・楽園追放感想
さて、楽園追放の視聴感想について少し纏めてみようかと思う。本来ならばtwitterの呟きで纏めを記載していたが、今回はネタバレに対して敏感になる
楽園追放については、私自身正直不安ではあったが、いざ梅田ブルクへ足を運んで見るや否や、参りました!と感服してしまった。私自身大長編の劇場作品は苦手だとは何度か述べたが楽園追放は時間の流れを忘れてしまうほど画面にのめり込んでいた。ロボットものの大長編映画では正直初めて私が良いと思えた作品だった。
楽園追放については恐ろしい程分かりやすい内容だった事に良い意味で裏切られた。正直私はアンジェラと呼ばれる釘宮さんのヒロインと、球体状のロボットアーハンぐらいしか予備知識はなかったが恐ろしい程頭の中に物語が入ってしまった。
楽園追放の物語を概ね纏めると、電脳世界ディーヴァへとハッキングを仕掛けるフロンティアセッターと呼ばれる謎の人物を調査する為に保安官アンジェラが地球へと降り立ち、地球上のエージェントディンゴと協力してフロンティアセッターを追う事が前半の流れだ。
その際にエリート至上主義のディーヴァと秩序のない地球での価値観でディーヴァとディンゴは衝突をしながらも絆を深め、そしてフロンティアセッターが人工知能でありながら人間臭い感情を持ち、彼等は外宇宙に人類の新天地を開く計画へディーヴァからの協力者を募るも、高官達の許可を得られない為にやむを得ず非合法なハッキングで民衆を誘っていたに過ぎなかった事と。だが、事情を知ったアンジェラはディーヴァへ帰還してフロンティアセッターに敵意はないと高官に報告すれば、高官たちはフロンティアセッターの目的を危惧して彼女が破壊しなかった件を追求した挙句、無期限のアーカイブ(拘束)処分を受けてしまう。そこで彼女はディーヴァが牢獄同然だったとようやく気付くのである。
クライマックスとして、フロンティアセッターがアンジェラを地上へと救うと、既に他のディーヴァ保安官達が高官の命を受けてフロンティアセッターの破壊に総力を挙げていた。フロンティアセッターの外宇宙への打ち上げ計画を遂行させる為アンジェラとディンゴは戦う――といった筋書きになると思う。この物語がディーヴァと地球の2つの社会を行き来するアンジェラ、地球に生きるディンゴ、外宇宙へ人々を打ちあげようとするフロンティアセッター、そしてディーヴァの社会を管轄する高官達といった4人(実質3人)に絞って物語が展開されており、余分な描写が存在していない。
……せいぜい、指摘するとしたらクリスティン、ヴェロニカ、ヒルデといった終盤でアンジェラが戦う3人のエージェントの描写がほぼチョイ役程度しかなかった点を挙げる所か。彼女達は劇場で足を運んだ際に発売されていたグッズから主要人物ではないかと私は感じた事と、林原さん、高山さん、三石さんといった中の人の豪華さもあり、「え!?彼女これだけしか出番がないの!?」と思ってしまった。が、せいぜい欠点はこの位しか見えず、べつに本筋に支障はない。仮に彼女達が物語に関わった場合は本編の分かりやすさが阻害される恐れもあり、本編の描写で特に問題はなかったはずだ。
楽園追放は言うなれば管理された社会と野放しな地球との2つの環境の価値観が激突を繰り広げる物語であり、その舞台設定は「メガゾーン23」、もう少し例を挙げると「バルドフォースエグゼ」「BLUEGENDER」等のSF性の強い作品を彷彿させるものがあるだろう。最も楽園追放の場合はそれらの作品が管理された社会が崩壊していく末路に対して、ディーヴァは地球へ降り立つ人々が増えていった事は描きながらもディーヴァの社会に影響はない模様。また、フロンティアセッターの人びとを外宇宙へと誘う計画も結果的に誰も集まらず、アンジェラとディンゴも地球へ残る事を最終的に選ぶ件を考慮すると、必ずしもフロンティアセッターの計画がディーヴァの人々にとって憧れるようなものとも限らないのだろう。この件は管理された社会と野放しな地球のどちらが善か悪かを安易に決めない意図もあったのだろう。
最もアンジェラの視点で物語は展開しており、彼女がディーヴァの管理された社会と違い、地球上では疲れる事もあれば病気になる事もあり、音楽を聴いて楽しむような文化もディーヴァの世界では存在していない楽しみ方に戸惑いながらも何時しか地球の蕎麦を当たり前のようにすする描写まで地球の環境に適合していく過程がテンポよく描かれている。この過程は虚淵氏の作品つながりで「翠星のガルガンティア」のエドを彷彿させるものがあった。そして地球とディーヴァ、どちらが理想の環境なのか全体的な描写では中立を保ちながら展開されているが、アンジェラはディーヴァの世界で満足しているかと思えば、意外と地球の方が向いていたと気付けるようになる個人的なスタンスの描写が並立されて描けており、本編の流れはアンジェラとディンゴへ感情移入がしやすい展開となっていても、異なる形として存在したフロンティアセッターやディーヴァの理想がステレオタイプな悪として扱われていない。第一人者の心情だけでなく、第三者の心情に焦点を当てて考えていく事も比較的容易だろう。
ちなみにロボットバトル要素は本編では特別多いものではないが、前半戦、ラストバトル共々ド迫力のCG描写で繰り広げられているのでそこは目を見張ってほしい。一見恰好悪いのではないかと思えるスーツ・アーハンの動きは手描き顔負けと言っても過言ではない。豪快にサンドアームを殴り倒しあて、空中へ飛び上がって録音システムを借りた一斉掃射でフィニッシュを決める鮮やかな前半戦、フロンティアセッターの武装化された拠点を持ってニューアーハン編隊を相手にたった1機でディーヴァのインターフェイスの協力もなしに抵抗を続ける彼女の気迫に満ちたバトルも物語のクライマックスを飾るにはうってつけ。管理された社会から追放されて自分自身の意地と執念で食らいつく彼女の姿に注目をしてほしい。
楽園追放は3つの社会の中で理想の社会をアンジェラが選び、楽園を追放されるドラマがテンポよく明確なメッセージ性を放ち、80年代OVAのSF路線を好む方ならば私はお薦めしたい。無論アンジェラが新天地の世界へとなじんでいくまでの姿はガルガンティアでなじみがあるものであり、フルCG作画によるガチンコロボットバトルを楽しむ点でも若年層の方にもお勧めしたい出来だ。事前情報は敢えて集めずぶっつけ本番で映画館へ足を運んで見ても特に問題はない。パンフレットは後で購入しても減るものではない。懐かしくも新しい普遍的な刺激をスクリーンで味わってほしいと私も密かに思う。
・東映アニメのロボットアニメについて~マジンガーZから楽園追放まで~
さて、楽園追放の視聴感想の次から長い駄文(上は駄文)とも呼ぶべき自己満足になってしまうが、ここからは東映アニメーション(以下東映アニメ)のロボットアニメについて纏める事にしよう。
東映アニメは「マジンガーZ」でスーパーロボットアニメを定着させ、70年代は「ゲッターロボ」や「大空魔竜ガイキング」などで一世風靡したが、80年代以降手がけたロボットアニメは比較的少ない。実際今回の「楽園追放」も「銀色のオリンシス」から約8年ぶりに製作したロボットアニメとなる。そしてサンライズやAIC、BONESなどといったスタジオのロボットアニメと違って東映アニメのロボットアニメはブランドとして紹介された記事はあまり見かけない。それならば私が纏める事にしようと勢いで挑戦した。以下が今回の記事で取り上げる作品だ。
・マジンガーZ(以下マジンガー、1972.12~1974.9 原作:永井豪/ダイナミック企画)
・ゲッターロボ(以下ゲッター、1974.4~1975.5 原作:永井豪、石川賢/ダイナミック企画)
・グレートマジンガー(以下グレート、1974.9~1975.9 原作:永井豪/ダイナミック企画)
・ゲッターロボG(以下ゲッターG、1975.5~1976.3 原作:永井豪、石川賢/ダイナミック企画)
・宇宙円盤大戦争(1975.7 原案:サクール・バーン、脚色:永井豪/ダイナミック企画)
・鋼鉄ジーグ(1975.10~1976.8 原作:永井豪、安田達矢/ダイナミック企画)
・UFOロボグレンダイザー(以下グレンダイザー、1975.10~1977.2 原作:永井豪/ダイナミック企画)
・大空魔竜ガイキング(以下ガイキング、本家 1976.4~1977.1 原作:中谷国夫(エムケイ)、杉野昭夫、小林壇)
・マグネロボガ・キーン(以下ガ・キーン 1976.9~1977.6 原作:東映動画プロジェクトチーム(オリジナル))
・惑星ロボダンガードA(以下ダンガード 1977.3~1978.3 原作:松本零士、小林壇)
・超人戦隊バラタック(以下バラタック 1977.7~1978.3 原作:池原しげと、小林壇)
・機甲艦隊ダイラガーXV(以下ダイラガー 1982.3~1983.3 原案:八手三郎(オリジナル))※東映本社の下請
・光速電神アルベガス(以下アルベガス 1983.3~1984.2 原案:八手三郎(オリジナル))※東映本社の下請
・ビデオ戦士レザリオン(以下レザリオン 1984.3~1985.2 原案:八手三郎(オリジナル))※東映本社の下請
・トランスフォーマー・ザ・ヘッドマスターズ(以下ヘッドマスターズ 1987.7~1988.3 原案:金田益美)
・トランスフォーマー超神マスターフォース(以下マスターフォース 1988.4~1989.3 原案:金田益美、まがみばん)
・トランスフォーマーV(1989.3~12 原案:金田益美、まがみばん)
・トランスフォーマーZ(1990.7 原案:金田益美、まがみばん)
・ゲッターロボ號(以下ゲッター號 1991.2~1992.1 原作:永井豪・石川賢/ダイナミック企画)
・ガイキング~LEGEND OF DAIKU-MARYU~(以下ガイキングLOD 2005.11~2006.9 原作:エムケイ)
・銀色のオリンシス(以下オリンシス 2006.10~12 原作:東堂いづみ(オリジナル)、企画協力:雨宮ひとみ)
・楽園追放(2014.11 原作:ニトロプラス/東映アニメーション)
※「バビル2世」「ジェッターマルス」「ゼノサーガTHEANIMATION」、資料によってはロボットアニメの延長線上として解釈されるデジモンシリーズ、また下請けとして参加の度合いが曖昧な国際映画社のJ9シリーズや「魔境伝説アクロバンチ」などは東映アニメのロボットアニメとして判断に迷った為今回の特集で対象外とした。
これら22作品の東映アニメのロボットアニメに共通する概念が「義理人情、仁義、親子兄弟愛」といった情に訴えてくる人間ドラマではないかと私は考える。実際、マジンガーZでは演出助手、ダイラガー、レザリオンではSD、オリンシス、楽園追放では企画といった形で長期にわたり東映アニメのロボットアニメに参加された森下孝三氏は優れた脚本としてキャラクターの感情がしっかり表現された脚本が必要と考えられていた。その例として「魔法使いサリー」で「サリーちゃんが火事になった家から子犬を救う際に魔法を使うのではなく、真っ黒になりながらも子犬を救いだす」展開を感情的に納得させる事が重要との例を挙げられていた。……と前置きは長くなったが、ここからは東映アニメの作品群を根底に流れる情のドラマに焦点を当てて延々と述べていきたい。
