その後もジャッキー・ロビンソン、トム・シーバー、カル・リプケン・ジュニア、ジム・パーマー、ジョニー・ベンチ、ピート・ローズ、ジョージ・ブレット、ウィリー・メイズらが次々に来日している。あのバリー・ボンズは4度も日米野球に参加。ランディ・ジョンソン、ロジャー・クレメンスら米球界を代表するエースも訪れた。改めて振り返ると、将来、野球殿堂入りを果たすような選手が毎回、それなりに顔を見せていたのである。
■日米野球は魅力的なものと映らず
では今回、なぜこうしたメンバーになったのか。理由は一つではないだろうが、スーパースター選手に日米野球が魅力的なものと映っていない事実がどこか透ける。
先月、78年にレッズの一員として来日したジョニー・ベンチに日米野球の思い出を聞いた。彼は「日米野球は1年間頑張ったご褒美のようなものだと考えていた」と話した。当時は選抜チームではなく単独チームの来日だったが、70年代のレッズは史上最強チームとも言われ、75、76年とワールドシリーズ連覇。2年後に日米野球出場が決まったとき、「やっと呼ばれたという思い」だったそうだ。今、そういう言葉を口にする選手はいない。
日米野球の意義を考える選手も減ったのかもしれない。81年に来日したのはロイヤルズ。そのときの主力選手だったジョージ・ブレットは9月に取材したとき、「日本の野球、日本の文化に触れて、かけがえのない経験ができた」と教えてくれた。
現在はロイヤルズの副社長だが、今回ロイヤルズから4人(ジェレミー・ガスリー、サルバドール・ペレス、アルシデス・エスコバル、エリック・クラッツ)も参加していることは決して偶然ではない。ブレット副社長はこうも話していたのだ。「できるだけうちのチームの選手を行かせたい。その経験はきっとその後の野球人生にとってプラスになるからね。自分がそうだったように」
■行きたい選手に球団側が「待った」も
今や、球団フロント職にある人間が彼のように考えることはまれ。故障などを恐れ、できるだけ行かせたくないというのが本音である。選手が行きたいと思っても、球団側が待ったをかける例は少なくない。
日米野球は2006年を最後にしばらく行われなかった。日本のプロ野球選手会が「日米野球は役割を終えた」と、存続意義そのものを問いかけたからだ。今回は「侍ジャパン」の興行という意味合いを持たせて復活させたものの、その間に大リーグでは世代が変わって日米野球の良さを知る選手が減り、多くのチーム関係者が逆に存在意義を疑うようになった。
そこで生まれたのは、日米の温度差か。プホルスらスター選手の欠場は、そのことを象徴しているようにも映る。かつてのようなイベントに戻すには、少し時間を要するかもしれない。
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