(今だから)Vimが面白い
Linuxでサーバーを運営したりあれこれしていると普通にぶつかるのが「viの壁」だと言われたりする。
他に選択肢がないということもあって仕方なく使うモノだという印象もある。
とりあえずviの基本となる本(オライリーのやつ)は買ったがあまりピンとこないでいた。
まあ最低限覚えて最低限の範囲で使っていたわけだ。
そんな中、下のような題名の本を見かけた。
実践Vim 思考のスピードで編集しよう! アスキー書籍
「思考のスピードで」というのがなんともソソる。
いやはや読んでみると面白い。
よく見てみればvimとは私が昔頭の中で考えていた「究極のエディタ」に一番近いでは無いか。
そんなことにもこの本を見るまで気がつかなかった自分のバカさ加減には呆れる。
それでもその思考パターンを知り、実際に指が覚えるのはなかなか時間がかかる。
とりあえずWindows環境にはgVimをいれて、Linuxの入っているネットブックにもgVimを入れる。
さらにHP200LXを引っ張り出してきてDOS版のvimを入れたりもした。(DOSではプログラムサイズでかなり厳しい。シスマネ上からはmaxdosを仕組まないとダメなぐらいだ)
日本語入力では英語入力とは異なり、なかなか「思考のスピード」とはいかない。
それでも少なくとも英文字が殆どのプログラミング(HTMLやCSSも含む)や.confファイルをいじるには快適に感じるようになってきた。
いや、快適というか快感である。
こんな数文字打つだけでサクッと片付くのかと。
感覚的という美名の元に、どれだけムダにキーを叩かされていたのだろうかと。
まだ頭の中で考えてコマンドを打っているようで手元だけ見ているとおよつかないレベルなのだが、ただ手元だけせわしいのに実際はたいして捗らない普通のエディタとは感覚が違う。
マイクロソフトのオフィススイートを使っている場合、マウスで目を凝らして必至にやっているようでも、実はなかなか作業が捗らない状態から、ダイアログ(プロパティ)から数字でパチッと指定して作業を進めるようになった時の感覚にちょっと似ている。
CUIがGUIになり、マウスがだのWYSIWYGだのタッチだの直感的だのいう割には作業効率が上がったかというと極めて疑問に感じることが多い。
とっつきが早くなり、習熟は早くなったのかも知れないが、その分、浅くなった。
使えば使うほどに味が出る、というところからはかけ離れる一方のことが多い。
それは本質的にそうはならない、ということもあるし、そこまで両面に力を向けられないということもあるのかもしれない。
しかしどちらにしろ今の“進化”方向が本当に望ましいことなのか、今一度考えさせられた一例である。
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