結構有名な方なのだろうか?
知ってる人は知っているだと思うが、私はこれが最初の出会いです。
ふと本屋である本が目に留まった、東田直樹(ひがしだなおき)著の「跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること」である。
この東田氏は、会話が出来ず(困難)に寄生や雄叫びをあげたり、はたから見れば不可解な行動やしぐさ(跳びはねたり、同じ動作を繰り返したり、予期せぬ動作を起こしたり)をとってしまう、重度の自閉症(自閉症スペクトラム)の方です。
自閉症と言っても症状は様々であり、また重度・軽度によりこれまた症状はいろいろと変わってきます。つまり自閉症といっても多様にわたるのです。
東田氏は、重度の自閉症でありながらも執筆活動を行い、講演会(海外含む)もされているとのことです。
この自閉症である本人からの言葉は、他の同じ境遇で悩み・苦しまれている人たちにとって、どれだけ理解が深まり、勇気づけられることかと思います。
「跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること」
この本は、そんな東田氏の「思い」や「思考」が綴られており、重度の自閉症である自分自身が普段どのようなことを考えているか、そして自分の自閉症たる症状についてとても解りやすく書かれています。
それは自閉症のことをもっと理解してもらおうという意味合いでありながら、本を読んでみるとその思考の高さに驚きです。
驚きというのは、(大変失礼かもしれませんが)自閉症者の方が定型発達者(いわゆる普通の健常者のことを指すらしいです)の思考のそれと何ら変わりがないこと。そして変わりがないどころか、考え方や人生観など人間の哲学的な要素が素晴らしく、多くの深い気づきをもたらしてくれます。
重度の自閉症という想像も出来ない孤独と苦労を味わってきたからこそ、そしてそんな自分自身と常に向き合ってきたからこそ、たどり着ける思考だと思います。
そして更に付け加えると、その考え方を伝える言語能力が高いということ。人によるかもしれませんが、この本はとても読みやすく、それでいて解りやすい内容です。
「僕と自閉症」
「僕と自閉症」とは、本の第一章となる題となっている部分です。
この中で、自閉症である東田氏が、自閉症(自分のこと)について書かれています。
その内容を少しだけ紹介します。
(※引用の記述は本の文章をそのまま転載したものではなく少し変えています)
自閉症である自分は周りの視線に踊らされていると。
周りの人たちの刺すような視線がとても恐怖である。それは目に見える行動がみんなとは違うせいだから。まるで原始人のようだと自分でも思っていると。
そして、人の目に映る自分の姿を想像すると、この世から消えたい気分になると。
自閉症である自分の記憶は、線でつながらず点のようなものであり、それは何年も前の記憶も昨日の記憶も変わりはないと。
失敗をしたことは覚えていても、その内容や原因、すべき対処などの記憶がつながらないのだと。
自閉症である自分は挨拶が上手にできないのだと。
それは人も周りの風景も同じように目に飛び込んでしまうからだと。
人を区別して挨拶をすることは本当に大変なことであると。
自閉症者とは、見た目の言動が不可解であるとすれば、心(思考)も同じように不可解である、という誤解を一掃される内容であります。
つまり「心」には病の症状は無いのです。(※もちろん個人差はあるかと)
自分の言動を、自分の心が客観的に観察しているのです。
そして、はたから見たら不明な言葉が出てきたり、連呼されたりするのは、「つい出てしまう」と書かれています。
その言動についても、「どうすればいいのかを自分で決められない」「まるで壊れたロボットの中で操縦に困っている人のようだ」と書いています。
何かが一瞬でも気になってしまえば、無条件にその一点だけにしか意識が向かなくなってしまったり、決められた行動を取らなければ「落ち着くことが出来ない」「不安でしょうがない」などがあるかと思います。
この本を読むとわかりますが、周りの人からの問い掛けに対しても、話を聞いていられなくなったり、そもそも聞いているのかさえも理解されない場合が多々あるかもしれませんが、実はしっかりと聞いており(意識が他に向かなければ)、整理して内容を考察していることがわかります。
ただ、心(思考)と言動がバラバラなだけであるということ。
つまり、例え「心」が周りの人たちや社会と協調して上手く関わっていきたいと思っていても、「身体」や「脳」がそれに従ってくれないという感じでしょうか。このように書くと誤解を招きそうですが・・・
きっと心と身体が常に戦っているというわけではなく、どちらも自分の欲する言動と思考なんだと思います。ただコントロールが難しいだけだと。
このような自閉症者の思考についての内容を知らないのは、私が単なる無知なだけかもしれません。
しかし、いわゆる発達障害(障害という言葉は好きじゃありませんが)と呼ばれている人たちのことを世間はどれだけ理解しているでしょうか?
そう思うと私自身何とも恥ずかしい思いがします。
本の中で「どうして自分だけが当たり前のことが出来ないのか」と落ち込み、それでも何がつらいかというと、出来ないこと以上に、「出来ない気持ちがわかってもらえないこと」とあります。わかってもらえて何かをしてほしいわけではないと。
これは、自閉症者に限らず、人間誰しもが思うことかもしれません。
それでも自閉症者にはほど遠い、「理解の壁」と「自分の居場所のなさ」を痛感されていることだと思います。
まずは、「何が出来るか?」よりも「理解すること」が最優先なのかもしれません。
その病気と言われる症状や特徴を理解することも大切です。その人たちにどんな援助が出来るかも大切です。そしてその人たちが普段どのような気持ち・思いでいるのかを理解するのも大切なんですよね。
東田直樹氏のオフィシャルサイト・ブログです。
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