・マジンガーZと芹川有吾~マジンガーZ~
マジンガーの作風が重点を置いた点としてはマジンガーのパワーアップイベントを始めとした小刻み感覚でイベントを連発させて繰り広げる攻防の連続性にある。1話完結のマジンガーZだが、ジェットスクランダーが登場する3クール頃の展開からはブロッケン伯爵、ゴーゴン大公、ピグマン子爵等の新幹部の登場、あしゅら男爵、もりもり博士の殉職といったイベントが小気味良く刻まれた。マジンガーのパワーアップイベントもボスボロット、ダイアナンAといった新メカ登場イベントと共に、オーバーホール、ホバーパイルダー溶解とのイベントが上手く絡められた。
その連続性のあるイベント模様の中でも情のドラマが炸裂した名編が生まれた。その名編を生みだした第一人者として芹川有吾――レインボー戦隊ロビン、サイボーグ009、魔女っ子メグちゃんなどなど60~70年代の東映アニメを代表する演出家の一人である氏の演出回について取り上げていくことにする。
マジンガーの芹川回で最も知名度の高いエピソードはやはり第38話「謎のロボット・ミネルバX」が挙げられる。心を持たない無人のミネルバXがパートナー回路によってマジンガーへ尽くすも、回路の性能に機体が耐えられない為オーバーヒートしてオイルの涙を流す……この演出は言葉を喋らないはずのロボットを実に女性らしく見せた表現だ。ロボット越しのデート模様もそうだが、二人の間に入れずにすねるさやかを体現するかのように体育座りのアフロダイAの姿も忘れられない。なお、ロボットに疑似的な人格を備えさせる芹川演出はジーグ第18話「甦れ!!運命のハニワ幻人」でも踏襲され、こちらは美和を亡き妻の生写しとして愛するハニワ幻人タケルがロボットの役と性別が逆になっている点も面白い。
また、芹川回のさやかは何時も以上に活発な女性だ。甲児とタイマンの口論や殴り合いをするさやかはが基本芹川回と判断しても良い。第52話「甲児ピンチ!さやかマジンガー出動」では些細な勘違いからの喧嘩の為甲児との連携が取れず、機械獣バズソンM1との戦闘で甲児が重傷を負ってしまった。それに至るまでの前半の殴り合い(女でありながら!) 、重大な事態に発展した際に魘される甲児へ「甲児君、死なないで……」とキスをかわす彼女の姿のギャップはまさしくツンデレっぽい。
そして、国際障害児センターを狙うバズソンM1(甲児の代わりに出動するボス達が、「それからもし俺が死んだら兜に伝えてください!世界中で一番兜が好きだったとね!」と言い残す描写もポイント高い)を前にさやかはマジンガーZで出撃する。聖歌をバックに神様!と藁にすがる思いでパイルダーオンする健気さから始まり、甲児の到着と共に空中サーカスでお互いがコクピットを乗り換えるアクションへとエスカレーション。
甲児「よし、さやかさん空中サーカスといこうぜ!」
さやか「空中サーカス!?よーし、わかった!!」
……とのネタは無茶苦茶かもしれないが、二人の意気投合した行動とバックのBGMの盛大さからついつい見とれてしまう一場面だ。なおジーグやダンガードなどの芹川演出回でも、さやかの後を継ぐかのように美和やリサがいつも以上に感情的な女性として描かれている。彼女達二人は中の人繋がりで普段はそうでもないのに、芹川回での気の強さやハツラツさから神崎メグの面影を思い出した人もいるのではないだろうか。
マジンガーZの芹川演出回として最後になった第67話「泣くな甲児!十字架にかけた命」では、あしゅら男爵の部下として記憶喪失を装って甲児に接近したサイボーグ・エリカとの悲恋が描かれた。サイボーグの姿を持つ彼女が甲児の人柄に触れていく中で自然と人間のような感情を取り、山小屋でお互いが体を温め合う描写はアダルトな恋模様を示唆させる。
その結果エリカはあしゅら男爵の命令を無視して、甲児を助ける事を選び機械獣モントスQ3の弱点を教えるも鉄仮面軍団によって容赦なく銃殺されてしまう。死の間際もマシンガンで息絶えるまで撃たれながらも、エリカは甲児に弱点を教える事を諦めない演出表現が感情へ訴えていき、最期も十字架のような姿勢で倒れた姿はサイボーグとして作られた業から人間へとなったと共に解き放たれていく神々しい表現だ。甲児の「彼女はな、神様の力で人間に戻ろうと……本当の命を持った人間にな……。可哀想に……神様なんかいるわけないのに一生懸命祈って、一生懸命に馬鹿になりやがって……バカヤロー!!」と叫ぶ姿に虚しさを残しながら……。
このアダルトな恋模様による悲劇は宇宙円盤大戦争、ガイキング第40話「バラの宇宙船」でも踏襲された。前者はグレンダイザー第72話「はるかなる故郷の星」でデュークとルビーナの悲恋としてリメイクされているが、少女漫画のニュアンスが強い内容だった事に対して、劇画調の絵柄と共にアダルトな雰囲気が漂い、芹川回らしく登場する女性達は皆気が強い。グレンダイザーの第72話と比較するる事も面白いだろう。後者は悲恋が終わったサンシローがモノローグする形でエメルダとの出会い、別れを回想していく構成で延々と進むトリッキーな展開に注目だ。
なお、上記で述べたドラマ色の強い回の他に、芹川氏はマジンガーZ第32話「恐怖の三つ首機械獣」のような正攻法のアクション回、ガイキング第32話「宇宙から来た幽霊船」のような脱力的なコメディ回等の演出でも切れ味を見せた。芹川氏の演出は泣かせる、燃えさせる、笑わせるにしろとことん感情的に迫る。東映アニメのロボットアニメに情のドラマを根付かせた第一人者だ。
・戦士と武道と父親と~グレートマジンガー、鋼鉄ジーグ、マグネロボガ・キーン、超人戦隊バラタック~
マジンガーの次に登場したグレートは「マジンガーZ対暗黒大将軍」でマジンガーより強い存在として華やかなデビューを飾った。だが、いざ番組として正式に始まるや否や前作と同じパワーアップドラマを軸とするイベントを展開させることが困難だった。一応序盤では甲児との差別化として鉄也が戦闘のプロとして戦いなれている面が強調されたが、その路線も途中で消滅してしまった。
しかし中盤以降、ジュンが褐色の肌を持つ孤児とのコンプレックスから戦士としての宿命を拒否してしまう第19話「雪よ若い血潮を染め抜け!!」、ジュンの友人信一郎がミケーネとの戦いを終わらせようと突っ走って戦闘獣へ改造されてしまった第51話「戦闘獣志願!!逆光線に散った青春」など衝動と葛藤に駆られた若者のドラマが彩られた。特にプロとして育てられた鉄也のドラマは、幼少時に駆った鷹で友人を失明させたトラウマを思い出して苦悩する第32話「鉄也よ解け!!心の謎を……!!」戦場で少女の愛犬を殺めてしまった償いに苦しむ第36話「甦れ!!憎しみを超えた愛」など安藤豊弘氏によって描かれた鉄也の苦悩は戦闘のプロとして描かれた彼の人物像に新風を吹き込んだ。
第46話「闘魂!!この命燃え尽きるまで!!」では強さを求める少年陽一と知りあった鉄也だが、戦闘獣ソルゴスの圧倒的な強さを前に鉄也は、風防の割れ目から自由に出入りする蝶の姿を前に「子供の頃から人一倍大きなものへのあこがれが強かった俺だが、今日ばかりは小さいお前が羨ましい……」との弱音まで吐いてしまう程追い詰められた。その後陽一少年が白血病で余命僅かとの事実を知って、自分も戦いで勝つから陽一少年も病気に勝ってくれと言い残してソルゴスとの再戦へ挑む。「グレートマジンガーのバラード」をバックにして鉄也は気を失ってまで放ったサンダーブレークにて勝利するが、帰還した鉄也を待ち受けていたものは陽一少年の死であった。
「陽一君……何故、何故待てなかったんだ!何故待てなかったんだよ!!今度の勝利は君がもたらしてくれたじゃないか。俺に勇気を与えてくれたじゃないか。だから俺は敵をやっつけた!それなのにお前はどうして死んじまったんだ……どうしてなんだよ!!」
とのやりきれない叫びがただ響く。ただ戦士としての苦しみが残った哀しい結末はやがて終盤にて繰り広げた甲児、鉄也、兜博士の親兄弟の確執へと繋がった。甲児の帰還により養子である鉄也には居場所がなくなってしまうと彼は自分の居場所を守るかのように甲児との共闘を拒む。その結果兜博士は苦戦する甲児の為に特攻してしまう展開へと繋がり、鉄也は自分がつまらない意地で自分だけでなく甲児の父でもある兜博士を死なせてしまった事をただ悔む。その後ジュンが甲児と手を取ってもう一度やり直す事は出来ると鉄也を励ました事で、戦士として育てられた彼の物語は、やがて兜博士のような真の大人として歩きだす物語へ昇華されていく事を示唆させてグレートの物語は幕を閉じた。
この親と子のドラマはプロデューサー横山賢二氏の意向も存在していた。「魔法のマコちゃん」や「原始少年リュウ」等のプロデュース作品においても離れ離れの親と子の間の慕情、葛藤はグレートでも踏襲され、そしてグレンダイザー……ではなくマグネモシリーズ第1作の鋼鉄ジーグへとドラマは引き継がれた。
鋼鉄ジーグはパワーアップドラマを玩具と連動したパーツ換装システムで引き継ぎ、人間ドラマとして主人公・司馬宙はいきなり父に死なれ(脳だけマシーン・ファーザーへ移植されたため人格だけは生きている)、その父親によってサイボーグに改造されていた事実と共に戦う宿命を背負わされる事となった。自分の体の秘密を知った第11~16話まで、宙は自分の宿命に当たり散らしながら、平和のために犠牲になっていく人々を前に宿命を受け入れていくドラマが展開された。
だが宙には戦士としてだけではなく、父を失った司馬家を支える一家の大黒柱としても成長しなければならなかった。鋼鉄ジーグは司馬一家のホームドラマ要素も多く、第20話「戦え宙!鋼鉄ジーグに父を見た」では妹のまゆみが強くて逞しい父の生き写しとして鋼鉄ジーグを投影しているドラマが、第25話「母が叫んだビルドアップ!」では、鋼鉄ジーグとして戦っている宙の身を案じる菊江のドラマが描かれた。また戦いが無償で平和の為に貢献している為、家計が火の車であることも変わらない現実にも触れられており、アルバイトやレース大会で優勝した賞金で生活費を賄おうとする宙達の妙に生活感(と悲哀)のあふれるエピソードも存在した。
邪魔大王国側もレギュラーメンバーのドラマが結構掘り下げられていた。第32話「ヒミカに捧げる怒りの反乱!!」ではヒミカを殺害した竜魔帝王を前にイキマ、アマシ、ミマシの3幹部がヒミカの敵を打たんと反乱を引き起こす忠誠心の厚さによるドラマが展開され、第36話「花一輪にかけた命!」以降では女幹部フローラ将軍が竜魔帝王に蘇生させられた恩のために悪に協力している事情が明かされ、最終的に彼女は本来の正義と竜魔帝王への恩義と板挟みになりながらも宙へ味方して散っていくドラマで終盤を盛り上げた。あまり知られていないが彼女こそドラマ性を背負った女性幹部の魁だろう。
