はてなブックマークやはてなで話題の記事のツイッター投稿は対象が誰であれ陰湿に何かを貶す書きこみや、それ星をつけて喜んでいる連中が多い。「社会派アルファツイッタラー」と呼ばれる界隈もこの手の精神を持った人だらけだ。
「下から目線のプロ素人」やネット原住民の原型としてよく槍玉にあげられているのは2ちゃんねるだが、2014年現在の2ちゃんねるの書き込みってそんなにひどくない。逆張りや嘲笑もほとんどないし、長文でのやたら長い言論プロレスが展開される場面もない。大学生が同級生とのツイッターアカウントで投稿する程度のつぶやきの短文だらけで、案外ヌルい馴れ合いが支配的だ。
もっといえば、2000年代初頭時点の2ちゃんねるがそもそも、世間で非難されるような悪しき匿名空間だっただろうか。一部の悪質なユーザがバスジャック事件を起こしたり、猫を殺したりはあったが、あくまでそれは巨大な掲示板群である。今みたいにSNSや口コミサイトが豊富に存在しなかったため、情報集約と交流の場として重宝していた人も多かっただろう。勿論当時のネット文化は今よりも場所と場所、情報と情報ごとの隔たりは激しく、パソコン通信出身者でも2ちゃんねるを知らない人は多かった。
小学生の時に私が2ちゃんねるを知ったキッカケは、趣味のことについてのサイトを探している時に偶然スレッドがあったことだった。いまから15年前くらいだろうか。当時の時点で2ちゃんねるを知っている小学生は湘南にはほとんどいなかった。サーファー系の後輩が「兄貴がスノボーをやっていて、趣味の話題を調べている」と言っていたりもしたが、いずれにせよ高情報感度層の一部であり、「オタク文化」とはむしろ程遠い印象があった。
たとえば鈴木宗男の作ったハコモノ「ムネオハウス」とハウス音楽をかけた「ムネオハウス音楽ブーム」があったりして、クラブで演奏をするオフ会もあったという。サブカルチャーではあるが、世間でいう所のオタク層とはむしろ正反対の側の悪ふざけの方が盛んだったように記憶している。
高情報感度層のうち、「下ネタやコピペや見知らぬ名無し同士のタメ口のやりあいが視界に入っても抵抗意識のない人たち」が公然とねらーであることを吹聴しようがしまいが情報源として用いているのが2ちゃんねるだったにすぎないのだ。
「2ちゃんねる=アニメオタク」みたいな図式ができあがったのは『電車男』のドラマや映画が流行ってからではないかと思う。電車男の元スレの立った場所はアニメオタク専用板ではなかったものの、まるで2ちゃんねらー全員が秋葉原のオタクであるかのような偏見ができあがってしまった。
2000年代後半時期の電車男ブーム→VIPブログブーム→ニコニコ動画ブームという連係プレーの最中に匿名ネットと中和された美少女アニメにハマった層(女性なら腐女子になった層)がそれなりに人口ボリュームがいて、電車男ブームから10年経った今になってそれなりに老朽化した彼らがオタク文化やネット文化を都合よく解釈しているように思われる。
感覚的に、古い2ちゃんねらーっぽさを感じるタレントとしては、言論者だと乙武洋匡氏や谷本真由美(めいろま)女史や春奈風花氏(はるかぜちゃん)あたりではないだろうか。音楽関係なら宇多田ヒカル氏やモーリー・ロバートソン氏あたり。
自称オタク(単に流行りのアニメを追いかけ回しているだけのミーハー)とか、ネット右翼や在特会や、逆にゆがんだフェミや放射脳に陥ったリベサヨやら、はてなやツイッターでルサンチマンの見え隠れする逆張り・嘲笑を行っている「下から目線のプロ素人」は、ネット社会を厄介にさせる存在であっても、どう考えてもネットの主流層ではないし、DIGれば見えやすいだけのノイジーマイノリティにすぎない。
LINE世代で子どもの頃からSNSや動画サイトが成熟している平成生まれ世代の場合、ネットは現実の延長線上と言う感覚が強い。たとえアニメオタクだろうと「下から目線のプロ素人」には抵抗意識があるし、そもそも若者にとってアニメ趣味はミーハー向けの大衆娯楽の中でマイルドヤンキー趣味辺りと並ぶ下位の選択肢のうちのひとつにすぎない。
「下から目線のプロ素人」のネット原住民は、アラフォーから30代世代の中のダメな部類の一部の現象にすぎない。しかし、それ自体は褒められた存在ではないし、行き過ぎるとはるかぜちゃん被害届騒動だったり冒頭引用記事の中年ネット右翼のヘイトスピーチ問題になるのではないか。
昭和後半生まれながらこうした文化に染まらなかった多くの健全な同世代たちに加えて、若い世代と、ネットに疎いが人生経験や教養に長けた中高年たちとが上下左右からプレスすることで、「ハンパに古いネット文化の底なし沼に陥った人たち」の悪しき面は衰退させていく必要がある。