7人乗りのビジネスジェット機「ホンダジェット」の離陸が秒読み段階に入った。2015年1〜3月には品質の「最終証明書」である米航空当局の型式証明を取得できる見込みで、ついに顧客への引き渡しが始まる。ホンダが航空機の研究開発に着手してからおよそ30年。「創業者の夢がかなう」と語る向きは多いが、ホンダ エアクラフト カンパニーの藤野道格にとってホンダジェットはずっと、「現実」だった。
一番近くで顔を見たのは、会社のトイレですれ違った時だった。「飛行機の話は外ではしてはいけない」と上司に言われていたから、声は出さずに、お辞儀だけした。
これが、ホンダ エアクラフト カンパニー社長の藤野道格が覚えている、ホンダの創業者・本田宗一郎との接点だ。具体的な年号こそあやふやだが、当時の藤野は若い技術者の1人。年の54歳離れた創業者と「飛行機談義」に花を咲かせるなんてことは、あるはずもなかった。
そのためかもしれない。外野が「創業者の夢がかなう」とはやし立てるのとは裏腹に、藤野にとって飛行機作りはずっと「すごく現実的なものだった」。例えるならば、米ボーイングに「777X」の開発を「夢」と語る社員がいないのと同じだ。彼らが目の前の現実として新型機を作るように、藤野は「ホンダが誇れる飛行機を作ること」に、約30年間、対峙し続けてきた。
夢ではなく、現実。
藤野のこうした意識こそが、多くの人が懐疑的だったホンダの航空機開発を1つの事業に昇華させたといっても過言ではない。ホンダが基礎技術研究センターを設立し、藤野が数人のメンバーとともに航空機の研究を命じられて渡米したのは1986年。藤野はその後、97年にホンダジェットのプロジェクトリーダーになり、2006年からはホンダ エアクラフト カンパニー(ノースカロライナ州)の社長として、ホンダの航空機事業を率いている。
30年の間にはもちろん、幾多の逆境があった。乗り越えられたのは、藤野が幼少期から抱いていた「人を驚かすモノを作りたい」という思いの力が大きい。けれど、それだけではない。相手を「現実解」で説得し、航空機の開発を押し通す胆力を藤野は持ち合わせていた。
1つの例が、日経ビジネス11月24日号「日本の革新者2014」で紹介した2008年のリーマンショック直後のエピソードだ。航空機事業からの撤退に傾くホンダの経営陣を説得する際、藤野は「創業者の夢」という金言に一切頼らず、「現実」を直視した。稼ぎ頭だった北米での販売不振で苦しむホンダの状況を把握したうえで、航空機のプロジェクトを継続させるための事業プランをひねり出した。
その姿はホンダという大企業の一部門というよりは、投資家に期待を抱かせて資金を調達するスタートアップの姿に近い。
2014年11月28日(金)午後5時から東京・港区のコンラッド東京で、「第13回日本イノベーター大賞」の表彰式を開催します。「ホンダジェット」の開発を指揮し、大賞を受賞したホンダ エアクラフト カンパニーの藤野道格社長に加え、日本酒「獺祭(だっさい)」を世界に広めた旭酒造・桜井博志社長、斬新な電動車椅子を開発したWHILL・杉江理CEO、量子コンピューターの中核技術となる原理を考案した東京工業大学・西森秀稔教授、「近大マグロ」の完全養殖技術を確立した近畿大学・塩崎均学長および同大学・宮下盛水産研究所長が登壇予定。受賞者の講演を無料でお聞きいただけます。詳しくは日経ビジネスオンラインのサイトをご覧ください。