鋼鉄ジーグの後に放送されたガ・キーンは父と子の確執がより強調された作品だ。武道家として一人前である厳格な父に対して、父を超える武道家を目指して家出した北条猛は宙よりやや未熟な主人公として描かれた。またマグネマンとしてスカウトされて戦う事になった猛は、武道家としてのプライド、父親への反発心で独断行動に出てしまう描写に対して、相方の花月舞が当時では珍しく、男を手玉に取る強さを見せるヒロインとして描写された。他の面々も精神的に成熟した者が多かった事も含めて、周辺の環境が猛の未熟な描写を強調させていた。第8話「父が教えた心と技」、第19話「嵐の中のリターンマッチ!」第26話「新兵器カッター・フラッグ登場!」など武道と父親の確執と和解を絡めながら猛の成長を描く佳作も存在していたが、これらのドラマに明確な決着がつけられなかった為消化不良に終わった印象もある。この件はマグネモシリーズが通常の30分アニメより放送時間が短かった事とも関係あるだろう。
なお、パーツ換装システムの描写は鋼鉄ジーグ以上に強調され終盤では特に顕著だ。その中で第31話「驚異のマグネマン・ダミー!!」はガ・キーンのマグネマン・ダミーが完成したこと為パイロット不在のままガ・キーンへ合体が可能になるというパイロットに関する暗黙の領域を踏み込んだ意欲作となった。舞が負傷したため彼女のマグネマン・ダミーと合体してガ・キーンになるも舞の不在はガ・キーンに冷静な判断、繊細な動きを損ねさせてしまう結果となり、荒々しい戦いの中でどうにか合成獣ムササビーを仕留めるも、周囲の甚大な被害からマグネマン・ダミーの実用は見送られた。ガ・キーンは鋼鉄ジーグともどもパイロットが変身合体するという巨大ヒーローのような設定が存在しているだけに、人の心を機械に置き換えるとどうなるのかとのメッセージ性がより強い内容に仕上がったともいえる。
ガ・キーンの後に放送されたバラタックは、原作者に手塚治虫氏のアシスタントだった池原しげと氏が招かれたこともありデザインはそれまでのダイナミック系よりも手塚系に近い丸っこい絵柄となった。作風もドタバタコメディの色合いが強まり、親子の確執も殆ど描かれていない。この路線変更の背景は横山プロデューサー曰くガ・キーンが高年齢層向けに傾き、放送時間の短さからドラマ性を展開する事が難しいとの理由もあった事だった。
バラタックもまたパイロットの変身合体から遠隔操作で操るメカニックとして描かれるようになった。パイロットがあくまで外から命令する機械としてのスタンスが終始貫かれており、東映アニメ作品では珍しくヒーロー性より兵器、道具の一面が強調されたロボットだ。こちらも換装パーツは数々登場するが前2作とは違い何の前触れもなく前から存在していたように現れ、終盤でバラタックが一定時間だけ自分のAIで判断して行動できるシステムが追加される点も含め、パイロットとの関係性を徹底的に断ち切るメカニック描写は当時では異例の試みだったのではないだろうか。
ドラマ性でもバラタックは異例だ。敵組織シャイザック側がドタバタコメディ色を強く反映した組織との事もあり、スーパーカーや大仏様、ニンジンを奪うといったのほほんとした作戦が終始展開された。だが、そんなのほほんとしたシャイザック側は元々地球との友好を求めていたイプシロン星が送り出した友好使節団だった所、団長のゴルテウスがその権限で横暴を振舞って地球に騒ぎを起こしている背景が存在していた。その背景をユージたちシークレットフォースは知らないが、副官のジュリアスは真面目に地球との友好を求めている為、中盤からあの手この手を使って自分たちに敵意がないことを示すドラマが繰り広げられた。最ものほほんとした従来のノリとシリアスなドラマが織り交ぜており、第16話「チリ紙交換でーす!!」ではジュリアスの部下が加藤博士あての親書を持ち出して届けようとするも、加藤博士の家を知らないためにコピー機であちこちの加藤さんへばらまいた為、それがきっかけでユージたちはある程度シャイザックの背景を知り一方でゴルテウスがちり紙交換と称して親書を回収しに奔走するという怪作に仕上がった。他にも二重人格を持つ爬虫ロボに人質となったユージの母と兄が無事であるとのボイスレコーダーを記録させたり、ジュリアスら和平派が倒れた後ゴルテウスの部下は忠臣蔵スタイルで闇討ちに出かけたりと混沌としたノリは健在であり、最終回の「もう終わりでーす!!」はサブタイトルから察しろと言わないばかりの雰囲気の結末だった。70年代のロボットアニメにおいて指折りの個性派バラタックを輩出し、東映アニメのマグネモシリーズは幕を閉じた。
・人よ何故戦う!?そして機械よ何故戦わない!?~ゲッターロボ、ゲッターロボG、宇宙円盤大戦争、UFOロボグレンダイザー、惑星ロボダンガードA、大空魔竜ガイキング~
マジンガーに並ぶスーパーロボットアニメの開拓者ゲッターについてだが、マジンガーZよりドラマ性が強調された作品となった。「反戦」をテーマとして敵側にゲストキャラが設けられる事も多かった。第9話「栄光のキャプテン・ラドラ」ではリョウに助けられるも再び敵として現れたラドラが戦いよりも溶岩から町を守るために身を挺すゲッターに力を貸して散る姿、第22話「悲劇のゲッターQ」ではゴールの娘でありながら早乙女博士の養女として育てられたミユキが、実父と義父の間で板挟みになって争いを望まないからと死を選んでしまう悲劇、第34話「女竜戦士ユンケの涙」ではユンケがリョウの妹ジュンと瓜二つだった事からの疑似的な兄妹としての情と引き裂かれる戦闘での悲劇が触れられていた。
また、第20話「大空襲!突然の恐怖」は反戦をテーマとするゲッターロボの中でも特に印象的な1本だ。ミチルの母和子が自分が経験した空襲の恐怖を語る際、家ごと母が爆死し、父が機銃掃射で銃殺される姿の不気味な恐ろしさがややチープな作画も相まって良く伝わるものとなっていた。その後和子の故郷がメカザウルス・ヨグの奇襲によって再び戦場となり、その中に幼少時の自分の生き写しともいえる少女が空襲の中で取り残されてしまう背筋が凍る戦いも発生した。
この敵味方の交流や反戦のドラマはゲッターGでより強化された。ゲッターGでは爬虫類然とした恐竜帝国の面々から一転して、百鬼帝国の面々は角がある事を除けば外見は人間と変わりはない。その上、軍事国家として若い面々が兵士としての教育を受けている描写もあり戦時下の恐怖がより伝わる作風へと昇華された。その中で上原脚本ならではの敵側の内紛描写が顕著な第11話「百鬼帝国!将軍への道」、兵士として育てられた少年地虫鬼が元気との交流の中で、百鬼帝国へ帰還後「今度は人間に生まれ変わりたい」と思いながら処刑される第14話「友達は風になった」、そしてリョウへ1対1の決闘を望む鉄甲鬼の第16話「死闘!嵐吹く男の道」はドラマ面として抑えたいエピソード群だ。
また戦時下の父、母、子を取り扱った第8話「夜空に輝く二つ星」第35話「百鬼老兵は死なず」にも注目したい。第8話は軍事教育に耐えられずに脱走した娘リサを母親の白骨鬼がせめて母親が娘を仕留める事が親の情けとして出動するも、脱走時のリサが事故で記憶喪失になりゲッターチームに保護されていた所彼女は彼等に娘が虐待したと誤解してしまう。その後誤解が解けた際に白骨鬼は記憶喪失の娘に追手が来る事を察して逃がす事を選び、逃げ出す娘へと言い放つ「リサ!しっかりお逃げ……どこまでも、どこまでも逃げておくれ。捕まるんじゃないよ。幸せになるんだよ。百鬼一族のいない土地に住んでね。母さん、いつまでもお前の幸せ祈っているからね……」と……。
第35話は父親牛剣鬼と、父のような戦士になりたいと初陣で意気込む息子牛餓鬼のドラマが触れられる。子供が出陣している事に驚くゲッターチームは威嚇して彼等を退けようとするも、艦隊の流れ弾で牛餓鬼の機体は直撃して命を落としてしまう。この件をゲッターチームに殺されたとヒドラーに吹き込まれた牛剣鬼はリョウへ復讐として襲うもリョウからは「そういう態度が息子を死に追いやったんだ!戦う事しか男の生き方がないと言うそういう考え方が息子を無謀な戦いに駆り立てたんだ!息子を殺したのはお前だ!お前は息子に戦う事しか教えなかったんだ!!」と一喝した。
この2本は戦時下の中で教育になじめない娘に対して、彼女を逃がす事が親としてできる事と考えた母親、戦士としての教育しかしなかった為に息子が死んでしまった父親との、戦士として親としての生き方に重点が置かれた2本だ。その後第8話ではその後リサが結局刺客に殺されてしまい、白骨鬼はゲッターチームが殺したと誤解して攻撃を仕掛けるも、レディコマンドにやむを得ず始末され、第35話牛剣鬼もまた自棄になってゲッタードラゴンを襲って返り討ちになる。だが、彼等は内心では先に旅だった子の後を追ったのではないかと私は思う。それが戦時下で本当の親に彼らが戻れた瞬間ではないかとも……。
このゲッター2作で提示された何故戦うのか?との敵味方の交流を通しての疑問、戦争の悲劇についてはメインスタッフがスライドしたグレンダイザーで継承された。グレンダイザーはご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、短編映画「宇宙円盤大戦争」を発展させた作品だ。約30分の尺の中で円盤から変形合体するロボット、亡国の星の王子、敵国の姫との悲恋、核兵器の脅威に代表される反戦ドラマなどが詰め込まれ、それらは殆どの要素がグレンダイザーでも踏襲された。差異とすれば亡国の王子デューク・フリードという設定故か、前2作には存在していなかったが少女漫画の雰囲気を漂わせるキャラクターへと変化を遂げた。当時グレンダイザーはサザエさんと世界名作劇場の間に放送されていた事情もあってか牧歌的な内容を局側から求められたらしい。その為物語の舞台として牧場が登場し日常描写も馬との触れ合いが多く、序盤の時点から仔馬の出産を扱ったエピソードとして第17話「小さな生命を救え!」、少女へデュークが星の王子役を演じてクリスマスを祝う第12話「虹の橋を渡る少女」、などと少女漫画的なニュアンスのエピソードが存在していた。また2クールまでひかるが宇門大介がデュークではないかと正体を探る繊細なドラマも用意された。
