さっそく22日、カブスのリグレーフィールドに遠征していたジョーンズの元へ行き、話を聞いてもいい?と尋ねると、「おう、もちろんだ」。いつもは「ちょっと電話をしなきゃいけない」「打撃練習をしてからだ」などと、のらりくらりと逃げようとする彼(それでも結局は取材を受ける)が、この日は二つ返事で取材を了承した。
■ジョーンズも参加で浮かれていたが…
ただ、彼はあまのじゃくなところがあって、まともには答えない。友人らから日本はどんなところだと聞いているの? 「日本に行った選手はみんな『シャワーヘッドが低いから、頭をぶつけてしまう』って言うんだ。それを確認したい」
相変わらずだが、日本行きが決まったことには、どこか浮かれていた。「俺の日本語がどれだけ通用するか、向こうで試そうと思っている」。その彼が一番好きな日本語は「アイシテル」。ところが、そのジョーンズも9月終わりに会って「日本で会おう」と声を掛けると、「ちょっと分からない」とトーンダウンしていた。「シーズンが終わってから体が疲れていると感じたら、(辞退も)考える」。彼は結局、来日直前に出場を辞退した。
1次メンバーに入っていたアルバート・プホルス(エンゼルス)も同様だった。9月終わり、「話を聞きたい」と伝えると「何の話だい?」と逆に問うので、「日米野球について」と答えると、顔を曇らせた。
「今、はっきりしたことは言えない」。疲れを考えて?と聞くと、「まあ、そうだな」と曖昧に答えた。彼の欠場もしばらくして発表されている。
■顔ぶれ、オールスターにはほど遠く
もちろん、様々な事情はあるのだろう。体の疲れ、個人的な事情、ケガ、チームから待ったがかかった……。それでもこの3人は今回のメンバーの柱で、「米国でも客を呼べる」選手でもあっただけに、日本のファンを失望させたはずだ。代わって、彼らに匹敵する選手が選ばれたなら話は別だが、そもそも彼らの穴を埋めるどころか、メンバー全体を見るとオールスターとはほど遠く、メジャーにぎりぎりで定着しているような選手もいるありさまである。
過去と比べると、その点でさらに寂しさがある。1934年の大会など、ルー・ゲーリックとベーブ・ルースが同時に来日した。51年にはジョー・ディマジオ、ドム・ディマジオ兄弟が参加し、55年にはミッキー・マントル、ヨギ・ベラら、誰でもその名を知る選手がメンバーに名を連ねている。
今回の日米野球、米メディアの興味が薄かった。いや、当初はそうでもなかった。
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