履歴書で嘘八百を書き連ね、面接で心にも思っていない意欲をペラペラと喋った若者は、一転して、他人事で仕事に取り組むようになる。その職種・会社に入った理由は「たまたま受かったから」に他ならない。もっとひどい選択肢よりはマシだ、無職のまま卒業するよりははるかに良い。というスタンスで、生きるようになる。

 会社で拘束されている時間は「自分の状態」ではなく、やりたくないけど、拒むほどではない、不可抗力に従っているだけの心ここにあらずな場である。そして終業後や休日に趣味に打ち込んだり、仲間と過ごすわずかなプライベート時間だけを自分の人生として生きるのだ。そして、そのための費用を稼ぐ場が職場である。

 小中高大学と、16年間毎日ひたすら学校に行き、やりたくもないテストのための板書と暗記を繰り返して、そのような勉強と部活動を通じて成績を稼ぎ、自分にシックリくる学校に進学し続け、その到達点として新卒で就職した結果、20余年を積み上げて得たものは今まで散々ありふれたような「休日のわずかな余暇」である。

 このような調子が、老人になるまでずっとひたすら続くのだ。 

 

 自分も平成生まれ世代のひとりとして思うのだが、こういう人間があまりに多いことは、今の若者の課題であると思う。夢も希望もあったものではないだろう。

 小・中・高校・大学・社会人と、ひたすら毎日の、人生の時間の大半を、こういう場にゆだね、「本当の自分を生きる状態」は、平日の夜と土日だけである。なんと粗末な人生だろうか?

 気の抜けたコーラのように生きていく、人生のジャンクフード化だと私は思う。

 

 現代日本の若者と外国の若者、および日本の中高年(昭和時代に若者だった人たち)を比べてみると、本当によくわかる。かれらは24時間を自分のために生きている。

 大学生は勤勉だし、勤勉でなくとも人間は学生運動に打ち込んだり、不良になるなりに自分で選んだ道を全力で生きている。働いているときも投げやりな気持ちで就労マニュアルに従う出来損ないのロボットにならず、自分として生きている。

 だから海外のコンビニや、東京の下町の商店街の古びた個人経営では「サービス業のマニュアル接客の感覚」と比較すれば言葉遣いや対応の仕方はえらい悪かったりするのだが、でも、作り笑いではなく、人肌のあるコミュニケーションがそこにはあったりするのだ。気持ち次第で、まけてくれたり、世間話を吹っ掛けられることもある。

 明治時代から高度成長期の20世紀の昔の若者たちは、仕事に生きがいを持って取り組み、そうやって会社を発展させ、日本を発展させていた。江戸時代ならば、職人は職人として、町人は町人として、武士は武士として誇りをもって代々の仕事で一人前になるための「道」を極めていた。外国であれば今もしっかりと地に足をついて生きている人がいくらでもいるのだが、ジャンクフード化する日本の若者はとてつもなく特殊な存在に成り下がっているように思えてしまう。

 

 こんなくだらない人生はヤバいと思う。これでは人としてどんどん偏狭になってしまわないだろうか。自分として生きている場が例えばアニメオタクの男子だったら「オタ友だちとのオタ活動」かアニメを見ているときだけになる。ジャニオタのギャルなら、ジャニーズに没頭するか類友と群れることだけである。小学生でもできるような、小学生から続けていた余暇にひたすら被れ続けていれば、そんな狭苦しい人間は若くてもどんどん視野狭窄に陥る。ましてや中年になればなおさら老化していき、無意識のうちにどんどん狭苦しい人間になる。行きつく先は感性も著しく無責任で自分中心にしか考えられない偏屈な老害である。

 「自分で考えて判断すべき場」や「想定外の場面」や「自分と全く関係性のない世代・柄・境遇の人と一緒になったとき」に何もできないというちっぽけで愚かな人間になってしまう。

 

 このヤバさ。深刻な世の中の課題として考える必要があると思う。

  私はエリートであれヤンキーであれニートであれ、自分をしっかり生きている祖国日本の若者たちともっと知り合いたいし、仲良くなりたいし、友人知人はみんなそんな人たちに恵まれて、とてもよかったと思っている。