序盤でターニングポイントとなったエピソードは第25話「大空に輝く愛の花」。荒木伸吾氏が手掛けた美少女ゲストナイーダは、デュークの幼馴染として登場しながらデュークを弟の敵として思い込み、誤解が解けたと共に散っていく悲劇のヒロインとして描かれた。ナイーダの弟の脳が入った円盤獣を仕留めてしまったとの話にショックを受けて電気ショック療法でなければ正気を取り戻せないデュークの錯乱ぶりも強烈であり、ナイーダが特攻する意味をより盛り上げる要素だ。この美少女ゲストの試みは、第44話「祭りの夜円盤獣が来る!」でも継承された。この話は夏祭りで大介が出会った孤独な少女みどりとの交流が描かれた。おたふくの面を被って涙を隠すみどりに、ひょっとこの面を被って踊って励ますデュークの姿から始まり、ベガ星人に乗っ取られた兄をデュークが殺害したと誤解したみどりが円盤獣ドスドスを鞭で操ってグレンダイザーへと挑む姿は儚くも可憐だ。その後誤解が解けて新天地へ旅立つみどりは、デュークにおかめのお面を託して、ひょっとこのお面で顔を隠しながらデュークへ手を振る。このお面の描写は前半でみどりがおたふくのお面で涙を隠していた描写に対し、デュークが彼女を励ます際に駆使したひょっとこのお面で顔を隠す演出は彼女が笑って新天地を目指していける事を意味するものであろう。第25話は勝間田具治氏のメロドラマ調の演出が、後者は「花の子ルンルン」や「ハロー!サンディベル」などの東映アニメの女児向け作品で知られる設楽博氏の手腕も大きい。そして、その後荒木氏は第49話から実質キャラクターデザイナーとして昇格。グレンダイザーのパワーアップメカとして3大地球製スペイザーが登場するとともにそのパイロットの1人としてデュークの妹マリアが設定された。マリアは甲児を相手に第63話「雪に消えた少女キリカ」第68話「吹雪の中のマリア」など美少女キリカ、美形ケインとの絆と悲しき別れが描写され、甲児を異性として意識しているも当の甲児からは「マリアちゃん」と妹のように扱われるネタも少女漫画の雰囲気をより強めるものであった。
また反戦ドラマも並行して展開された。第59話「ああ、少年コマンド隊!」は兵士として実質洗脳に近い教育がされたアインス達少年コマンド隊の悲劇。第69話「父に捧げる愛のオーロラ」では、ズリル科学長官の一人息子ズリルジュニアが一人前と認めてもらう為に出撃して命を落としてしまうといった特に子供が巻き込まれる悲劇がクローズアップされた。そして戦いの結末だが、ベガ星側は途中で本土惑星が消滅し、戦闘員を除いて惑星と運命を共にしてしまい、ベガ星の面々は本編を見る限り全滅してしまった状況。一方フリード星は最終的に自然が再生されたと第72話で言及されているが、フリード星に人が生きているかどうかは判明していない。もしかしたらデュークとマリアはたった二人だけで故郷の復興を行う苦境を迎えるのではないだろうか。ラストシーンは彼らの運命を視聴者の想像に委ねると言わんばかりに、デュークとマリアは光の中にフェードアウトした。
グレンダイザーの後にはダンガードが放送された。荒木氏が引き続きキャラクターデザインを続投されたものの、グレンダイザーから打って変って中盤まで美少女ゲストは登場せず、主人公一文字タクマが一流のパイロットを目指す為、父である事を隠して彼を鍛える教官キャプテン・ダンとのスポ根ものを彷彿させる特訓が中盤までのドラマを担った。この親子の特訓に関するドラマはマグネモシリーズに近い概念だろう。
だが視聴者からの意見もあってかこのスポ根路線は第35話「永遠に輝け!父の星」にてキャプテン・ダンが父として事切れた事で終止符を打った。その後ジャスダムが宇宙へ飛び立つとともに展開されたドラマは“地球人同士の争い“だった。ダンガードは地球侵略を巡る攻防戦ではなく、移住可能な新惑星プロメテを前にして大江戸博士とドップラー総統の間で新天地への到着を巡っての競争が繰り広げられる物語だ。ドップラー総統以下の面々も全員人間であり、後半から登場した美形ライバルトニー・ハーケンの存在も含めてドップラー軍団との戦いは「機動戦士ガンダム」のジオン公国に先駆ける人類のみで構成された敵組織だった。
後半戦ではドップラー軍団の組織に焦点を当てたエピソードが増え、第41話「プラネスターの急襲」ではハーケンがドップラー総統と結託して政敵のルガーを死へ追いやる描写が、第49話「ドップラー軍団の黒い影」では連戦連敗に戦意を喪失して逃亡を図るプラグ技術士官が特攻メカサタンの中で、名誉ある死を重んじるキルマン、二人のスタンスに板挟みになるプラグの部下ルガーとの死に至るまでの激しいいがみ合いなどと崩壊していく内部の描写を断続的に描かれた。これらの確執を孕んだドラマは最終的に一人だけでプロメテへ辿りつこうとするドップラー総統と誇りある勝利を重んじるハーケンとの間の確執へと繋がっていった。
また後半では少女漫画的な印象を与えるエピソードも増え、第43話「異星人ノエルの頬笑み」では他種の生物との接触を禁じられながらタクマへ好意を抱いた異星人ノエルが彼を救う為に自らの力を使いはたして氷として消滅してしまう結末、第51話「娘よ!ヘチ副総統の」では父・ヘチ副総統の手でミュータントとして改造された娘フリーゼがジャスダムへ潜入するも、タクマの人柄を前に惹かれた事が原因でミュータントとして改造された脳が耐えきれずに死へ至る結末と言った美しくも悲しいドラマが登場。
特に第51話の後日譚ともいえる第53話「愛!それは哀しく美しく」は芹川氏の手掛けた異色回。フリーゼの友人ジュディとミラーが敵を討つために無断でメカサタン・デスコブラーを出撃させるも、タクマとリサからブリーゼの死の真相を知って敵討ちが正しいかどうか葛藤へ至る。そこにハーケン達が横槍を入れるかのように襲いかかり、ジュディとミラーもなし崩しにデスコブラーで戦うも、ドップラーから無断出撃の罪でデスコブラーの自爆装置を起動させ、ダンガードAへ特攻して命令違反の汚名を削げと言い放たれてしまう。だがジュディとミラーはフリーゼの死の真実を知れただけで満足。この処分を覚悟していたと臆せず、二人手を取り合って「もう一度フリーゼに会える!!」と叫びながらダンガードAへと特攻。抱き合いながら炎の中へと呑み込まれていった。そして大破は免れたもののダンガードAも左腕を破損する損害を被り大江戸博士は呟いた――フリーゼを慕う女の愛と友情がダンガードAに勝った……と言っても良いかもしれないな……と。
……この第53話はグレンダイザー以上に少女漫画的なニュアンスが強く、ゲッターの反戦から始まった高年層向けのドラマが頂点に極まった瞬間と呼んでも良いだろう。だが、ダンガードはそのドラマ性から当時高年齢層から高い支持を得たとの事だが、主役ロボ・ダンガードAの存在が全体として薄かった事が原因か低年齢層の支持や玩具の売上などは芳しくなかった。当時スーパーカーブームの影響でロボットアニメが下火になっていた事も関係しているだろう。なお、ダンガードの後番組「SF西遊記スタージンガー」はロボット離れした視聴者層を考慮してスーパーロボットからスペースヒーローものへとシフト。作風も明朗快活な活劇路線となった。同期にはバラタックの放送も終了しており70年代東映ロボットアニメはこの2作品を持って幕を閉じた。
ここで70年代編の締めとして唯一余ったガイキングを触れよう。ガイキングはゲッターGの後番組として放送されたが、ゲッターG、グレートのメインスタッフはグレンダイザー、鋼鉄ジーグへとスライドされており、ガイキングはダイナミック系の面子が実質降板(中盤までデザイン協力で参加)、ゲッターGのスタッフに丸山正雄、杉野昭夫各氏などマッドハウス系の人材が代わりに参入。ゲッター、グレートの流れとも異なる布陣で構成されたガイキングは全体的にオカルト、ドラマ、コメディとバラエティ性の高い作品に仕上がった。なお、ガイキングのメカニック群は味方側の戦艦として本格的に登場した大空魔竜を軸に、ガイキングを支える3機のサポートメカといったゲッター、グレンダイザーのベクトルに近い配置がなされた一方、ミラクルドリル、フェイスオープン、ジャイアントカッター、ビッグホーン等といったマジンガーやマグネモシリーズを彷彿させるガイキング&大空魔竜のパワーアップドラマも小刻みに挿入されると長所を併せ持つ体裁だった。
そんなガイキングのドラマとして、“人は何故戦うのか?”とのゲッターで見られたドラマに一ひねりが加えられて“機械は何故戦わないのか”という逆転の発想が展開された。このドラマ性の経緯は、ゼーラ星の民を救うロボットとして開発されたダリウスが自我を持って人々を支配して地球侵略を開始した背景とも関係があるだろう。機械のダリウスが自我を持って地球侵略を開始し、幹部のデスクロス四天王もまた彼が地球侵略の為に作りだされた機械に過ぎない事が“機械が戦う事の必然性“を根付かせた。
かくしてガイキングでは戦う機械のドラマが次々と展開された。第21話「涙のデビルジャガー」では純粋なゼーラ星人であるエリカが人間の愛と憎しみの心が強いと恋人スタールの敵を討つ事を志願する。だが、ガイキングのパイロット・サンシローがよりによってスタールと瓜二つだった事を知ってしまい彼女の愛ゆえの憎しみは愛ゆえの望みへと転化し、一瞬の隙をつかれて撤退を余儀なくされる。その後エリカはサンシローがスタールではないかと確かめるために上手く彼を誘うもやはりサンシローは別人だった。だがサンシローの人柄にもエリカは惹かれ、サンシローもまたエリカへ好意を抱いている――けれども、エリカは彼でスタールの穴を埋めてはならなかった。むしろサンシローに深入りしてしまえばスタールの死と敵討ちが否定されてしまうのだから。
「この涙はあたしが流す最期の涙。私は貴方を倒さなければならない。それが私達の宿命なんだわ」
その夜エリカはサンシローの前から去ってデスクロス騎士へと改造を志願する――今の私にはむしろ邪魔になる。心の強さを述べたはずのエリカが心の弱さが戦いには不必要と述べる姿はあまりにも皮肉だった。その後、改造されたエリカにはガイキングを倒す宿命以外の道はなく、暗黒怪獣デビルジャガーで健闘はするが結局ガイキングと大空魔竜の前に敗れ去った。ちなみにサンシローとエリカはこの戦いの中で会話も果たさないまま死別を迎える。サンシローは一応デビルジャガーに一瞬エリカが搭乗していたと察するが、その後特に進展もなく夜空にエリカの姿を思い浮かべながら「世の中不思議な事が多いってね……」と仲間にはセンチな本心を隠して、二度と彼女の存在について物語で触れられる事はない結末もまた虚しさを匂わせた。
この他、第26話「宇宙をかける天馬」では平和主義者のピジョン星人が少年ロボットペーラを開発するも、彼等は本人が嫌がっているにも関わらず、ペーラの戦闘回路を機能させようとする、その後ペーラがミドリに保護されても、彼女を守るために戦闘回路を機能させたら当の本人から拒まれる (「私を助けたのはただの機械」と言い出す始末)、第31話「復しゅうのダブルイーグル」では地球防衛を目的とした戦艦として大空魔竜と競ったダブルイーグルは同じ地球人であるカインが開発した戦艦でありながら、人々からはその破壊力を恐れて封印する、それを根に持ったカインがデスクロス騎士入りしてダブルイーグルで襲う……などと風刺的なエピソードが見られた。ペーラもダブルイーグルも人が戦う為に生み出した機械でありながら、いざその力を前にすれば人は機械を前に忌み嫌う。そんな人の身勝手に翻弄されながらペーラもダブルイーグルも経緯は違えど戦う機械として散っていく。機械として生まれたからは戦う宿命から逃げられないと言うばかりに――。
