ぐるりみち。

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選択肢としての「レールの外」の話

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photo by ecstaticist

 

 

 トークイベント、お疲れ様でした。無料イベントながら、貴重な祝日の時間を割いてまでご来場くださった皆様、本当にありがとうございます。

 

 やっぱりああいう場で話すのは慣れないもので、明らかに見当違いの回答や、流れをぶった切るコメントをしてしまい申し訳ないです。

 普段から意識して「話す」のに慣れないことには、テンパっちゃってどうしようもないっすね。マイクを手汗まみれにしてすみませんでした……羽織は脱いでおけばよかった……。

 

 その中で話すタイミングがなかったので、この「レールの外」という言葉について思うことをば。

 

 

「レールの外」に自由はない

 字義通りに捉えるのであれば、ぶっちゃけ「レールの外」に自由やら理想郷やらといったものはないと思う。

 

 「レール」の定義にもよるだろうけれど、それは「会社員」や「自営業」といった肩書きに収まらず、「集団」や「規範」「法律」とも言い換えることができるんじゃないかと思う。

 

 その上で「レールの外」とはどんな場所ぞや、と考えると、それは社会からも法律からも倫理からも逸脱した、一個体として生きていくことと同義なのではないかしら。

 正規社員にせよ、フリーターにせよ、無職にせよ、社会に属している以上は誰もが何らかの肩書きを持ち、それぞれの「レール」の上を歩んでいる。そこを外れるということは、人間社会との関係性を絶つとも受け取られかねない。

 

 むっちゃ極論だけれども、大前提として「レール」は誰の前にも続いているものなのでしょう。むしろ、現代の日本社会においてはそこを外れる方が難しい。

 

 こうやっていつも旅ばかりしていると、ときどき思うんだ。

 人生は汽車に似ているな、ってね。

 旅をしながら年老って古くなってゆく。自由になりたいな、って思うが、レールの外へ出れる訳じゃない。

『花嫁化鳥』/寺山修司

 

 

「普通」「一般的」「多数派」としての「レールの上」

 僕の考える「レール」とは、日本社会で生活を送るに当たって多くの人が支持している、多数派としての生き方。「普通」とか、「一般的」とか、大勢が信じ実践している「当たり前」のもの。

 

 そういう意味で、僕にとって生まれてからの23年間は、紛れもなく「普通」のレールの上を歩んできたものであり、それは確かに「安定」している幸せなものでした。

 

 お金持ちではなく、かと言って困窮しているわけでもない一般の家庭に生まれ、公立の小中学校で義務教育課程を終えて、そこそこの進学校へ。大学受験は第一志望に落ち、これまたそこそこの大学へ。浪人も留年もなく、唯一内定をもらえた大手メーカーへ就職。

 

 そんな「レールの上」の生活は何ら文句のあるものではなく、というか文句なんざ言ったら方方から批判の嵐が来るだろうし、それ以前に両親に申し訳ない。

 ひとつだけ、「転勤族」という若干の特異性(?)はあったかもしれないけれど、それも多様な環境で暮らすという、刺激的かつ楽しい生活であったように思う。……少し、思春期に諸々をこじらせた感じは否めないけれど。

 

 それゆえに、僕はそんな「レールの上」は当たり前のものとして推奨されるべきものであると思うし、考えなしで退職したり、プロブロガーを目指したり、YouTuberとして一念発起することも勧めようとは考えません。

 「普通」だっていいじゃない。というか、そんな「普通」を享受できていることが幸せ以外の何物でもない。「レールの上」はいいものです。そのように成長してきた自分も、育ててくれた両親も否定したくはない。レッツ自己肯定。

 

 

「レールの外」という選択肢

 じゃあどうして「レールの外」がどうのという話になるのかと言えば、レールの外は「外」として、他方では尊重されるべきだと思うから。選択肢と可能性、働き方の多様性の話。

 

 多数派志向というか、伝統の偏重というか、レールの上という「普通」をあまりに美化しているのか、レールの外という「それ以外」を強く否定・批判する流れがたまに散見される点。それが、ちょっと疑問なのです。

 もちろん、「ノマド」とか「プロブロガー」とか「YouTuber」とか、新しい生き方に対して、これはすごいものだ!新時代の働き方だ!と盲目的に賛美するのは怖いけれど、かと言って、それを全て「あり得ない」ものとして貶めるのもどうなんだろう、と*1

 

 個人的には、それらの「新しい生き方」は現代の会社員のように普遍化するようなものではなく、技術や能力やコネや運、諸々を持っている人に限定された選択肢なんじゃないかと思う。誰もができることではないけれど、選択肢のひとつとしては認められるもの。

 もしそれが法を犯す行為をはらんでいるのであれば、確かに批判されて然るべきでしょう。昨今の、なんちゃらメディア問題とか。けれどそうでないのならば、それは会社員や他の自営業同様の「生き方」の選択肢のひとつとして、尊重されてもいいのでは。

 

 そんな意味で、この『レールの外ってこんな景色』という本は、著者のそれぞれが「ブログ」というツールを利用することで、それぞれが見ている別の「景色」を書き記した本になっています。なっているはずです。たぶん。僕はそう読めました。手前味噌。

 

 僕自身の「無職(兼ブロガー)」なんて肩書きだって、そもそも全く珍しくもなんともない「レール」のひとつなんですよね。だって、新卒者の3割が3年以内に仕事を辞めて、そのうちの何割かには無職期間があるわけでしょうし。

 でも、その「レール」は世間的に見れば「細い」もの。会社員として長く働く人のレールがJRのものだとしたら、僕のような無職は私鉄か地下鉄か。新宿駅から乗れるのは、山手線や埼京線や中央線だけじゃないんだよ!小田急も京王もあるんだよ!ロマンスカー!

 

 そんなこんなで、書いてみると単なる言葉遊びでしかないようにも思いますが、「レールは一本じゃないんだよ!」という他の選択肢を示す意味での「レールの外」という表現でした。僕にとっては。他の著者さんにとっての定義は、また違ってくるはずです。

 

 ただ、こうやって書くと、ちょっと前の某CMが思い出されて複雑な気分になるんですよね……。「道はひとつじゃない」「人生はマラソンだ」ってやつ。探してみたら、消えてたっぽい。言ってることは同じなんだけど、何と言いますか、表現って、難しいね!

 

 

 この記事の別視点版としてまとめようと思ったら、

 

 

 既に似たようなことを、ぴったり半年前に書いていた模様。

 この頃から、レールだなんだと言ってたんですね、僕。

 

 

レールの外ってこんな景色: 若手ブロガーから見える新しい生き方

レールの外ってこんな景色: 若手ブロガーから見える新しい生き方

  • 作者: イケダハヤト,タクスズキ,鳥井弘文,けいろー,ツベルクリン良平,下津曲浩,池田仮名,金野和磨,中里祐次
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*1:勧めはしないけれど、純粋に「すげえ」と思います。