「リモートワークなんていいことない」 Sansanが神山にサテライトオフィスを開いた狙いとその苦労とは
ITベンチャー企業など10社がサテライトオフィスを設置したことで注目される徳島県神山町。過疎化が進んだ地域になぜこのような変化が起こったのか興味を持った私は、卒業研究にかこつけて現地に2週間滞在をしてきました。
これまでのブログでは神山町で移住支援や空き家の再生を行う、NPO法人グリーンバレー理事長・大南信也さんの講演を前編と後編にわけてご紹介しています。
今回は神山町で最初にサテライトオフィスを開いたSansan株式会社でコネクタ/Eightエヴァンジェリストとして働かれている日比谷尚武さんにその狙いと苦労を聞きました。
(Sansanのサテライトオフィス。外のハンモックで働けるなんてうらやましい...)
■神山だから、徳島だから、サテライトだからといって特別な意義は見出さない
――最初にSansan株式会社がどのような事業をされているか教えてください。
日比谷さん:「ビジネスの出会いを資産に変え、働き方を革新する」というミッションを掲げる会社です。これを噛み砕くと、ビジネスの場である名刺交換を資産に変えてデータベース化して蓄積し、それを活用することで、新しい価値を提供することです。そのミッションのもと、法人向けに「Sansan」、個人向けに「Eight」というサービスをやっています。
――サテライトオフィスを開いたきっかけや会社として最初の狙いは何だったのでしょうか?
日比谷さん:前のオフィスのデザインをしてくれた建築家が社長や自分の大学の同級生で、神山で空き家改修のプロジェクトをしていたときに、「徳島県に光ファイバーが張り巡らされた町があって、古民家の再生プロジェクトをやっているから来てみなよ」と彼が言ったんですね。
そこで、社長が神山に訪問したときにグリーンバレー(現地で古民家の改修や移住者支援を行うNPO法人)理事長の大南さんと会って、「エンジニアにシリコンバレーみたいな仕事環境が欲しい」というお話をしたら、「じゃあ、やってみますか」という話になったのが最初のスタートでした(笑)。
狙いとして当時は、開発メンバーのクリエイティブに集中出来る場所があるといいんじゃないかということで使っていて、もう一つは、社員間のメールを撤廃してチャットだけにするなど、自分たち自身の働き方を古いものから変えていこうという時期だったので、その施策の一つとしてのサテライトオフィスという存在でした。
――サテライトオフィスを開設してから、社員の皆さんの反応や変化はどうでしたか?
日比谷さん:反応はポジティブでしたが、「また勢いでやっているのか(笑)」みたいな声もありました。別にそれは嫌ということではなくて、「面白いことを言い出したぞ」という期待感があったのかなと思います。Sansanは目標の立て方とか方針に関しての新しいチャレンジはドラスティックにやることが多いです。
実際にやってみてからは、最初は暖房がなくて、秋からは寒くなり、手がかじかんでタイピングが出来ないみたいな(笑)。暖房器具はこたつしかなかったので、こたつの中に4人が入って、寒いから出られなくてトイレに行くのも我慢していました。そういう意味ではチャレンジングでしたね(笑)。
――現在は、新卒の研修や長期滞在などにも利用されているとお聞きしましたが、具体的に神山サテライトオフィスはどのように活用がされているのでしょうか?
日比谷さん:メインは、2名の常駐です。または、合宿と長期滞在。イレギュラーで新卒の研修が行われています。合宿は特定のゴールがあって、コンテストに応募しようとか、新サービスを開発するといった時に滞在をしていて、期間はあまり問われないです。
長期滞在の場合は、「今週は家で仕事します」的なノリの場所が徳島になったという感じです。2週間という期限があって、そこでは東京と同じように仕事をしなければいけません。新卒研修に関しては、神山にあるアート作品の掃除や、木の伐採をしたりしています。中学校で授業なんかもしたりしていて、「イノベーションとは何か?」などのテーマを中学生と一緒に考えることで、新人たちに自分の仕事の意味やミッションを理解してもらうようにしています。
――今までの過程の中で、効果を発揮したことや苦労したことは何ですか?
日比谷さん:良くも悪くも期待通りの効果でした。疲れちゃった人を休ませるという目的ではなくて、どこでも仕事が出来る場所を目指してやってきただけなので。神山だから、徳島だから、サテライトだからといって特別な意義を見出そうとはしませんでした。そう言いだすと、本業とは違うことに手を出さなければいけなくなってしまうので。あくまで通常の仕事をきちんと出来ればそれでいいよという感じで、それに関しては期待通りに出来ていると思っています。
ただ、予想外の課題としては、営業チームで半年間ほど移住をした若者たちが居て、Sansanの営業は訪問をせずにオンラインでもやるので(もちろん訪問する場合もある)、しっかり成果を出すならいいんじゃないかということで最初はOKを出しました。しかし、最初は効率が良かったけれど、若いからというのもあってか、だんだん効率が落ちてきてですね。
神山ののんびりした生活というか、営業はお互いに切磋琢磨する環境というのも大事なので、そういうのは足りないかもねという話になり、半年くらいで東京に戻りました。それが何を意味するかというと、職種とか環境によって左右されるものもあるから、使い方が大事だなということです。
(神山の職場の様子。一人一棟のスペースを持ち、広々と仕事をすることが出来ます)
■リモートワークを許可することは、これから企業がやらざるをえない選択肢
常駐している方々は神山で働くことについてどう思っているのか。その苦労やこれからの展望について、神山に常駐しているエンジニアの團洋一(だんよういち)さんと辰濱健一(たつはまけんいち)さんにもお話を聞きました。辰濱さんは奈良県出身。徳島市内で7年働いたあと、地方で働き続けたい思いをもっていたときに、現地採用が上手く重なって、徳島市内から神山まで車で通っているそうです。
團さんは元々徳島県の出身で、Sansanの東京オフィスで働いていましたが、満員電車や東京の環境に慣れず、会社を辞めて地方で働こうと考えていました。その時に、「神山で働く選択肢もあるよ」と提案されたのがきっかけで、神山町に家族と一緒に移住したそうです。
――東京での働き方と比べて、神山で働くことの魅力はなんですか?