少し話がそれるが、尾瀬あきら氏のテレビランド版のコミカライズでは、ガイキングがパイロットの細胞を破壊するデスライトを備えるも、サコンからガイキングがこれ以上破壊力を持った悪魔としてパワーアップしていく事を恐れ、デスライトを実戦で使ったサンシローもアリを指で潰した気分だと述べる話が有名だ。このガイキングが強化されていく悲しさは本編では描写されていないが、強化され続けたガイキングと大空魔竜が行き着く先はかつてのダブルイーグルのようにその力が危惧される結末ではないだろうか。最終回、暗黒ホラー軍団は滅び、かつてのゼーラ星の民が地球へと飛来していく様子で物語の幕は閉じた。地球人とセーラ星人は共に戦う機械を生みだしてはその圧倒的な性能に恐れてきた。もし次の戦いが起こるならば、また戦う機械に人は恐れ、挙句の果てにその機械に支配されてしまうのであろうか――せめて、遠い流れ星に願いをかけよう。
・スペース、スーパー、リアルの狭間で~機甲艦隊ダイラガーXV、光速電神アルベガス、ビデオ戦士レザリオン~
80年代前半に東映アニメはダイラガー、アルベガス、レザリオンの3作を手がけた。ただ70年代とは異なり東映本社側の企画への下請けとの形で参加であり純粋な東映アニメ作品とは言い難い面もある。
これら3作品のルーツは東映本社企画・サンライズ下請・長浜忠夫氏総監督の布陣から始まる。「超電磁ロボコン・バトラーV」から「未来ロボダルタニアス」に至るまでの4作はスーパーロボットの秀逸な合体、必殺技、美形悪役、真の敵を打倒する革命といった大河要素を展開。長浜監督が離脱した後の本社作品「宇宙大帝ゴッドシグマ」、「百獣王ゴライオン」も前4作に参加したメインスタッフが手掛け、長浜監督のフォロワーともいうべき作風を放っていた。
この3作品が放送された時期は「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」「機動戦士ガンダム」といったスペースSF、リアルロボットものの勢いが強まった時代の元、ダイラガーは東映本社枠の下請として東映アニメが初参加。メインスタッフもコン・バトラーVからゴライオンまでから一新され「ヤマト」の藤川桂介氏が構成へと着任。以降スーパーロボットものとしての3作品はスペースSF、リアルロボットものの流れへ時に従い、時に抗う事を繰り返した。
ダイラガーは現在からすると15体合体という設定がおそらく1番知られているだろう。無論ダイラガーを操るメンバーは15人存在している訳だが、そのメンバーが全員目立ったとはお世辞にも言えない。1クールしか台詞がもらえなかったようなキャラが発生している点からその件は残念ながら察してほしい。
ただ、ダイラガーという作品はスーパーロボットものというよりも銀河系を舞台に繰り広げられる艦隊戦の手法で描かれたロボットアニメだ。ダイラガーもいわば一隻の艦、地球ら新惑星連合側の強力な駒として扱われていると解釈した方が良い。この作品の本筋は敵味方の主要人物が終始和解の可能性を求めている事にあり、ふとした接触による誤解から始まった小競り合いが一進一退と共に戦争へと発展して収束させていくまでの敵味方を超えた指揮官たちの駆け引きが醍醐味なのだ。ダイラガーは当時「太陽の牙ダグラム」「銀河烈風バクシンガー」などと並んで政治、戦争の駆け引きを積極的に取りこんだリアル志向の作品だ。これだけは誤解のないように断言したい。
秀逸なエピソードとして第13話「心のなかの敵」を挙げよう。この話はダイラガーと敵のバトルマシンが“戦わずにすれ違うだけ“でありながら尋常ではない緊張感とカタルシスが巻き起こる。新惑星連合の戦艦ラガー・ガードは整備のためにガルベストン側が駐留する第5惑星への着陸が必要となってしまう――さて、敵味方が駐留することになる惑星で戦乱を回避するには如何にすべきか。ラガー・ガード側の司令官伊勢とアシモフ、ガルベストン側の総司令テレスと前線のラフィット、バラタリア。5人の間で相手の心情を知らぬまま緻密な駆け引きが繰り広げられた。
まず、アシモフが戦闘は互いが弱点を見せないから発生するとの理論から、着陸する目的をガルベストン側へ打電すると前線のラフィットは臨戦態勢で待機しテレスも黙認する。だがそれとは別にタカ派のバラタリアは生ぬるいと援軍を送り込む事を主張。彼のようなタカ派の台頭を危惧してテレスはラフィットへ撤退を命令するも、彼は第5惑星を拠点として部下に恩賞を与えなければ彼らの不満が抑えられないと同じタカ派だがまっとうな意見で反対する。
しかし、この指揮官同士が緊迫した判断の中でバラタリアが独断で援軍を送り込んだ。さらにこの動きに伊勢がラフィットの仕業と誤解してダイラガーを出撃させてしまった為、ラフィットもまた約束を反故にしたと伊勢に宣戦布告を通達、バトルマシンを差し向けてしまった。この誤解によって発生した戦闘へ伊勢は土壇場でダイラガーに待機命令を下した。結果、頭上のバトルマシンにラガー・ソードを振りかざす手前で踏みとどまり、またバトルマシンも攻撃をせずに通過していく。相手に対して一瞬でも生まれた疑問が引き金となって戦闘が発生する脅威を指揮官同士の駆け引きで綴った屈指の一本だ。
その後も地球側の支援艦隊が到着した事で。惑星探査のために第5惑星で拠点を設営するかどうかでガルベストン側を刺激したり、地球・ガルベストン側の会談で両者の境界線を決めようとの問題も別地域で発生した戦闘によって決裂したりと緊迫感あふれる展開が続き、やがて、地球側から実質孤立無援の状況が続くラガー・ガードやタカ派に権力を掌握されたガルベストン同士の遭遇戦から戦争へと発展していく。この争いが収束へ向かうまで、数々の惑星が自然を破壊されて壊滅へと至り、争いを回避する事に焦点を当てたダイラガーのドラマ性として争いの被害、虚しさは常に付きまとった。
「あれほどのことが、いざ報告となるとたった数行の言葉で言いつくされてしまう。死んでいったあの人たちの楽しかった日や、苦しかった時間はいつか忘れられ、殉職1名、2名、僅かな数字だけが記憶として残るだけだ。こうして戦争は個人の歴史を摘み取ってしまう……」
上記の台詞は第45話「第3惑星を守れ」からの出典だ。番外編のような立ち位置のエピソードであり、第3惑星がガルベストンに襲撃されて、救援に向かった安芸が佐藤、森川という2名の警備隊員の死を安芸が目にしてしまう内容だ。その後救援が間に合い、「原住民にも第3惑星にも被害を出さなくて済んだものがせめてもの救いだ」と伊勢の言動に対して安芸が自問した。戦火の中で滅びるものは星や大勢の人々だけではない、安芸が目の前で見た佐藤、森川という2人も戦争の犠牲者だ――彼が言いたくても言えない心情を「あの……あ、いやいいんです」と心の内に秘める。この姿も大局的な戦火の中で大局的な判断を余儀なくされ、人間性を失わせていく戦争の虚しさを風刺したシーンだ。
ダイラガーの後に放送されたアルベガスは「超時空要塞マクロス」や「戦闘メカザブングル」などといったリアルロボットブームの背景でありながらダイラガーから一転。熱血、クール、紅一点の高校生が三体合体六変化のスーパーロボットで宇宙からの侵略者と戦うというオーソドックスなスーパーロボットものへと回帰した。メインスタッフも一部変更されており上原正三、小湊洋市、渡辺宙明各氏などマジンガー、ゲッターへの参加者が布陣を固め上記の設定などゲッターを彷彿させる点も存在し、中盤ではデリンジャーの新総統である正体を隠して参上したバイオスを前に疑心暗鬼に陥りながら足の引っ張り合いで自滅していくデリンジャー幹部の姿は上原氏の作風が良く現れた内容ともいえる。この他ダリー将軍の一人娘ジュリアと哲也の悲恋、終盤でほたるを娘の生写しとして情が移ってしまう父としてのドラマ等、後に美中年として正体が判明するネタも含めてダリー将軍は長浜作品で描かれた美形悪役の要素も若干汲んでいるだろう。
主人公大作達3人の等身大の主人公達の日常、青春描写については、山内重保氏の演出回が目を引く内容となった。第3話「狙われた青葉学園」、第17話「デリンジャーの母」など五郎やほたるが亡き母を想う一面をミラーゼロの謀略によって利用されるエピソードを担当し、またダリー将軍とほたるのドラマが頂点に達した第43話「愛と死の戦い」も山内氏が手掛けた。ちなみに上記のエピソードやドラマとはあまり関係がないが第40話「宇宙からの年賀状」も抑えておきたい一本だ。正月早々繰り広げられるデリンジャーのアルベガス破壊作戦と、アルベガスのデリンジャー要塞破壊計画をお互いが新年を祝賀するはねつきやかるたといった行事を行いながら展開されるカオスな内容へと仕上がっているのだ。
ただ、全体からするとアルベガスのオーソドックスな勧善懲悪路線と町内、学園コメディ路線の噛み合わせは今一つ上手く行かなかった感じはある。軽い日常描写と日常の町がたびたび深刻な被害に巻き込まれる状況はミスマッチだったのかもしれない。やがてアルベガスの個性でもあった三体合体六変化のギミック、高校生としての日常設定も中盤から見られない事が多くなっていき三体合体六変化ならぬ空中分解といったような結末でもあった。
アルベガスの後にキー局、広告代理店を変更してレザリオンが放送された。こちらは再びリアル路線の要素を取り入れた作品になり、月に隔離された人類が地球に反旗を翻した事で始まる戦争描写はガンダムシリーズを彷彿させる設定だ。最も人類同士の戦争でありながらレザリオンは主人公敬がいる地球にはガードベルトと呼ばれる防衛装置が展開されている為、大気圏内は比較的平穏な様子が続いているという舞台設定、また敬のゲーム用プログラムから実体化したレザリオンはテレポートで瞬時何処にでも現れる設定も伴い、リアルな兵器同士の戦争の中で一人無双を決めるトリッキーな作風を放った。
そんな前半の作風は日常と戦争が入り混じったお気楽、お手軽な感覚のエピソードが多かった。特に第13話「休日戦争」は戦争行為どころか労働禁止と制定された祝日で繰り広げられる滑稽さと並行して反乱軍側は一部の過激分子に破壊活動を行わせてレザリオンが鎮圧しようとすれば条約違反でレザリオンを法的に処分できるという奇抜な展開を見せた。しかし、広告代理店の意向に伴って中盤で反乱軍が宇宙からの侵略者ジャーク帝国に掌握される形で路線変更が行われた。再度メインライターとして招かれた上原正三氏の元でライフモスを狙うジャーク帝国の目的、洗脳された父を救う為に人質になってしまったヒロインのオリビアのドラマ、終盤の内紛劇といった形で同期のメタルヒーローを彷彿させる作風へと移行したのだ。
そしてアルベガスに引き続き山内氏では青春色の強いエピソードが見られ、同時にレーザーバトルギア初登場の第28話、第6、23、32話などエレファン、ジャーク帝国登場など重要なエピソードを担うようになった。青春色の強いエピソードは敬とオリビアが大作達とは違い高校生から中学生に引き下げられ、また昔からの付き合いでもある幼馴染同士との点がクローズアップされた淡い恋愛ドラマが増加。第11話「悪夢の誕生日」ではオリビアの誕生パーティーにと高級レストランへ予約したまでは良くても北欧に反乱軍が攻撃を仕掛けた為に行くか行かないかの葛藤が、第18話「ハロー転校生」では恋のライバルとして現れた転校生のケティは以前敬に仕留められた敵エリックの妹であり、敬がデートの約束をしながらケティの機体を知らずに撃墜してしまう虚無感が付きまとう回を繰り広げた。後半のエピソードでは、レーザーバトルギア初登場の第28話「勝利への愛の讃歌」でオリビアが戦意を失って窮地に陥る敬を慣れないながらもバズーカで援護する姿が、ジャーク帝国からオリビアを救いだす第42話「生か死か・大脱出」では無数の敵に包囲されながらレザリオンと共に慣れない機体ジャーク・サバンで血路を切り開こうとするなど、運命に翻弄されながら敬の幼馴染からパートナーとして変化していく女性の強さがクローズアップされたエピソードを担当された。
