ボン兄タイムス

社会、文化、若者論といった論評のブログ

平成生まれと戦争世代の共通点

 平成生まれとその祖父母にあたる戦争世代の共通点はいくつもあると思う。

 

 ①同級生に外国人がいる

 尋常小学校卒の祖母の同級生には朝鮮人がいたという。

 終戦まで、日本はアジアや太平洋地域に植民地を持っていたため、異なる文化を有し、異なる肌の色をした同じ言葉を喋る仲間が同級生にいたのだ。当時は同化政策で「日本の一地方」だった。

 

 これは平成生まれも同じだ。

 平成元年以降、バブル経済絶頂の中でわが国は外国人労働者を多数受け入れるようになった。その子が同級生となっているため、クラスメイトにブラジル人やフィリピン人が当たり前にいる。

 現在の日本には同化政策はないが、彼らは日本で生まれ育っている以上、肌の色や名前は日本的でなくても、流ちょうに日本語を喋り、日本文化を熟知している。 

 

 同級生に「日本生まれ日本育ちの日本人」しかいない中年世代とは違うのだ。

 

 ②多感な時期に「本物の異文化」がたくさん入った

 戦争体験世代は、若い頃や子どもの頃に終戦を迎え、それ以来アメリカ統治時代を7年経験している。

 三つ子の魂百までと言われているように、「ギブミーチョコレート」の思い出は一生続くのだと思う。貧しい時代に米兵からねだったお菓子は相当美味しかったんだろうし、ハリウッド映画やロックやジャズにハマった。これがバブル期のメディア文化や消費文化のベースになっている。

 

 平成生まれも同じである。

 子どもの娯楽といえば「オモチャとアニメ」だが、この体験が海外被れている。

 若者が幼かった1990年代~2000年代初頭は日本にトイザらスが進出し、そして全国展開した時期だ。

 パパ・ブッシュがはるばる奈良の1号店のオープン記念式典に来賓としてやってきたほどには外圧の影響を露骨に受けており、店内はアメリカ方式の店づくりである。入り口と出口が分かれていて、レジ構造も日本離れしている。アメリカの玩具やお菓子がいくらでも売っている。ハローマックや地元の古臭いおもちゃ屋は飽きられて潰れてしまった。

 都市部に限られるかもしれないが「本場式の外食」に慣れ親しんだのものこの世代だ。ファミレスチェーンならばシズラー、レッドロブスターなど。デニーズもまだまだアメリカ風味があってケイジャンジャンバラヤなんかを売っていた。ファストフードチェーンならクアアイナとか。

 また、スカパーやJ:comが普及した世代でもある。幼い頃に「カートゥーンネットワーク」がやってきて、海外カートゥーンはいくらでも見ることが出来た。カナダのCGキャラのデザインが気持ち悪い作品や、おフランスのゴキブリが主人公の作品、最新作から戦時中の作まで無数のアメリカのカートゥーンを、放課後や休み時間に見まくった。

 小学生時代にXBOXという「黒船」が襲来し、洋ゲーをたくさんやった世代でもあるし、さらにいえばデジタルネイティブであり、ウィンドウズやマックなどの鬼畜米帝のコンピュータを用い、鬼畜米帝の軍事回線が発祥であるインターネットにアクセスし、国境意識はあまりない。散々そういう経験がベースにあるから、ガラケーmixiをやるようなチンケな中年感覚を持たず、海外製スマートフォンFacebookTwitterに早いうちから慣れ親しんでいる。

 

 

 一方、中年世代にとって若い頃や幼い頃の「異文化」は、日本ナイズされたものが大半だった。

 テレビで放映されるハリウッド映画は、自分たち親世代の声優がメチャクチャな吹き替えをやっていたし、映画本編よりも日本人解説者の「いやー、映画って素晴らしいですね~」というダベりの方が思い出に残っている。

 マクドナルドは本場ではマックダーナーと発音するが、それでは言いづらいからと藤田田はわざわざ名前を変えたし、イメージキャラクターも「ロナルド」ではなく「ドナルド」に改名させられた。ハッピーミールはハッピーセットに言い換え、フレンチフライはフライドポテトと称されて無料サービスのケチャップも廃止されるなど、日本化を極めている。

 そしてこの中年はだいたい田舎の生まれで、「本場の海外文化」を求める人だけが都会に出た。都会に適応できない人間は都落ちをした。寅さんの時代丸出しな昭和田舎と対照的なバブリーな大都市東京は「ハレ」の場である。

 GHQが日常生活に上がり込んだ戦争体験世代や、トイザらスが家の近所にやってきた若者に比べ「閉鎖的な島国根性」に陥りやすい理由はまさにこれじゃないかと思う。

 

③国柄がいったん終わっていることを経験している

 政治的には戦争体験世代は明治時代から約80年続いた「大日本帝国」が終わったのを経験した世代である。さらに「基幹産業の転換」も経験している。幕末以来富岡製糸場に象徴される生糸産業が戦後に廃れ、その後の重工業製品中心の国柄へ変貌する様を実体験している。自分たちの上の世代はかつて帝国議会衆院議員だった赤尾敏が数寄屋橋で辻舌鋒をする老右翼になったりするくらい変わり果てているのが当たり前だ。

 

 若い世代は生まれた頃や生まれる前にまずバブル崩壊している。さらに、55年体制も崩壊している。私が物心ついて最初に認知した首相は村山富市で、当時は社会党政権だった。民主党政権もあったから中年のような「自民党=政権与党」と言う固定観念もない。戦後の左翼も右翼も終わっていると考えている。

