この頃は首都圏と地方の平成時代の文化の性質の違いを考えることが多い。
一番大きなものは何かと考えたが、「幼い頃にディズニー体験をしているか否か」も大きいのではないだろうか。
私が幼い頃に地方(といっても東北や静岡くらいだが)に出るたびに驚いたのは、ディズニー文化の定着のしてないことだった。
県庁所在地ですらディズニーストアが無い。東京ディズニーランド(TDL)に行ったことのない人が大勢いる。子どもなら当たり前に盛っているはずのディズニーグッズが地方ではやたらと普及率が低い。売ってないし、ディズニーのグッズや服装で街を歩く人がどこにもいなかった。ディズニーは親が子どもに与えたがるものだが、そもそも親世代が浸透していないようだった。
逆に言えば、現在高校生世代が幼い頃あたりまでは、東京や神奈川のファミリー層は地方に比べやたらディズニー被れだらけだったと言う見方もできる。TDLは年に何度も行くし、首都圏のファミリー向けマーケティングではディズニーは鉄板だった。
そして、この原体験がその後の人生を左右しているようにしか思えない。
いまは「スティッチ」が地方ヤンキー階層にバカウケし、イオンモールが地方都市にディズニーストアをもたらしているが、後になって農耕社会の文脈に品種改良されたディズニーが流入しても、その捉え方はとても内向きになるのではないか。
首都圏育ちと地方育ちの若者の明確な違いは「異文化に寛容であるか否か」にある。
地方育ちの若者は基本的にムラ社会に縛られている。それは同級生の閉ざされた中で培う常識であり、その派生として民放バラエティ番組の雛壇をとらえていて、ネット社会にも順応している。彼らの会話に衛星放送の話題や海外のネット文化は何一つ、ない。それを地上波民放番組が紹介し、ひな壇タレントがワイプでゲラゲラ笑って初めて受け入れるほどには不寛容である。多神教(八百万)で寛容な日本人とは思えないが、それが島国根性なのだ。
首都圏育ちが違うのは、東京ディズニーランドやディズニーシーが「異文化の原体験」だったことにある。2つのテーマパーク内に再現される疑似アメリカやら、疑似中南米ジャングルや、疑似ヨーロッパやらの体験は、諸外国を好奇心の対象とするための通過儀礼であったはずだ。究極は「イッツ・ア・スモールワールド」である。
世界の童話をモチーフにしたディズニーアニメを借りて観たりすることで、「原作」そのものへの親近感をもたらし、西洋童話をモチーフにした別の文化を受け入れたり、本当にマニアなら原書を読むなどすることもできるようになる。それを入手することのできる巨大書店も都市部にはいくらでも存在する。
もっというと、ディズニーはアメリカの最大のポップカルチャー企業である。実写のハリウッド映画もたくさん作っているし、デミ・ロヴァートのようにディズニーチャンネルのテレビドラマで売れた人気歌手だっている。幼い頃にディズニー文化をふんだんに享受できた子どもほど、ハリウッド映画や洋楽などのアメリカ文化全般への抵抗意識もなくなる。その後「艦これ」オタクになろうと鉄道マニアになろうとも、関心がないからといって理解まで否定したり、アメリカ文化だからと言うだけで敬遠する人にはならないのである。
逆に考えると、ディズニー体験が疎い地方は、つまり、ハリウッド映画や洋楽そのものに排他的な精神風土がある、ということでもある。なるほど確かに、大学の地方出身同級生は、有名なアメリカのコンテンツすら知らない子たちが多かった。フランクシナトラもイーグルスも知らなければスヌープドックも知らないのだ。
好きな映画は電通の吐息のかかったような漫画やドラマ原作の実写日本映画であり、ハリウッド映画への関心も薄い。それでいて小津安二郎も「寅さん」も知らないし、手塚治虫のマンガや松田優作の刑事ドラマも全く無知だ。オタクマンガに詳しければまだマシなほうで、マーベルやバンド・デシネがこの世に存在することも知らないのが大半だ。