辰濱さん:東京のオフィスでは営業もいるので、電話が鳴ったり、話す声が聞こえてきたりしてノイズが多いです。また、東京は一人一人のスペースが小さいけれど、神山では一人一棟という形で仕事が出来ているので集中することが出来ます。また、通勤という観点でみても東京の本社が表参道にあるので、毎日満員電車に乗らなければいけません。神山では車を30分運転するだけなので、仕事以外で疲れることがありません。
團さん:東京にいるとすぐに死にそうになるじゃないですか(笑)。何故かというと、お金が全てだからです。家賃も高いし、家なんて買ったら死ぬまでローンを背負わないといけない。でも、神山にいると、住む家は余っているし家賃も月1万円とかで済みます。だから、とりあえず「無職になっても死にはしないな」という感覚があるような気がします。
――リモートワークって実際どうですか?
辰濱さん:普通の仕事はSkypeでだいたい事足りています。緊急度の高い仕事に関しては、課題があると思いますけど、まだそのような場面に出くわしたことはないです。飲み会やリフレッシュルームで行うようなコミュニケーションが出来ないのは寂しいと感じることがありますね。
團さん:チームの人がとても気を使ってくれています。それは良いことだと思っていて、気をつかってくれないと僕らはやっていけないので。リモートワークなんて会社にとってはいいことないです...ヤフー正解です(笑)。※米ヤフーのマリッサ・メイヤーCEOは机を並べたコミュニケーションが大事ということで、社員に在宅勤務を禁止にしている。
ただその代わり、リモートワークとかを広めていかないと、辞めてしまう人が増えてしまいます。現に僕は辞めようとしていたわけですし、親の介護だとか満員電車が苦手だから田舎に帰りたいという人たちは辞めていってしまうから。それを防ぐためにリモートワークを許可することは、これから企業がやらざるをえない選択肢だと思います。
――東京で働く人との関係性はどうでしょうか?
團さん:最初はとても隔たりを感じていました。リモートワーカー1人に対して、チームが11人いるわけです。会社やチームもリモートワークに全く慣れていなくて、ミーティングでも1対11になると絶対に11の方が盛り上がるじゃないですか。だから、11の方で全部決まってしまうわけです。
気がつけばSkypeより遠くで話している。遠くと言っても50㎝くらいですけど、ちょっと離れるとだいぶ聞こえなくなって、そうなると僕は途中から寝ているか自分の仕事をしているみたいな(笑)。
今はミーティングの前にあらかじめ意見を出したり、終わった直後にリーダーと話をする時間を作ってもらったりなどの工夫をしています。あとは、たいていの会話は隣にいる人だとしても、チャットを通してしてもらうようにしました。
辰濱さん:僕の場合は3人のスモールチームですし、Android担当とiOS担当と役割が分かれていたので、やりやすいです。コミュニケーションに関しても試行錯誤を重ねながらですが、上手くいっていると思います。
――地方で働くことに関しての抵抗や驚いたことはありませんでしたか?
團さん:よく田舎ってプライバシーがなくなるといいますけど、自転車で通勤していて、誰にも見られていないと思っているけれど、どこに行ったかは知られているみたいなことも(笑)。引っ越ししてきたときには「あなたがいいと思うお土産と名刺を持ってきて」と言われて、地域の集落の人数分持っていきましたね。それぐらいしないと地域に入れないと思うし、排他的ではないけれど何もしないと怪しい人みたいなのはありました。
ただ、神山町は新しく人を入れようとしているので、仲介してくれる人もいるし、住民が「神山に住んでほしい」という思いも持っていて受け入れてくる姿勢があります。だから、移住してきた当初の反応も良かったし、「孤立して事件をおこしました」みたいなことが起こる雰囲気はありません(笑)。
――サテライトオフィスを始め、神山町はまちづくりで注目されていますが、これからSansanの「神山ラボ」をどうしていきたいですか?
辰濱さん:「サテライトオフィスで働いている」と地元の人に言うと、「この前テレビで見たよ」と認知されていて嬉しいし、やりがいを感じています。ただ、そのぶん成果を出さないと「東京で働いたほうが良かった」となるので、プレッシャーも同時に感じています。だから、今までみんなが積み上げてきたことを無駄にしないように頑張っていきたいです。
(最後にかっこいい写真を撮ってもらいました...!)
(2014年11月10日、「Wanderer」の記事を編集して転載しました)
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