 公務員のように絶対に安泰だと言われていた金融業が破綻しまくる様子も池上彰のこどもニュースでしっかり学んでいて、さらには戦後の基幹産業である製造業がダメになっていることも気づいている。若者にはソニーといえばゲーム機の印象しかなく、トリニトロンテレビやウォークマンのようなブランド信仰はない。ソニープラザ銀座のソニービルも知らない。

 社会構造がなんとなくわかってくる小学生の頃には終身雇用や年功序列は完全に終わっていて、お父さんはずっと出世しないか、出世する度にげっそりしており、同じ轍は踏みたくないと思っている。いざ大学を出て就活する頃には新卒一括採用制度すら限界になっていて、大企業は先細りで中小企業だってブラックばかりである以上、同じ轍を踏みたくても無理なんじゃないかと悟っているさとり世代でもある。

 

 中年世代の場合は、生まれた頃には自民党全盛期。テレビ(全国放送)は家庭に普及していた。戦後日本のベースとなる政治・産業・社会構造はあらかたそろっていて、全国どこの度の社会階層の日本人も同じ生活と常識を共有するような虚構としての「国民総中流」を真に受けていた世代だ。

 この世代は炭鉱業が廃れていることは経験しているが、たとえば親(戦争体験世代)が夕張の三菱鉱業(現三菱マテリアル)に勤めていても、子は上京後に三菱自動車やその関連企業に勤めるなどした。炭鉱も自動車産業もどちらも労働集約産業と言う点では同じで、少なくとも親の時代の「財閥解体」や「膨大な植民地からの撤退」ほどの衝撃はなく、なぜ長崎に原爆が落とされたのかも、三菱重工爆破事件をなぜ極左暴力集団が引き起こしたのかもさっぱりわかっていない。でも、自分と親父と同じように会社から帰ると黙ってサッポロビールを飲みながらテレビで巨人戦のナイトゲームの中継を見たりしていた。

 ④「階層社会」としての日本の自覚がある

 戦前の日本は、帝都東京に権限と富を一極集中させる中央集権国家だった。そのため、最大限に利益を享受するのは東京で、次いで国内の主要大都市、国益上の拠点都市、国内地方部、植民地という順番があった。

 その上、今のアメリカや中国のように、富める者は成金化し、貧困者は貧困である状態が当たり前であった。明治から戦後期まで南北アメリカに渡った日系人は福島・広島・沖縄などの貧しい農漁村出身者が大半である。農村部で自活できない人は、都会に出稼ぎに出るか、一念発起して日系人になるか殖民地に渡って拓殖に尽力した。

 

 

 平成生まれ世代の日本には植民地はないが都市と地方はもう外国みたいに異文化になっている。生活様式や文化や暗黙の了解がとにかく違う。過剰なモータリゼーションもあいまり、日本の地方は「アメリカのバイブルベルト白人層」 にそっくりになっている。地方の若者も東京が異文化であることに気づいている。その上、バブル崩壊後に産業構造が一変したことのあおりで、地方だろうと都市部だろうと格差社会も当たり前だ。

 

 

 中年層は別である。

 彼らが生まれ育った時代は、たとえば青森県弘前市も東京都町田市も、市街地は同じような商店街が広がっていた。同じような映画館があり、デパートがあり、銀座通りがあった。80年~90年代には、駅前にヨーカ堂が出来て、ロードサイドにデニーズができた。みんながみんなドリフを見たり、ゴジラの新作映画を見て、クレヨンしんちゃんの野原ファミリーのような家庭が地方でも当たり前だった。

 そうしたものが怒涛の勢いで取っ払われたのが平成以降の20年だったが、東京の中年はほぼすべてが田舎の出身で、田舎の中年も上京経験者が一定数おり、中年層のお金持ちもバブルの勝ち馬に乗っただけで家柄が裕福だったとは限らず、根っから裕福でも俗な大衆文化で育っているため、「過去の体験は同じ」であることが、中年層の階層社会の無自覚の元凶になっている。

 

 

 

◇◇◇ 

 「失われた20年」がなぜ失われ続けているかというと、簡単な話。中年がウブなのである。

 異国の文化やデジタル化のような「既存の常識を脅かす新しい概念」に抵抗を抱え、そのような概念にさらされることでどんどん既得権を剥がれて老後の安定を確保するのに必死なのがいまの団塊以下40代にかけての世代なのだ。

 古臭いだけの中年から学ぶことは何もない。彼らは決まりきった仕組みの上に動かされるだけだし、いま韓国のソウルの若者や上海のお金持ちの若者が享受しているような軽薄かつ古典的な「成金バブル文化」以上の文化を彼らは受け入れられない。それらすら築いたのは戦争体験世代である。

 

 

 韓国の若者が10年後、20年後どうなっていくのかは自分たちの親世代が既に身をもって示している訳だから、「サムソン電子の躍進が日本経済を脅かしている!」みたいなネトウヨの被害妄想に陥る必要はない。自分たちの親世代を反面教師にした道筋を歩むことで、バブル日本の追随者のようなアジアの新興国と一線を画した日本社会を形成していくことが重要なのだ。

 

 われわれ平成生まれ世代が大切なのは、今亡くなっている戦争体験世代からの温故知新と、日本より早いうちから模索時期に入った欧米先進国(特に明治以来日本が手本としたイギリスや戦後手本としたアメリカ)がどう新しい潮流を生んでいるかをつぶさに観察し、積極的に取り入れることだ。

 私は就職活動に失敗したが、運よく立派な企業に勤めている若い人も、中年世代から学べることは何もないので、彼らが第一線を退いて自由度が増した時にどう振る舞うかを考えた方がいいのだ。