だが残念ながら、レザリオンは当時玩具の売上で苦戦を強いられた事もあり本社枠のロボットアニメに終止符を打つ事になってしまった。しかし最終回「決戦」は慌ただしい展開ながらも、越智一裕氏作画監督の元、原画には金田伊功、山下将仁、山崎理、佐野浩敏各氏といった錚々たる作画陣で送られ、本社枠のロボットアニメに有終の美をレザリオンは飾ったのだ。
・人とメカニックの変遷~トランスフォーマーザ・ヘッドマスターズ、トランスフォーマー超神マスターフォース、トランスフォーマーV、トランスフォーマーZ、ゲッターロボ號~
80年代後半から東映アニメはヘッドマスターズ、マスターフォース、トランスフォーマーVといったいわばトランスフォーマーシリーズのG1和製3部作を手掛けるようになる。東映アニメとトランスフォーマーは初代から参加されているが、ヘッドマスターズから本格的に日本側のスタッフが主導権を握った。なおOVAトランスフォーマーZ、同じ布陣で製作されたゲッター號といった90年代初頭の作品もここで纏める事にする。
そしてスタッフの陣営には星山博之、荒木芳久、佐々木勝利各氏といった昭和50年代のサンライズ作品でなじみの深い面々がスライド。作画スタッフでも大森英敏、磯光雄、八幡正各氏などサンライズ系のスタッフの活躍が顕著であり、マスターフォース~ゲッター號まで総作画監督としてクレジットされた大島城次氏も「聖戦士ダンバイン」や「銀河漂流バイファム」などサンライズ系作品への参加経験があり、総作画監督としてキャラクターの他に、メイン、ゲスト問わず作品のメカデザイン全般を担当といった獅子奮迅の活躍を披露。純正の東映アニメ作品にサンライズ系の血が流れるようになった件は一つのエポックメイキングだ。
まず、ヘッドマスターズは後のシリーズとは違い前2作の続編という微妙な立ち位置の作品だ。序盤はコンボイやロディマスコンボイら前2作の主要メンバーからクロームドームやフォートレスといったヘッドマスターの面々へとメインを譲っていく展開と共に、軽快な前2作の描写から重厚な路線へと作風がシフトしていった。
そんなヘッドマスターズの特徴として、サイバトロン側が必ずしもまとまっていない不安定な組織として描かれた事にある。実質主人公のクロームドームが珍しく司令官ではなく、一介の新米戦士である点、ロディマスコンボイから司令官の座を譲られたフォートレスが文人的な性格から司令官としてのカリスマに欠けていた点も大きいだろう。直情的なクロームドームと平和主義者のフォートレスが戦略面で衝突する事も少なくないが、二人に共通している点は完全無欠の人物ではない点だ。フォートレスは司令官としての素質の他、最強形態のフォートレスマキシマスへ必ずしも合体出来ない為、実際の戦闘でも常にヘッドオンが可能なスコルポノックに苦戦する事が多い。しかし彼は同時に司令官としての限界を自覚していた為、戦闘の現場クロームドームらヘッドマスターの判断に任せたり、ベテランの面々ターゲットマスターらを迎え入れて戦闘の指揮官のような役割を与えたりと自身を上回る部下の有能さを認め、部下を信じて司令官としての任務を果たしていった。
特にフォートレスが迎えたターゲットマスターの1人ブランカーは経験豊富な皮肉屋でもあり、クロームドームを成長させた一人として貢献した人物だ。フォートレスと違いまだ若いクロームドームは自分を過信している所もあり、ブランカーの皮肉めいた態度が気に食わない。そんな彼との確執の先に描かれた第28話「奇跡の戦士ターゲットマスター(後編)」ではクロームドームの友人のジャックがシックスショットの手で人間(?) 爆弾に改造されてしまう事態が描かれた。操られるようにマキシマス要塞へと近づくジャックを必死に止めようとするクロームドームに対して、ブランカーはマキシマス要塞を爆破されるなら彼を射殺しようとする。仲間達がジャックはクロームドームの友人だと反対するが、クロームドームはやむを得ず銃を構える。彼の心境とすればジャックを救いたいが彼等を救う方法が見つからず、ブランカーのジャックをそのままにするとマキシマス要塞や仲間達が巻き込まれてしまうとの判断も間違っていないと判断したのだろう。だが理屈ではブランカーの方法が正しいと判断しても、目の前の友人を殺せと情が許してくれない。しかし自分が躊躇している間にジャックはマキシマス要塞へ近づき、ブランカーがならば自分がと撃とうとする時に、とうとうクロームドームはジャックを発砲。土壇場で記憶を取り戻して爆死するジャックの描写もまた悲しみを漂わせた。この挫折を前にクロームドームは友人一人も救えないと思いあがっていたと反省する中、ブランカーのこの怒りを次の戦いで向けろとの助言する。この時「俺はあんたの事が好きじゃないが実力は認めるよ」の台詞と共にクロームドームはブランカーを認める。「俺もあんたは好かないな……」と彼の前では言いながらブランカーはこっそり「彼はいい戦士になれる」とフォートレスへ教える描写も含め、ぎこちなくも絆が芽生えた事を示しクロームドームの成長を描いた印象的な一本となった。
そしてクロームドームにとって憎き敵・シックスショットについて述べよう。彼はジャックを殺した以前にも同じクロームドームの友人アベル、そしてサイバトロンの主力ウルトラマグナスへも手をかけている。だが、彼の汚れ仕事もデストロンという一筋縄でいかない組織の為に舵を取り続けていた故に過ぎない。セイバートロン星崩壊に巻き込まれてガルバトロンが生死不明になった状況で、新参者で腹の内が良く分からない野心家(彼を生死不明に追いやった人物でもある)スコルポノックの総司令官就任を認めた背景も、ガルバトロン不在時に組織を牽引する為に彼のようなカリスマを持つ男ではなければならないと判断した為だろう。その後第16話「惑星サンドラSOS」でガルバトロンが生存していたと知ると彼はすぐさまガルバトロン側へ鞍替え……とこれで終われば苦労はしない。第26話「氷山に消えた破壊大帝」ではガルバトロンが自らエネルギーを手にする目的が最強のボディグランドガルバトロンとして生まれ変わり、デストロンの構成員も自らのパーツとして取り込む野望を知ってしまう。その時シックスショットはガルバトロンへ見切りをつけてスコルポノックと共謀して彼を見殺しにした。シックスショットの行いは寝返りというよりもガルバトロン自身の野望が組織を破綻させる可能性が高かった事を考慮すると仕方がない所であろう。
その後スコルポノックの片腕としてシックスショットは組織の為汚れ役も平気でこなしたが、彼の存在が徐々にスコスポノックは鬱陶しく思えてあ。第32話「わが友シックスショット!」ではダニエルとシックスショットがダイラ星へ漂着し、デストロンの組織から解放されたシックスショットがダニエルの保護者のように接する優しさ、そしてスコルポノックが自分を仕留めようとしている背景を知らない悲哀が密かに描かれた。この後シックスショットの人柄を知ったダニエルはクロームドームにシクスショットは悪くないと言うのだが……第33話「アステロイドの決闘」でヘッドマスターを討ち取れとのスコルポノックからの命を受けたシックスショットはクロームドームへと挑戦状をたたきつけた。ブランカーから「血気に掛けた一時の勇気は真の勇気とは違う」とサイバトロンから除隊される可能性を警告されると「除名結構!除名された不名誉より、挑戦に応じない卑怯者の誹りを俺は恐れる!!」とクロームドームは決意の固さを表明。この心意気にブランカーは若き日の自分を思い出して一人の戦士として彼を送りだした。サイバトロンの組織を越えて一人の戦士として決闘に挑むクロームドーム、デストロンの組織の為に飽くまで任務としてサイバトロンに決闘を申しつけたシックスショット。両者のドラマに一つの区切りがついた決闘でもあった。
組織の中で生きる戦士達の重厚なドラマを描いたヘッドマスターズの後を受けてマスターフォースが登場した。こちらは独立した新シリーズとして仕切り直され、スコルボノックやフォートレスマキシマスの設定を引き継いだキャラクター、クロームドームのゲスト出演(ただし第4話のみ)、ヘッドマスターの設定を継承したヘッドマスターJrなどと僅かに前作とのつながりはあるが全体とすれば独立した新作だ。また日本のオリジナル作品との事もあってかキャラデザは日本風に近づけられ、デストロン側は尖兵を繰り出して平気で市街地を破壊して人を殺めるといった悪役としての色付けがなされている。
マスターフォースで試みられた点は人間とトランスフォーマーの繋がりを“少年は今、戦士に変わる”とのフレーズと共にトランスフォーマーとして戦う人間達のドラマを展開した。トランスフォーマーとしての正体を隠して人間として過ごすホーク達プリテンダー、彼等の弟分として子供達が変身するシュータ達ヘッドマスターJr、そして主力戦士として若者が変身して超魂パワーを操るジンライ達ゴッドマスターといった形で、トランスフォーマーの概念も人間と絡めた形で明確な区分化がなされた。それ以外の面々でも言葉は喋らないがジンライのパートナーとして尽くすゴッドボンバー、あえて純粋なトランスフォーマーの身で人間の持つ力へと挑むシックスナイトなど個性的な面々が花を添えた。
そして作風がサイバトロン側はトランスフォーマーから人間の姿を取り入れたプリデンターの面々が次代を担う子供としてヘッドマスターJrを見守り、同じく次代を担う戦士としてゴッドマスターを鍛える存在として中盤まで描かれ、トランスフォーマーの種類毎に、まるで父・長男・次男のような疑似的な家族の関係が構築されていた。デストロンも悪役の色が強まった事とは別に家族のような関係が強調された。これには組織の半数以上が人間の姿を持つ面々との事も関係しているだろう。シュータ達に対抗するワイルダーらデストロン側のヘッドマスターJrも所詮悪ガキであり、人質を取れとか殺せとかいった内容の任務には躊躇して実行できず、サイバトロン側からも彼らが悪に染まりきっていないと認識されていた。彼ら子供だけでなくデストロン側の前線司令官でもあるオーバーロードのキャラ付けも独特だ。人間体のギガ・メガは外見上夫婦に見えるだけでなく、デストロンの父親、母親というキャラ付けがなされていたのである。メガは母親として穏やかで慈悲深い面も併せ持っており、戦いに葛藤するキャンサーに対しても家族だから喜びも苦しみも一緒に味わえるという悪役らしからぬ姿勢で相談に乗っていた程。ギガもまた厳しい性格だが武人として正攻法を重んじ人間の部下を常に案じる男として描かれており、やがて二人は人間の力を利用するつもりが、いつの間にか人間の魅力に気付いて最終的に真の黒幕デビルZへ反旗を翻すドラマに繋がった。余談だがこの作品のデストロンは構成員がテーブルを囲んで食事する描写も存在しており、より人間臭い印象を与えた。
