ワシントン・ジャパニーズ・ウィメンズネットワークはワシントンD.C.を中心として世界中の女性、日本女性をつなぐネットワークです。
蘇州の街並み(筆者撮影)
戦後世代が日本の将来を考える時、戦前・戦中の日本の姿を知ることは日本人としての責務だ。広島に育ち、原爆の悲惨さを文字通り肌で感じながら成長した日本人として、日本がアジアの隣国にもたらした戦争の傷跡に同時に目を向けることなく広島・長崎を語れないということを認識してきたつもりだ。広島が原点である私にとって、ハワイの真珠湾、中国の南京や朝鮮半島等アジアの隣国に残した日本人の痕跡をありのまま知り、伝えていくことが必要だと強く感じている。 今年8月、長年計画していた南京訪問がようやく実現した。中国蘇州での学会に参加したその足で、南京を訪れることにした。学会でお会いしたハーバード大学A教授、南京大学B教授と三人で、それぞれの思いを語りながらの南京大虐殺記念館訪問となり、いろんな意味で実り多い旅になった。
南京大虐殺記念館を訪れるにあたり、二つのことが念頭にあった。まず、史実の詳細についての論争が今なお続き、極端な場合には「南京大虐殺はなかった」といった暴言までもが日本の指導者とされる人たちの口から洩れるなか、記念館の展示が一体どのようなものなのかという素朴な疑問である。歴史家でもない自分が史実の詳細と展示の真偽を検証することは勿論不可能だ。ただ、今まで自分が一個人として学んできたことと乖離があるのかどうかを自分の目で確かめたかった。第二に、展示の残虐性についてよく語られるが、果たして将来の日中関係に悪影響を与えるような展示なのだろうかという疑問だ。すべての答えを出すことはできないことを承知の上で、今回の旅を通じて思い巡らした私見を綴りたい。
南京大虐殺記念館(中国名:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)前(筆者撮影)
数時間かけて記念館を回った。次から次へと日本軍による残虐な虐殺行為が細部にわたりグラフィックに展示されていた。グロテスクな殺戮方法を紹介するのが本文の目的ではないが、日本軍が無防備な中国市民を虐殺した方法別に、例えば、焼殺し、水攻め、刀切り、レイプなど詳細にわたり個別に展示場が設けられていたことには言及しておきたい。むろん、日本人としてこれほど居心地の悪い場所はない。他に目を引いたのは、アメリカ人宣教師・教育者ミニー・ヴォートリンらを始めとする欧米人が南京大虐殺時に、一人でも多くの中国人を暴力・殺戮から救いたいと尽力したことについても数多く記録が紹介されていたことだ。そのヴォートリンは1940年に米国へ帰国した翌年自殺している。
南京虐殺にかかわった日本軍首脳や兵士個々人の写真や展示にさしかかった時、中国人のB教授が私の耳元で苦しそうに囁いた。「実は、日本人のある友人から、自分の曾祖父についての展示や写真があるので記念館から下してほしいと頼まれたことがあります。中国当局に働きかけてくれないかと要請されたんですが…、でも、それはできないでしょう?」と沈鬱な表情で同意を求めてきた。私は、その時、即座に首を縦に振ることしかできず、そのまましばらくその日本軍首脳部や日本兵の写真を見入っていた。
今回の南京訪問で、記念館の展示と自分が理解する南京大虐殺に大きな隔たりはないということを確認することができた。ただ、最近、明らかに南京大虐殺と関係のなかった展示写真の一部について、中国政府は初めて日本政府の抗議を聞き入れ、撤去したということも報道されている。また、残虐な展示がそこを訪れた中国人の脳裏にどう刻まれ、日中関係の将来にどう影響するかについては簡単に答えられる問題ではない。しかし、記念館の二階には、1972年日中国交正常化以来の両国指導者の往来や日中平和条約締結、そして日本政府の対中ODA支援についての展示もあったことを記しておきたい。また、特に目に入ったのは「許すことはできるけれども、忘れることはできない」(Forgivable but Unforgettable)という文字が大きく掲げられていたことだ。日中関係の将来の行方は、このForgivable but Unforgettableを、双方の政府と国民がどう理解し行動していくかに集約されるのではないだろうか。
上海図書館敷地内庭園の孔子像と造園文字「求知」(筆者撮影)
B教授の言葉が耳から離れないまま南京を去った後、上海図書館でリサーチの合間に南京大虐殺の資料も探ってみた。南京大虐殺にかかわった軍部首脳についての資料が目にとまった。南京で手を下した人々に対する鎮魂をこめてなのか故郷に観音菩薩像を建立したという話もあった。もし、南京で残虐行為を犯しながらも、それを悔いて残された生涯を過ごした日本兵がいたのであれば、史実の検証と同時に、そうした事実こそをもっと伝えていく努力をすべき時なのではないだろうか。そうした過程があってこそ真の和解が始まるのではないか。
南京大虐殺について史実の詳細で検証・論争を続ける余地はあるのかもしれない。しかし、それが虐殺自体の否定につながる口実となるような不毛な論争を続けることは、日中関係の将来、ひいては日本の国益に反するということ日本の指導者たる方々に是非認識して頂きたい。つまり、日本が戦後、中国へも含めグローバルに果たしてきた多大な貢献が水泡に帰し、今後日本が国際社会でさらに果たし得る役割への決定的な制約になってしまいかねないということだ。
故郷の広島に思いを馳せながら、蘇州・南京・上海の旅を終えた。
広島出身。ジョンズ・ホプキンズ大学国際高等研究所にて北朝鮮経済研究に従事。マッキンゼー社、国際機関、ハーバード燕京研究所を経て現職。津田塾大学卒業。国際基督教大学行政学修士課程、カリフォルニア大学経済学修士課程、韓国延世大学国際大学院博士課程修了。米国人の夫との間に二女一男。マニラ、東京、北京、ソウル、ボストンに暮らす。現在メリーランド州べセスダ在住。趣味は水泳とスキー。