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【経済インサイド】
「日亜」を再び怒らせ、硬化させたノーベル賞中村氏の“一言”…「和解提案」冷淡拒否した日亜の“怒り”はどこに
ノーベル物理学賞の受賞が決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校(UCSB)の中村修二教授と、青色LED(発光ダイオード)を巡る訴訟を争った元勤務先の日亜化学工業(徳島県阿南市)の確執が“第2幕”に入っている。中村氏は受賞を機に「けんかしたまま死にたくない」と和解を呼びかけ、共同研究の可能性にも言及。だが、日亜側は面会さえも拒み、態度を硬化させたままだ。背景には、日亜の経営層やLED市場をめぐる複雑な事情が絡み合い、和解の光は見えない。
日亜創業者からの支え
発端は中村氏が11月3日、文化勲章親授式後の記者会見で、「お互い誤解していた過去は忘れましょう」と提案したことだ。
これに対して日亜は翌4日、「歴代社長や会社への深い感謝を公の場で述べておられ、弊社といたしましては、それで十分」とコメントし、冷淡な対応に波紋が広がった。
日亜化学の“拒否”の姿勢にはさまざまな見方があるが、ノーベル賞受賞後の記者会見で中村教授が日亜化学などを想定し「怒りがすべてのモチベーションだった」と発言したことが、態度を一層硬化させたとの指摘もある。
昭和54年に日亜に入社した中村氏は、実用に耐える技術が「20世紀中の実現は困難」と言われていた青色LEDを開発を直訴。平成5年に製品化に世界で初めて成功したが、それを支えたのが日亜の創業者、故小川信雄氏だ。