月に一度は最低限「校長だより」を発行しようと思っていたのですが、7月は忙しさにかまけてスキップしてしまいました。何名かの方から「どうかしたんですか?」という気遣いの言葉をいただきました。ありがたいことです。
昨日(8月5日)まで、私は千駄ヶ谷の東京体育館に行っていました。インターハイに出場したバレーボール部の応援です。今回はバレーボールだけでなく、アーチェリーや陸上部もインターハイの出場が決まり、つい最近は水泳部のインターハイ出場も決まりました。バレーボールについては46年ぶりのインターハイ出場だそうです。今回は日程的に可能なバレーボール部の応援に参加しました。
昨日の試合でバレーボール部は見事8位入賞を果たしました。3日に行われた1試合を抜かしただけで計4つの試合を観戦しましたが、それぞれ強豪校を相手にした手に汗にぎる試合でした。ある親しい校長には「まあ初出場といえる出場で8位以内に入るなんて奇跡みたいですな」と失礼(?!)なコメントまでいただきました。
さて7月には何といっても7月27日の中高同窓会の100周年があり、太閤園の大きなホールが500名近い人たちで埋まりました。後からの申し込みは会場の関係で断らざるを得なかったとのことです。
同窓会前から本格的に始めたフェイスブック(と云ってもまだ使い方もままならないのですが)にも書いたことですが、その会場では、余り懐かしくない顔(いつも顔を合わせている本校教職員)は別にして、多くの懐かしい顔に出会うことができました。本当に盛大で活気あふれる桃山らしい記念式典でした。その式典では本校卒業生の7代目月亭文都師匠(1960年生まれ)を初めとする落語も聞かせてもらいました。式典終了後は、私と同期(66期生)の同窓生達と場所を移しての宴席となりました。同窓生というのはありがたいもので、会えばすぐに「オレ、オマエ」の関係に戻ります。また既に「先に逝ってしまった」同窓生達の話しにもなります。またその宴席でもやはり「お前、なんで伝統ある男子校の桃山を共学にしたんや」という無理解にして頑迷なコメントをもらいました。また反対に「やあ、今日の同窓会は多くの女子の卒業生達もいて実に華やかやったなあ。男女共学バンザイ!」という理解ある好意に溢れたコメントももらいました。
その2日後には私が顧問をしている「OSAKAあかるくラブ」の5周年及び新理事長就任パーティーがありました。もともとOSAKAあかるクラブは私と同じ66期の卒業生であるやしきたかじん氏が「もっと大阪を輝かせようやないか!」という大阪への熱い思いと酔っ払った勢いで始めた会であります。今ではサンタクロースの格好をして走るサンタランなどの活動で有名になってきています。あかるクラブのメンバーからは「サンタランは歩いてもいいので、先生も参加しませんか」という実に失礼な誘い方での誘いを受けています。その新理事長には私が担任をしていたF君がなりました。F君は大手広告会社での重職に就いていますが、たかじん氏からの信任も厚く、公私にわたって可愛がられていました。新理事長就任もたかじん氏の体調が悪くなったとき「F、おまえやれ」ということで決められたそうです。
閑話休題
このページの前文で私は「フェイスブックに書いたことですが」と云ってしまいました。実は7月の終業式の校長挨拶で「私は時間がもったいないのでフェイスブックもラインもしていない」と生徒達に述べたにもかかわらず、です。言い訳をしますと、実はフェイスブックには「時代に乗り遅れますよ」という知人の言葉にまんまと乗せられ、数年前に登録をしてしまいました。ただ登録はしたけれど、今回の中高同窓会100周年があるまで「ほっとらかし状態」にしていました。それを懐かしい卒業生達に100周年を知らせるために今回を機に再開をした訳であります。おかげで「OSAKあかるクラブ」で撮られた写真(バカ殿の格好をした新理事長とのツーショット)まで掲載され、恥ずかしい思いをしています・・・・。
終業式で全生徒に対して話した「校長あいさつ」を載せておきます。タイトルは「ロバの話」です。
<終業式でのロバの話>
今日はロバと老人とその孫である子供の話をします。この話はもう既に皆さんにした話かもしれません。もし既に話した話だとしても初めて聞くような感じで聞いてください。
以前、担任をしていて何かの話をしたとき「先生、その話は2回目ですよ」とか「3回目ですよ」と教えてくれる生徒がいました。そういうとき、私は「君、人間年を取ったら記憶が薄れ同じ話を何度とするもんや。そんなときは優しい気持ちになって、初めて聞くような態度をとることが大事なんや。家でおじいちゃんやおばあちゃんの話を聞くときには、例え同じ話でもそういう優しさを持たんといかんよ」と言ったりしました。まあ、私の場合、若い時でも同じ話はよくしてはいました。またそういったことを指摘した生徒には時として「同じ話でも、以前話したときと季節も温度も湿度も雰囲気も違ってるはずやから、また違うふうに聞かなければならない」と言ったりもしました。(ここで私は「多感な高校生のときに読んで身も打ち震えるほどの感動をした本も、オッサンになって読むと「何じゃ、これ」という場合もある」というような話もしたような記憶があります・・・)。
話を元にもどします。ある時、老人と少年がロバを連れて遠くの町に買い物に行きました。その途中である村を通りかかった時、その村の人達が「あの人たち、頭がおかしいんじゃない、どちらかがロバに乗っていけば楽なのに」と言って笑うのが聞こえました。そこで老人がロバに乗りました。するとまた違った村に通りかかり、そこの人達は「なんてひどい老人なんや、自分はロバに乗って、あんな小さい子供を歩かせるなんて」と言っているのが聞こえました。そこで今度は子供をロバに乗せました。すると次の村で出会った人達は「なんてひどい子供なんや、あんな老人を歩かせるなんて」と言っていっているのが聞こえました。そこで今度は老人と少年の二人がロバに乗りました。すると次の村で出会った人達は「あの老人と少年はなんと残酷なんや。二人もロバにのってロバが可哀想や」と言うのが聞こえました。そこで二人はロバをおりました。そこで老人は一言「やれやれ世の中みんなをみんな満足させることはできやせん!」と言いました。そこで二人は疲れ果てトボトボと家に戻りました。
さてこの話で私は何を云おうとしているか分かりますか?
