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24/11/2014

いわゆる「美味しんぼ論争」の軸となるべき視点

 現代型「風評被害」論を語る上で避けることができないのは、いわゆる「美味しんぼ」問題でしょう。

 この問題については、ネット上で激しい議論が行われてきましたが、議論の軸が欠けたままだったかと思います。ここで問題となるのは、メディアは、ある事故等に起因する健康問題に関して、現地の人々の声や、研究者の見解等を紹介するにあたって、どのような配慮をすべきかという点です。

 福島第1原発事故に起因して放射能による健康被害が生じているかのような情報を流布することは「福島いじめ」であるとして、そのような情報の流布を押しつぶそうという人々が多かったのは、今回の特徴の1つです。ただ、このように、ある地域の経済的利益に慮って健康問題に関する情報の流通を控えるというのはとても危険な発想です。それらの声や見解が実態に即したものであった場合に、健康被害をいたずらに拡大するものとなりうるからです。

 このように申し上げると、自分の認識こそが客観的真実であると信じて疑わない人々から、間違った情報を流布させる必要などないという批判を受ける可能性はあります。ただ、私は、現地の人々の中に一定の症状を訴える人々がいる場合に彼らが皆詐病を訴えているのだと断言する根拠を持ち合わせていませんし、それが特定の物質等に起因するものであるとする(現時点では少数説に立っている)研究者の見解が誤りであるとする確証を持ち合わせていません。そして、それらが詐病である、間違いであるという確証を持っている人々がいるのであれば、それらの人々がそれらの確証を公開することによって、私を含む大衆を説得していけばよいのだろうと思うのです。そういう意味で、この種の健康問題に関する論争は、まさに「言論の自由市場」に委ねるべき問題であって、「被災地いじめだ」などという情緒的なスローガンでこれを封じるべきではないし、まして不法行為制度によって封じるべきではないというべきではないかと思うのです。

 【追伸】この話題を情報ネットワーク法学会での文科会等で話題にすることが許されていたらジャーナリストサイドに聞いてみたかったことは、取材の際に被災地の住民の一部から健康被害に関する訴えを聞いたが、その訴えの内容がその被災に起因するものであるとの科学的知見が得られなかった場合に、ジャーナリストとしては、現地でそのような症状を訴える人が被災後増えているという事実を報道すること自体を差し控えるべきと考えるかどうかということです。今回、分科会の対象をソーシャルメディアに限定することにより、このようなマスメディアに関する議論ができなくなってしまったのが残念です。

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