数ヶ月前のこと。
東北地方在住の友人と飲む機会があった。話の流れで
「東北には美人が多いと言われるが本当か?」
という話題になり、友人は悩んだ末にこんなことを言った。
「芸能人で言うと…あのごなぁ…名前なんだっけなぁ…いきなりめんこい」
「?」
「あぁ!佐々木希だ。あのごはいきなりめんこい」
「???」
めんこい=かわいいという意味合いであることはおおよそ検討がつく。しかし、いきなりとは何事だろう?腑に落ちなかったので
「かわいいのに、いきなりとか前もってとかゆっくりとかないだろ?」
とツッコミを入れると、友人は一瞬だけ怪訝な顔をした後、笑いながら
「いきなりっていうのは、とっでもって意味だよ」
と教えてくれた。
なるほど。
いきなりは 突然(suddenly) ではなく とても(very) という意味の方言だったのだ。
無論、そんな間柄になれる相手は一生の間にそうそう見つかるものではなく1人居るか居ないかだろう。世の中の大半の相手はそうではないから言語化してお互いに共通の認識を持つ必要がある。
一時期、某所で盛り上がったミニマリストの定義をめぐる議論がまともな議論にならなかったのは発信者たるミニマリスト諸氏の多くが
「ロックってのはジャンルじゃなくて生き様だから。アイムロッカーって名乗れば誰でもロックミュージシャンなの!」
といきっている中二病まっさかりのティーンと変わらない理論を展開したためである。
(ちなみにロックであっても黒人音楽であるブルースをベースとした音楽からロックンロールへ進みプレスリー、ビートルズ…という歴史があってその文脈の中で語られるべきである。ただ名乗れば良いってワケじゃない。やたら守備範囲が広いからほとんどのケースを飲み込んで許容してしまうだけの話。)
言葉で定義された枠に縛られたくないとか、言葉なんかに大した意味は無いから定義などせずにそのままで良い、と言うのはさすがに不親切ではなかろうか。
冒頭の会話で言うなれば
「突然かわいくなった東北美人・佐々木希」
という意味不明なキャッチフレーズを披露された相手が頭の上にでっかいクエスチョンマークを浮かべているわけだから、何らかのフォローはあって欲しいなぁと思う。
言語化が難しいもの・出来ないもの。そういったモヤモヤしたものは確かに存在するけれども、言語化すること自体を軽んじて良いことにはならないよね。そこはなるべく努力したいよね。という想いをつらつら綴ってみました。
(終)