プロフィール

profile
profilephoto
栄村ネットワーク
長野県栄村で活動するNPO法人です。被害や復興の状況を、理事である松尾真のレポートを元に更新していきます。

カテゴリー

categories

サイト内検索

Search

カレンダー

calender
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< November 2014 >>

最近の記事

selected entries

最近のトラックバック

recent trackback

月別アーカイブ

archives

栄村関連リンク

links

携帯用QRコード

mobile
qrcode

ブックマーク & RSS

Bookmark&RSS

白馬村被災状況レポート

  • -
  • 2014.11.25 Tuesday
栄村復興への歩みNo.237(通算第271号)
2014年11月24日


 22日夜、白馬村、小谷村などを中心に大きな地震が発生しましたが(県は「神城断層地震」と命名しました)、3年前の地震で大変お世話になった者として、ただニュースを見ているだけでは済まされないと思い、今日24日、白馬村に行ってきました。まず白馬村に住む知人を訪ね、その後、被害が激甚であった地区を見てきました。限られた時間でしたが、私が目にしたものを報告し、そのうえで私たちが何をなすべきかについても提言したいと思います。

栄村の震災では見たことがない家の潰れ方
 朝7時すぎに村を出発した私は、途中に通行止め箇所があるため、大町市経由で9時すぎに白馬村に入りました。知人宅、後に紹介する嶺方という山間の集落(国道406号線沿い)、白馬村役場を訪ねた後、午後1時半頃に神城地区の堀之内に入りました。
   *神城というのは栄村でいえば「北信」や「豊栄」、
   「西部」「東部」に相当するものでかなり広い地域を
    指し、「堀之内」というのが栄村で言う集落に相当
    します。
 ここで栄村の震災では見たことがない家の潰れ方を目にし、驚きました。「壊れ方」というよりも「潰れ方」という方が実態に即していると思います。
 1つは、みなさんがテレビや新聞でご覧になっているものです。1つだけ事例写真を掲載します。



 こういう潰れ方をしている家は1軒にとどまりません。
 素人的な見方ですが、家が壊れたというよりも、地盤から崩れ、ドスンと落ちたという感じがします。

 もう1つは、家全体が波打っているようなかんじのものが見られたことです。2枚の写真をご覧ください。


写真A


写真B

 写真Aの家はあきらかに左右に比べて真ん中が下がっています。
 下の写真Bの家も写真右方が上がっているのか、左方が下がっているのか、家が水平ではありません。
 写真Bの家では、家の前で「栄村から来たのですが、ちょっと写真を撮らせてもらっていいですか」と声をかけると、「ああ、栄村。大変でしたね。中に入って見てください」と招き入れられました。
 家の中に入ってビックリ。立派な大柱が完全に折れているのです(下写真)。



 写真Bの中央に見える男性は、「ここは地震の通り道だった」と話され、「向こうに被害がひどかった三日市場があるでしょう」とも言われました(写真Bの家の前から三日市場を望んだ写真は下のもの)。



 「地震の通り道」という表現は栄村の地震でも言われたものです。
 話が「家の潰れ方」から「地震の通り道」の話に少しそれますが、道路の損傷が激しい嶺方区、さらに戸隠、さらには善光寺、中野市がほぼ直線状に並びます。
 「家の潰れ方」に話を戻しますが、どうしてこういう潰れ方をするのか、専門家などの教えを受けたいと思っています。
 
激甚被害は2集落に集中
 大町市から白馬村に入り、国道408号線を進みましたが、どこを見ても地震の爪痕が見えません。目に見える激甚な被害は国道408号線より東の2つの集落、堀之内と三日市場に限られているのです。もう1箇所はやはり国道408号線よりも東で山間にある嶺方集落です。
 堀之内は世帯数が50世帯ほどです。三日市場はお尋ねした消防団の人が集落の人ではなかったので正確なところはわかりませんが、見た感じでは堀之内よりもやや世帯数が少ないと思います。



 上が三日市場から見た堀之内の全景です。そして、じつはこの写真に見える堀之内の後ろの山の向こう側に嶺方が位置します。
 嶺方で見た特徴的な被害は国道406号線に入るクラックのほとんどが次の写真に見られる道路を横断する形のものだということです。これも栄村の震災時の道路被害の様相とはかなり異なるものだと思います。



 国道406号線は鬼無里と白馬を結ぶ山間の国道で、土砂崩れのために通行止めになっています。
 嶺方では家屋の倒壊はありません。区の総代を務めているという人に伺ったところ、「昼間は区に戻って公民館を避難所にしているが、夜中に下の方で406号線を通行止めにされると下りられなくなるので、夜は村の避難所に行くことにしている」とのことでした。
 また、「地震直後は地方事務所の人が『舗装をやり直すくらいで済むだろう』と言っていたが、その後、もっと深刻だということが判明した」と言っておられました。
 この嶺方にはスキー場があるのですが、客入りが悪いことから今年から閉鎖と決めた直後の地震だそうです。国道406は全面的な復旧工事が必要だと私も思いますが、ひとまず村中心部から嶺方の部分は本格的な積雪期前に機械除雪が可能な状態にしないと、今回の地震を機に山から村中心部に下りてしまう人が増えて、集落が存亡の危機に瀕するのではないかと思いました。
 
 この堀之内、三日市場、嶺方以外の地域にももちろんかなりの被害があります。私の知人の家もそうでしたが、外から見ただけでは被害が見えない家も、一歩中に入ると、壁が落ちるなどの被害を受けています。
 