ただ人間とトランスフォーマーの関係を様々な形で表現する姿勢に意欲的だったマスターフォースは、扱うキャラクターが膨大だったためかやや消化不良な面が存在していた。トランスフォーマーVでは再度エネルギー争奪戦をメインとした勧善懲悪ものへ原点回帰。デストロン側の恐竜戦隊を主にSD表現によるコメディシーンが追加された所はバラタックを彷彿させる作風の変更ともいえる。また主役のスターセイバー以外にもロードシーザー、ランドクロス、プレタキング、ライオカイザーと敵味方問わず多数の合体ロボットが登場するようになり、マスターフォースで初めて試みられたパワーアップ合体に続いて、後の勇者シリーズや戦隊シリーズ等に影響を与えた。なお、こちらも前作とのつながりはゴッドジンライが登場する点ぐらいでありほぼ独立した作品となっている。
そんなトランスフォーマーVのキャラクタードラマ要素は前2作と比べると薄味だが、メカニックのイベントに絡めたドラマはなかなか長いスパンで展開された。特にライオカイザーと最強形態ビクトリーセイバーの登場は見どころともいえる。ライオカイザーはデストロンの配下であるブレストフォースの面々が合体した形態だ。全員が胸から動物型のオプションメカを駆使するブレストアタックを得意としているギミックが全編小気味良く活かされ、またリーダー格のレオザックはデスザラスのポジションを狙う野心家であり、他の面々もレオザックの地位を狙う策士ヘルバット、クールな一匹狼ガイホーク、古参の常識人だがいざとなればリーダーを出し抜くドリルホーンといった個性あふれる面々がデストロン側の群像劇を盛り上げた。そんなブレストフォースの面々は最初様々な事情で別の場所にいた為にライオカイザーへの初合体は全員がそろった直後の第19話「合体!ライオカイザー」でようやく行われた。
ところが、その合体劇の際にひと波乱が巻き起こった、ライオカイザーの場合、危険分子レオバットだけ別のメンバー・デスコブラと交代させてしまおうとレオザックら5人が計画している事を知ったヘルバットが、自分の身を守ろうとしてデスコブラを説得しようしたいざこざから彼を射殺してしまい、その上ヘルバットはサイバトロンがデスコブラを殺したとレオザック吹き込んだ結果、ブレストフォースの6人は初めて心が1つになってライオカイザーへ合体してしまう――という友情や団結とは無縁な策謀に満ちた初合体エピソードはそう見られたものではない。
その後ブレストフォースの内部抗争は第25話「死を賭けた激闘」で一大作戦を決起する為、既に野心を看破していたレオザックへデスザラス自ら釘を刺した事を機に自然と収束していった。また、新たに出てきたイベントがビクトリーセイバー登場までのドラマだ。このドラマはデスザラスとライオカイザーの手によってサイバトロン側の被害も大きく、ブラッカーやスターセイバーが重傷を負って一時戦線離脱を余儀なくされた事から始まる。サイバトロンの窮地において援軍としてかけつけたゴッドジンライまでもデスザラスによって重傷を負って息を引き取ってしまった為地球が実質デストロンに支配される状況にまで追いやられてしまったのだ。打開策として戦士としてゴッドジンライが生きる唯一の術としてビクトリーレオへの改造が行われるがその結果ゴッドジンライの記憶と新しい体が拒否反応を起こして暴走するアクシデントが発生。ジャンの必死の叫びで記憶を取り戻すも荒々しく生まれ変わって一見落着かと思えば、ビクトリーレオはスターセイバーと性格が正反対であり、そんな両者が世界の主要都市にミサイルを次々とぶちこむデスザラスの卑劣な戦法を前にしてようやく心が一つになってビクトリーセイバーへとの合体を遂げる。なお、初合体のエピソードは第30話「逆転!必殺のビクトリー合体」であり、ビクトリーレオ登場、合体に至るまでのドラマを約6話も尺をかけており、初登場した時点で残りあと7話という実に終盤のサプライズとして降臨した最終形態であり、本腰をあげて登場した最強形態が最終決戦のテンションを高く維持されていた。
なお、東映アニメのトランスフォーマーシリーズ最終作がトランスフォーマーZ。媒体を変えてOVAで発売されたが……残念ながら前編しか製作されず後編の映像化は至らなかった。(後半は雑誌展開で引き継がれた)実質1話分しかないこの作品にドラマ性は探せという方が難しいが、トランスフォーマー版「マジンガーZ対暗黒大将軍」ともいえるコテコテの試みが特徴だろう。前2作とは異なりトランスフォーマーVの続編として始まり、スターセイバーがバイオレンジャイガー率いる九大魔将軍(おまけにリーダー格オーバーロードの中の人は野田圭一氏)によって苦戦へと陥り、新戦士ダイアトラスによって救われる導入部、またダイアトラスもマグマの噴火へと相手を撒き込んで仕留めたり、禁じられた最強形態ゾーンモードを解放したりとなかなかギリギリの状況で九大魔将軍と戦っている。小ネタではエネルゴンZと名乗るエネルギーやOPが水木一郎氏のボーカル等とZだけに意識したネタが多い所は御愛嬌だ(笑)
その後トランスフォーマーVの製作スタッフはコメディ作品「かりあげクン」を経てその後にゲッター號を手掛けた。このゲッター號は漫画版とはベクトルが異なる勧善懲悪の正統派巨大ロボットものとして手掛けられた他、マジンガーZの予定が版権関係の事情からゲッターロボへとリメイクの対象がすり替わった複雑な経緯を持つ。その為かゲッターでありながら主人公・一文字號のヘアースタイルが兜甲児を彷彿させる点や、敵組織はマッドサイエンスの科学者が爵位を持つ人造人間を幹部として作り上げ、途中から外部からの協力者を招く点などマジンガーZを彷彿させる要素も存在している。
またゲッター號もドラマ色の強いエピソードは薄味だ。一応剴と弟の哲の物語、翔と兄・信一のつながりといった連作は存在していたものの中途半端な印象は否めない。そして終盤では敵の身でありながらプロフェッサー・ランドウに捨てられたラセツ男爵とランドウの元で誘拐されて父を死に至らせたレミとの間に生まれた絆といったドラマは存在するが特別色の強いドラマではない。だが、この作品もトランスフォーマーV同様メカニック関連のドラマに力を注いだ作品だった。
序盤の1クールの時点でゲッター號は合体機構も武装も存在していないプロトゲッターとして扱われる。第1話「出動!!武器なき戦い」はサブタイトルが内容を表さんとばかりに、プロトゲッターが徒手空拳で戦い、バトルヘリやキャリアーなどといった航空戦力を利用しての飛び蹴りでどうにかメタルビーストを仕留めるといった形で剣や光線を放たない久々のロボットとして異例の存在感を放った。その後徐々にプロトゲッターが武装化されていく展開が続き、ナックルボンバーやハンディキャノン砲、暫時的な飛行用ブースターと追加されていく展開が続く。この序盤の作風は吉田竜也プロデューサーのアイデアらしく、ゲッターを兵器として強化されていく過程を描く面白さを求めるスタイルはリアルロボットを彷彿させる味わいだ。
その後、第11話「合体せよ!鋼鉄の戦士」においてプロトゲッターがゲッター號、翔、凱の3種へ変形可能となる大改造が施され、以降前2作のゲッターさながらのスーパーロボットとしてのバトルスタイルを強めていく。そして第32話「Gアームライザー発動!!」においてゲッター號はGアームライザーと合体してスーパーゲッター號へパワーアップ。必殺剣ソードトマホークを駆使する姿は勇者、エルドランシリーズ等のスーパー合体を踏襲したような試みだ。かくしてロボットアニメ約20年の歴史をメカニックの変遷に詰め込んだゲッター號。最終回「ゲッターよ永遠に眠れ」ではメタルビースト・カローンを相手にソードトマホーク、Gアームライザーを破壊され、さらにバックパックとして機能していたゲッター2を失いながらもかつての徒手空拳でカローンを仕留めるラストバトルが繰り広げられた。戦闘用へとパワーアップを続けたゲッター號が本来の宇宙開発用へと回帰していく事でメカニックの変遷へ一区切りを付けて東映アニメのロボットアニメは世紀を越さんとばかりに長い眠りへ入った。
・世界を越える努力、時代を越える恋情、社会を越える仁義~ガイキングLOD、銀色のオリンシス、楽園追放~
その後東映アニメはロボットアニメから離れた時期が続いた。「ジャグリオン」や「Zマジンガー」「マシンロボ」といった企画案はいくつか存在していたものの、ゲッター號の後に手掛けられたガイキングLODは約13年ぶりのロボットアニメとなった。21世紀最初の東映アニメロボットものでもあり、従来とは異なり異世界を舞台に繰り広げられる作風となった。従来の作品とは異なりガイキングLODは前番組の穴埋めとして、関東ローカルといったように恵まれた環境の放送ではないガイキンLODであったが現在は本家に並ぶ知名度を獲得した作品として評価されている。大塚健、三条陸各氏が軸となってメカ、ドラマ面に対しての功績も大きいものであろう。
ガイキングLODは本家と同じくメカニックとキャラクターのドラマが均等に盛り込まれた作品だ。差異とすれば本家がガイキングと大空魔竜の力関係はやや後者が上だった事に対し、ガイキングLODでは前者の方が上となった。本家で行われた大空魔竜のパワーアップイベント要素は兄弟艦の大地魔竜、天空魔竜へと武装が譲られた事に対して、ガイキングのパワーアップイベントはフェイスオープンの他に、スティンガーらサポートメカとのマルチ合体、合体技、兄弟機でもある炎の巨人ライキング、バルキングと共に行われたガイキング・ザ・グレートへのパワーアップ合体などと強調された。
このガイキングの活躍が本家よりも押し出された背景は主人公ツワブキ・ダイヤの存在感がサンシローよりも大きく打ち出された事もあるだろう。本家が群衆劇の路線を意識する反面サンシローの存在がやや薄かったが、ガイキングLODの場合はダイヤが5年前に父が行方不明になった時に自分を救った大空魔竜と再会出来れば父を探せるという戦う目的が明確であった。そしてダイヤは母親の元から離れ、大空魔竜の中で仲間たち絆を深めていくが、このダイヤ達の成長劇がガイキングのパワーアップイベントと共に密接に絡んでいた。特にフェイスオープン発動イベントが描かれる第13話「衝撃!キャプテンは父さん」は西田達三、山下高明各氏を始めとする豪華アニメーターによってシャープなキャラクターデザインとケレン味の漂うアクションと共に盛り上がるドラマを展開した。
ダイヤがそれまで父だと思い込んでいたキャプテン・ガリスの正体を知ってふっ切った彼は再び戦場へと乗り込む。相手のノーザも前回の敗北をリベンジせんと強化されたドルマンで圧倒していく中、ダイヤはフェイスオープンの使用を決意する。その時シズカはフェイスオープンにリミッターボルトが追加された事でフェイスオープンの限界時間が判明するようになった事を教える。ダイヤは“つまり自分に死ぬまで戦えということ?”と笑いながら、同時に大空魔竜の面々が全然諦めていない姿勢に感心して大笑いを皆に見せた、ならば自分も諦めないとフェイスオープンを発動させ、繰り広げられた激突は「強いから勝つんじゃねぇ、諦めねぇ奴が最後まで勝つんだよ!!」との仲間の諦めない姿勢を背負ったダイヤの叫びと共に勝利をもたらした。