PSYの江南スタイルは全世界で流行った。K-POPであることはもちろん、火付け役はアメリカのネットでバズったことだった。しかし、日本で世界と同じように江南スタイルを楽しんだのは首都圏の若者に限られていた。新宿や横浜の商業施設なら服屋とか食堂で江南スタイルが流れていたり、そのリミックス版をかけて走ってる車もあったが、地方ではそんなものの存在感は皆無だった。でもJ-POPとしてのマーケティングをとことん追求していた「東方神起」は受け入れられていたのだ。
イオンモールが普及して便利になることは大変いいことだ。しかし、「マクドナルド」や「トイザらス」みたいにとことんマーケティング研究を行い、地方の島国根性・ムラ社会の精神風土に特化して土着化したような農耕社会型「アメリカ系帰化文化」が跋扈すると、県庁所在地のイオンモール1つに県民全体が集中するようなダサい県はまるごと「生活様式の文明開化と引き換えに精神的鎖国」を起こしてしまいかねない。
実際、欧米系のワーナーのヴァージンのシネコンがまだ都会にしかなかった2000年初頭以前と比べると、日本企業シネコンである東宝シネマやイオンシネマが日本全土の地方にくまなく広まった現在とを比べると、ハリウッド映画のシネコン上映率は確実に激減している。
ちなみに日本最古のシネコンは海老名のワーナーマイカルシネマズで、その後ヴァージンシネマズも進出していた。厚木基地や座間キャンプの米兵家族も多く訪れて映画を楽しんでいた。これらがイオンシネマと東宝シネマに転換された時に「何か」大きなものを失った感覚が私にはあった。
海老名は県央の没個性なベッドタウンの1つという印象を持たれがちだが、2000年代後半になってゴリ押し日本映画だらけのシネコンになじんだような地方の人間と海老名では社会が全く異なることは、明らかである。
戦後期の日本はアメリカ統治時代が7年間あり、当時を体験する世代は、戦時中のハリウッド映画を見るなり、音楽や食やら駐留軍のGIの文化を真に受けて「こんな国と戦争して勝てるわけがなかった」と気づき、ジャズにのめりこんだり、ジェームズ・ディーンに憧れたりしたに違いない。戦中生まれや団塊世代にベトナム戦争反対運動を含めたアメリカかぶれが多い理由はまさにソレではないか。
そして40代後半くらいまでなら、テレビの影響もある。彼らの幼い頃、テレビは黎明期で予算や制作力が不足していることから自主製作番組で編成を埋めきれずに、アメリカの刑事ドラマやホームドラマ、ポパイやトムとジェリーなどのカートゥーンを流しまくっていた。「エド・サリヴァン・ショー」やウォルト・ディズニー主演の「ディズニーランド」を日本テレビがやっていたこともあったという。それらを原体験として見て育てば、自ずとアメリカナイズされた文化に無抵抗になるわけだ。軽音部は洋楽のコピーバンドをやりたがり、大人になればあこがれのアメ車を勝ったりもした。
よほどの田舎の人間でもなければこの流れは全員共通である。
しかし、平成生まれ世代の場合、この戦後の豊かな価値観土壌は大都市部と沖縄県くらいにしか残っていない。下手をすれば、埼玉や名古屋くらいの文化土壌だったら都市の若い世代でも地方型不寛容を抱えた農耕民族がそれなりにいるかもしれない。
この現実ほど「日本の斜陽」を感じる者はないし、この実情を無視して東京一極集中を温存させれば、東京の文化は発展するどころか「極めて古典的ながら異質な人たち」の平面的で画一的な精神にジャックされてしまい、アジアで最も洗練された大都市の座から蹴落とされてしまうリスクが現実味を帯びるんじゃないかと本気で思うものだ。
私は個人的には、異文化に寛容な人が好き。
電通のゴリ押しのマスコミ文化や匿名ネット原住民の下品で単調な空間に流されず、過信せず、むしろ無関心なくらいで、そのかわりに地球規模で流行っていたり長年親しまれている大衆文化や日本の伝統文化に興味を示すウェイトを割いていて、自分の好きな趣味をとことんつきつめているような人のほうが理想的。それならどんな変態でもいいぞ!