NHKのBSプレミアムで2014年10月11日から放送開始されたテレビアニメーションシリーズ『山賊の娘ローニャ』。NHKのテレビアニメシリーズは、1978年に宮崎駿監督の初テレビシリーズとして知られる『未来少年コナン』から始まった歴史があり、その息子の宮崎吾朗監督による初テレビシリーズとして注目されている。
原作は『長くつ下のピッピ』などで著名なスウェーデンの児童文学者アストリッド・リンドグレーン晩年の児童文学『山賊のむすめローニャ』(1981年)。名作児童文学のアニメ化といえば、『アルプスの少女ハイジ』や『赤毛のアン』といった高畑勲×宮崎駿の出世作を連想させる。
ところが、制作体制は父・宮崎駿監督のスタイルと大きく異なる。アニメ制作は『スター・ウォーズ:クローン・ウォーズ』や『シドニアの騎士』などを手がけたデジタルアニメーションスタジオのポリゴン・ピクチュアズ。スタジオジブリは制作協力という形だ。プロデューサーは「ニコニコ動画」などのネットサービスを展開するドワンゴの会長で、ジブリに在籍しプロデューサー見習いをしている川上量生氏。制作・著作はNHKとドワンゴという異色の組み合わせになっている。そこで今回、アニメ作品初プロデュースとなる川上氏に、制作に関わる経緯や目的、そして宮崎吾朗監督について聞いた。
■ジブリでは宮崎駿の影響下。正当に評価されない
川上量生氏(以下、川上氏):この企画は、(ジブリの)鈴木敏夫プロデューサーと、NHKの有吉伸人プロデューサーの間で「吾朗監督でテレビアニメシリーズが作れないか」という話からスタートしたものです。それを受けた鈴木さんから、「スタジオジブリとしてテレビアニメを作ることはできないが、宮崎吾朗監督が外部のプロダクションで作るなら面白いのではないか」というアイデアが出てきました。外部でやるならできるし、意味があるプロジェクトにできるのではないか、ということでした。
当時の吾朗監督は、『コクリコ坂から』(2011年)が終わって次作をどうするか、そもそも映画を作るべきなのか悩んでいました。『コクリコ坂から』は興行収入も良く(2011年、44.6億円で邦画1位。社団法人日本映画製作者連盟調べ)、本人的には結果を出せたと思っていたのですが、世間やスタジオ内の一部の人はそう思わなかった。
僕は、『コクリコ坂から』って(作品としても興収としても)良かったと思うんです。でも、比べられる対象が世界の宮崎駿監督ですから、同じような影響力ある作品を出さなければ評価されない。過酷です。勝負するのは大変ですよね。ジブリの中にいる限り宮崎駿さんの影響下にあって、正当に評価されません。評価だけでなく、宮崎駿さんが口や手を出すこともある。そこで鈴木さんは、ジブリと距離をおいた環境で作ったらと、「1回外でやってこい。武者修行だから」と言ったわけです。
当初、吾朗監督は、乗り気ではありませんでした。それで鈴木さんと僕の2人で、何度も何度も説得しました。何度も、というのは、とりあえず説得できても、その後また決心が戻ってしまうからです。
そもそも吾朗監督自身、(2014年9月2日に行われた完成披露試写会の)会見で「僕はポスト宮崎駿にはなれないし、なりようがないと思います」と語っていましたが、だったらなぜアニメを作るのか。これは理解しにくいかもしれませんが、吾朗監督はスタジオジブリが好きで、父である宮崎駿さんに対していろいろな感情があるとは思いますが、結局、好きなんですよ。クリエーターとして勝負したい気持ちもあるかもしれませんが、何より「ジブリに対して役に立ちたい」という思いから作品を作ってきた部分も大きかったのです。
ところがそのジブリから離れて、武者修行をしてこいと言われた。自分の中で、説明がつけられなくなった、ということでしょう。
宮崎吾朗、川上量生、宮崎駿、NHK、ドワンゴ、スタジオジブリ
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