 私が、この項に「激甚被害は2集落に集中」というタイトルを付けたのは、この事実が今後の復旧・復興に大きな影響を及ぼしかねないと考えたからです。全壊家屋数が30棟を超えていますので「被災者生活再建支援法」は適用されるのではないかと思いますが、激甚被害地域が限定されているため、東日本大震災の一部として認定された栄村に国から出されている復興交付金のようなものが白馬村には出ないのではないかと危惧されるのです。
 県は、7月南木曽土石流、9月御嶽山噴火、そして今回の地震と災害が続き、御嶽山関連で11月議会提出の補正予算で王滝村と木曽町を対象とする復興基金を県単独事業で設けたばかり。こう災害が続いては県の財政も窮屈になってきます。
 今日、白馬村役場で安倍首相の生顔を見ましたが、地元の人から「選挙むけパフォーマンスじゃないの」と言われるようでは困ります。国が今回の震災にどう対応するのか、注目です。

驚くべきスピードでの片付け作業の進展
 堀之内、三日市場でもう一つ驚いたのは、被害を受けた家屋の内部の片付け作業がかなり進んでいることです。







 3つの写真はいずれも堀之内で撮影したものですが、使えなくなったもののゴミ出し、家財道具の搬出、壊れた倉庫の片付け作業の様子です。
 地震があったのが22日の夜、そしてこれらの写真撮影は24日午後。栄村の地震の時と比較してください。
 栄村の場合、実質30分の一時帰宅が初めて許されたのが地震から4日目の3月15日、半日帰宅は18日です。
 白馬村ではじつは「避難指示」がほとんど出されていません(24日現在、野平地区18世帯51人と青鬼地区7世帯10人のみが避難指示の対象。いずれも山に近く、土砂災害を警戒してのものと思われる)。被害激甚の堀ノ内、三日市場でも夜は避難所等に泊まっておられますが、日中は家に戻って片付けをされています。そして、かなり目に入ったのが他地域(他県)ナンバーの車。他地域に出ている子どもや親戚の人が駆けつけて片付けをやっておられるようです。
 栄村のみなさんにとっては記憶に新しい「赤紙」が貼られている家の中にもどんどん入って作業されています。2頁に家内部の写真を掲載したお宅も「赤」が貼られていました。
 私は、「避難指示」発令対象を限定している白馬村(役場)の対応は正しいと思います。

農地の被害について
 被害が激甚な堀之内は広々と田んぼがひろがる地域です(前掲の写真参照)。
 限られた時間の訪問で田んぼの状況を詳しく見ることはできませんでしたが、通行止めで歩いて集落に入っていく時に見た田んぼには明瞭なクラックが入っていました。



 知り合いの報道関係者の話では「農地の被害状況の調査まではまだ手が及んでいない」とのことでした。
 また、彼は「田んぼのことで栄村の経験が活かされるといいなと思うのですが」とも話していました。同感です。


いちばん必要なのはおカネと知識・知恵ではないかと思います

 今日は行けなかった小谷村ではすでにボランティアの募集が始まり、私たちのお世話になった中越防災安全推進機構に長野県社協から小谷村支援の要請があったようです。また、白馬村でも今日、白馬村社協がボランティアセンターを開設したようです(役場隣の多目的施設でその部屋を見ましたが、無人でした)。
 ボランティアも大事だと思いますが、堀之内の片付けの進展を紹介したように、栄村の時とはかなり様相が異なると思います。
 非常にストレートなことを書きますが、私は被災地域がその必要に応じて自由に使えるおカネを提供できるようにすることが非常に大事なのではないかと思います。
 先に書いたように、東日本大震災復興法という特別法による復興交付金の類が展望しにくいですから、そう考えるのです。
 たとえば、堀之内の場合、公民館は全壊です。復旧・復興にはやはり堀之内区内に仮設の公民館、そして本格的な公民館再建が必要となるでしょうが、こういう資金は国の復旧事業では望めません。青倉公民館再建基金の事例を想起したいと思います。「赤十字に義援金を出しても何に使われているのか、わからない。目的がはっきりしている青倉公民館再建基金を知って、是非、寄付したい」という声が多数ありました。また、東京のけやきライオンズクラブのみなさんが東日本大震災直後に義援金を集めながら、寄付先の選定のために1年間、義援金を留保され、震災から1年後に栄村を訪れて栄村ネットワークにその義援金を託してくださったこと、そしてその後は板橋農業祭りに栄村を3年連続で招待して下さっていることを想起します。
 
 知識・知恵の提供も重要です。
 今日話した白馬村の人たちは、「赤紙」の意味や、被災判定制度のことを誰もご存じではありませんでした。そのように言う私も、栄村の震災から数日後、中越の人たちに教えてもらって初めて知りました。
 ましてや、復旧がどういう仕組み・予算で進むのか、あるいは、家の再建に取り組む前提として地盤の調査を簡便かつ費用負担の少ない方法で行うにはどうしたらよいか、等々。いま、私たち栄村の村民が震災時に受けた支援への恩返しとして、今回の被災地のみなさんに提供すべきものがたくさんあると思います。

 以上、まとまりに欠けますが、夜も1時になりましたので、ひとまずの報告をこれで閉じます。被災地支援に今後どのように取り組んでいくか、さまざまな人と意見交換しながら考えを詰めていきたいと思います。
 
(最後のページに白馬村役場が「白馬村内の道路状況」として公表している地図をちょっと見づらいですが、掲載しておきます。白馬村役場のHPはhttp://www.vill.hakuba.lg.jp/です)








この記事のトラックバックURL
トラックバック