フランスのサルトルという哲学者は「他者のまなざしは地獄を作る」と云っています。さて、どうでしょうか。「他者のまなざしは地獄を作る」という意味は分かりますか?要するに(要約し過ぎですが)「人の目ばかりを気にしていてはアカン」ということです。「人が自分をどう思うか、自分は皆からどう思われるかばかり気にしていては、お互いに辛くてしんどい状態になってしまう」ということです。
特に日本では「仲間と同じ」ということや「みんなと同じ」ということに重きが置かれていますが、そればかりを気にすると結局は自分自身の人生を苦しめてしまいます。自分自身の内在的で主体的な成長がありません。どこかで自分は自分であるというあり方や生き方が大切です。
なぜこのようなことを話したかというと、前にも述べたことですが、最近の若者達の多くはラインなどでの関係に疲れているからです。いわゆる既読スルーしたり返事が遅れたりすることが、大変なことのように思っていて、仲間にどう思われるかが気になって、結局はお互いに足を引っ張り合っている状態にもなっている、さらにはライン外しということでイジメや仲間はずれの原因になったりもしていると云われているからです。まったくくだらないことだと思っています。
そういう意味では、あえて、時間がもったいないのでスマートフォンをもたないとか、お互いに気を使い合うのがいやなのでラインをしないという生き方をしている若者達は、実に見込みがあります。またお互いにルールを決めてラインをしている若者達も、結構見どころがあると思います。
なるほど友達は大切ですが、本当の友達というのは単に噂話やお喋りを楽しむだけの友達ではありません。まして簡単に仲間になったり仲間外れにするような関係ではありません。足を引っ張り合ったりするのも本当の友達ではありません。それは友達というより単なる仲良しごっごのおしゃべり仲間です。おしゃべり仲間の仲間内だけの話と云うのは、たいがいは超ミクロのどうでもいいような低次元の話題が多いように思います。そういう仲間内ではウクライナやイラクで何が起こっていようと興味なく、好きな人とだけ会話し、流行ってる音楽だけを聴き、他人がすごいよという記事や写真だけをチェックし、みんなが行くところだけに行くという非常に狭い世界に入ってしまうのです。ネットの世界においても同じことが云えます。ネットやラインは狭い世界に人間を閉じ込める危険性があります。私も敢えてラインもしませんしフェイスブックもしていません(⇒前述したように卒業生と連絡を取るためフェイスブックを始めたので、この部分は訂正しなければなりません)。
例えばナイアガラの滝という有名な滝がありますが、それをネットで見ても、全くナイアガラの滝を体験したことにはならないのです。直接、バスで行ってみて、バスを降りた所の遠くから足元に伝わる地響きを感じ、遠くから飛んでくる水滴を肌に感じ取りながら、滝に近づいていき、そして巨大なナイアガラを目の当たりにナイアガラの存在を5感で感じ取って初めてナイアガラの滝に出会うのです。人との出会いも同じです。人を真に理解するには、その人と向い合わなければなりません。その人に関するネットでの情報をいくら集めても、その人の表面しか知ることができません。またいくらラインなどで関係を構築しても、すぐに壊れる表面的な関係でしかありません。
私は常に、真の友人とは、ただ単に愚痴を云い合ったり、人のうわさ話をしあったりするのではなく、直接面と向かいあって、哀しいことがあれば共に泣き、嬉しいことがあれば共に歓び、共に励まし合い、共に互いの成長を促し合うのが真の友人だと思っています。
今日から皆さんは夏休みに入りますが、どうかラインなどで時間を無駄にするのではなく、ましてやイジメを助長するような関係を構築するのではなく、しっかりと主体的に自らを鍛え、自ら考え、自ら学び、自らこの夏休みを充実させたものにしてもらいたいと願っています。高3生の皆さんは入試に向けて、悔いのない勉強に今いっそう励んでください。
これで私からの挨拶を終わります。