この「諦めない奴が最後まで勝つ」とのダイヤのドラマは彼だけではない。ダイヤの兄貴分でもあるリーはかつてガイキングを操って敗北した挫折から無気力な人物になっていたが、バスターガイキングの連携プレーでリベンジを成し遂げてから、コンバットフォースチームのリーダーを任されるまで着実に成長を続け、また第16話「包囲網突破!リーと女豹」でリーが偶然ダリウス側の四天王の一人ヴェスターヌとお互いの素性を知らないままの逃避行を経験してフラグを立てた。
またダイヤのライバル・ノーザは第13話での敗北以降もガイキングの打倒に燃えるが、第19話「新皇帝の罠!ガイキング処刑!!」で自分自身は新皇帝プロイストのスペアパーツとして作られた正体に挫折し、殆どの部下にも見限られてしまう。だが、失意の中ノーザは第26話「悪夢の序曲!よみがえる大地魔竜」でプロイストの操るバルキングを前にガイキングが敗れる事が耐えられず、自らダイヤを庇う事を選ぶ――プロイストのスペアパーツとして生まれた彼が生きる望みはダイヤを打倒する事以外には残されていなかったのだ。
そしてルルは第27話「暴かれた黒い過去!ガリス哀しみの仮面!!」でガリスの素顔がかつて母を殺した人物と同じだった事に戸惑う。そしてプロイストの口車に乗って彼を殺そうとしてしまう所、ガイキングとライキングの戦いに巻き込まれる彼女をガリスは父として娘へ償うかのように身を持って彼女を救えた。その後母の死の真相を知ったルルはガリスを傷つけた罪悪感から一度大空魔竜から逃げ出そうとするも、父の言葉を前に第30話「二代目は13歳!総力戦だぜキャプテン・ルル!!」で髪を切るとともに父の後を継いで大空魔竜の二代目キャプテンへと就任した。
彼ら3人を始めとする「諦めない奴が最後まで勝つ」のドラマが実を結んだエピソードが第31話「見よ!讃えよ!!ひざまずけ!荒神グレート降臨!!」だ。キャプテン・ルルの元2代目大空魔竜に立ちはだかる二大魔竜、そしてプロイストに洗脳されたノーザ、ヴェスターヌが操る二大巨人。この強大な敵を前にルルは抗い、リーはヴェスターヌを救ってフラグを回収した上、かつて挫折したパイロットへの道をバルキングで成し遂げる事となり、そしてダイヤに救われたノーザはライキングのパイロットとしてヴェスターヌ共々ダリウスへ反旗を翻す。父の想い、恋人との絆、自分に残された生きる道。三者三様の「諦めない奴が最後まで勝つ」ドラマがそれぞれ実を結んで、全てはダイヤに託された――ガイキング・ザ・グレートの降臨と共に。
ガイキング・ザ・グレートは一般的な複数の機体が合体するのではなく、それぞれの巨人の1パーツずつが合体する珍しいタイプのパワーアップ合体だ。このシステムがかえってダイヤの「諦めない奴が最後まで勝つ」スタンスを強調したと言っても良い。ガイキング・ザ・グレートは劇中では僅か3回しか登場していない。それも内2回は最強の敵ファイナルドボルザークとの決戦であり、もう1つも崩壊していくダリウス帝都を支えて大勢の人々を救う目的で使用されるなどまさに絶体絶命の状況でしか使用されていない。そしてガイキング・ザ・グレートへ合体させるためにノーザとリーが後は頼んだぞ!と該当パーツを託して余りパーツのまま地面に横たえるシーンが挿入されるが、それも絶体絶命の中志半ばで倒れた仲間の心情を表しているかのようだ。「自分はここまでだ、後は頼んだぞ……!!」と全力で戦った二人、いや大勢の仲間達の想いを背負ってダイヤはガイキング・ザ・グレートを操り仲間達の想いに応えた。このガイキング・ザ・グレートの存在こそ「諦めない奴は最後まで勝つ」ドラマを体現したメカともいえよう。
ガイキングLODがマジンガー以降の東映アニメのロボットアニメを総括する集大成のような存在ならば、入れ替わるようにオリンシスは東映アニメにとって新しいロボットアニメへの挑戦だった。従来のスーパーロボット的な表現から離れ、初めて深夜帯で放送された点も含めて高年層向けのSF路線を目指し。ライトノベルとのメディアミックスやキャラクターデザインに平井久司氏を起用する試みなどもそれまででは見られない挑戦だ。この背景は当時東映アニメが設立50周年を記念してヤングアダルト路線の強化を図っていた時期であり、同年には「化~ayakashi~」や「神様家族」などといった高年層向けの作品が製作されている。だが、オリンシスは人や物が異なる時空へ飛ばされるオリンシス現象に代表される舞台のからくりについては最後まで判明せず、メカアクションや作画の低調と芳しくない環境の中、メディアミックスも中倒れと実質打ち切りの状態で終了。無念にも東映アニメのロボットアニメはまた長い休眠状態へと入った。
そんなオリンシスだが10代の少年少女が織り成す青春群像劇の出来は良好だった。トキトが出会った謎の少女テア、そして彼の幼馴染ミスズの三角関係から始まり、宿敵として存在する執政官アルはテアを自分の物にする為にトキトを奪われたくないとミスズと結託して立ちはだかる。また歴史の監視者としてトキト達と行動をともにするセレナもトキトへと接触を試み、トキトの仲間であるジンはセレナに好意を寄せるも彼女からはしょっちゅうあしらわれ、同じく仲間のヨウイチはミスズへ淡い思いを抱く。トキト達の中では最年長のブライアンとアルの部下ボルフがお互いオリンシス現象によって仲間同士から敵味方に引き裂かれた為の確執と和解までの過程も並立して展開されており、1クールで多彩な人間模様が展開された点は評価に値する点であろう。
特に第8話「涙色の決意」はオリンシスの世界で往年の東映アニメ色が強く現れた一本だ。セレナは戦いの中でトキトに対して好意を抱き始めるものの、自分自身が歴史の監視者としてトキトへ好意を表してしまう事は歴史の改変になってしまう為許された事ではない。だがもう1つ自分に対して好意を抱いているジンが次の戦いで死ぬとの未来も知ってしまっていた。そんな彼の熱烈なアプローチをまた受けたセレナは出動しようとするジンを気絶させる。告白を受け入れる代わりに彼が死ぬ運命を変えようとセレナは試み、歴史の改変に干渉した時セレナはトキトに対して遂に自分の気持ちを告白――その瞬間の彼女は謎のお姉さんではなく、恋する女の子そのものの健気さが放たれた。
だがしかしジンは死んだ。遅れて出撃した彼は窮地に追いやられたトキト達を庇って身代わりになってしまったのだ。直前のセレナが「これでいい!私が何とか耐えてみせる!流れに逆らってみせる!!」との叫びも虚しく、相手の攻撃に弾き飛ばされて無音で爆破四散したジンの機体が彼女の瞳に映る――その後彼女は悟った。「歴史を変えられる事が思いあがりにすぎなかったとも……。
最後に楽園追放。10年代では最初の東映アニメロボット物になり、オリジナル長編映画によるロボットアニメは意外にもこの作品で最初となった。そしてほぼフルCGで製作される新しい試みが行われた。この背景には「シドニアの騎士」や「蒼き鋼のアルペジオ」などといったフルCGアニメーションが10年代から定着し始め、東映アニメでもプリキュアシリーズのEDを始めとして、「キャプテンハーロック」、「聖闘士星矢」などといったフルCG映画も手掛け出しており、クオリティの観点では従来の東映ロボットアニメものよりも、10年代以降の東映アニメの作風の延長線上にある作品と見た方が良いだろう。
上記の視聴感想で楽園追放について概ねは述べたが、今回の記事をまとめるきっかけとなった描写が楽園追放の中で“仁義と呼ばれる価値観”との単語が出てきた事による。損得を抜きにしてアンジェラを助けたディンゴとフロンティアセッターの背景には“仁義と呼ばれる価値観”いわば情があったからである。ディーヴァからのエージェント達を相手にたった3人で劣勢の戦いへと身を投じる彼らが宿した情は、彼らが同じ大地で生きる人間であるが故。地上に生きる人間ディンゴ、楽園から追放された少女アンジェラ、かつての人間の末裔としての感情を宿すロボットフロンティアセッター、生まれや育ちは違っていても一つの命、地球の子供なのである……。ディーヴァ、外宇宙、地球の3つの社会といった80年代を彷彿させる世界観の中で、アンジェラが楽園から肉体の檻の中で生きていく事へ適応していく10年代の感覚で描かれた人の生き方が綴られた楽園追放。アンジェラが地球の不自由な環境で肉体の檻と共に生きていく事を選んだ事には、ディンゴが教えた仁義と呼ばれる価値観――いわば、70年代から続く情のドラマが存在していたこともあるだろう。
・最後に
以上、全22作品について振り返りながら東映アニメのロボットアニメについて私的にまとめた。ここで東映アニメのロボットアニメに漂う情のドラマについて、「マジンガーZ対暗黒大将軍(監督)」「超人戦隊バラタック(SD)」等の西沢信孝氏は東映アニメの作品が人間ドラマをメカニックより推しだす傾向があり、ガンダムのような作品が生まれる土壌ではなかったと述懐されていた事を補足したい。ここで西沢氏が指したガンダムは人間ドラマ主体ではなくメカニックを主体とした作品として取り上げている事が面白い。東映アニメのロボットアニメはスーパーロボットが活躍する明快な作品が多いが、スーパーロボットはメカニック性ではなくヒーローの延長線上として描かれており、また人間ドラマを盛り上げる添え物のような存在だったのではないだろうか。この件は70年代がメカニックの魅力を掘り下げるには時期が早かった事もあるが、80年代以降のロボットアニメにメカニックを掘り下げる作風が増えた事も、東映アニメの得意とする作風があまりロボットアニメと共存しきれず、80年代以降は一転して寡作に陥ってしまった一因にもなるだろう。無論、80~90年代の東映アニメが漫画作品を原作とする作品を手掛ける事が多かった点も十分関係があるだろう。
だが、情のドラマこそ東映アニメのロボットアニメが抱える個性そのものであろう。スーパーロボットが活躍する世界にも、兵器的なロボットの戦いが繰り広げられる世界の根底にも人と人との情のドラマが存在しているのだ。強くて大きい僕らのロボットが活躍する世界にも情があり、苦しかったら弾ける希望をかみしめる世界にも情がある。ここでピンチにもし怯んで世界の果てまであとずさるような世界にも情があれば、諦めない奴が最後に勝つ世界にも情がある。無論仁義と呼ばれる価値観のある世界にも情がある事は言うまでもない。
楽園追放で10年代の東映アニメによるロボットアニメが生まれ、それはマジンガーZ以降から続く伝統が新たな息吹と共に甦った瞬間だ。この進化を始めた伝統は再び永い眠りに入るか、新しい伝統へと発展していくか。楽園追放が託したバトンの行く末を私は見守りたい。
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