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サイ・ゴダード(3月18日)
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【大相撲】白鵬が32度目の優勝、大鵬の最多記録に並ぶ2014年11月24日 紙面から
◇九州場所<千秋楽>(24日・福岡国際センター) 白鵬が大鵬に肩を並べる金字塔をうち立てた。東横綱白鵬(29)=宮城野=は結びの一番で、ただ一人2敗で追っていた横綱鶴竜(29)=井筒=を寄り切り、14勝1敗で32度目の優勝を決めた。優勝32度は昨年1月に72歳で死去した「昭和の大横綱」大鵬の史上最多優勝タイ記録。白鵬は2006年夏場所で初優勝して以来、51場所での偉業達成だった。初優勝から62場所をかけ、30歳だった1971年初場所で達成した大鵬を、年齢でも要した場所数でも上回った。 白鵬が泣いた。最強の男が見せた、男泣きだった。こん身の寄りで鶴竜を退ける。大鵬さんとの約束を守った。花道、支度部屋、国歌斉唱で白鵬は人目をはばからず唇を震わせた。 角界の父と敬愛する大鵬さんは、1971年1月場所で史上最多となる32回目の優勝を飾った。それから43年。半世紀近くも他を寄せつけなかった大記録。14年前に、モンゴルから体重わずか62キロで来日した少年が、ついに肩を並べた。 大鵬さんが亡くなる2日前に会い、「32回の優勝へ1回でも2回でも近づけるように」と誓った約束。そして、亡くなってからも感じた「無言の約束」。白鵬は「(約束を守れて)ほっとしています。ほめてもらえると思います」。涙の向こうに見えるのは、2人にしか分からない世界。汗と涙でぬれた顔を何度もタオルでぬぐった。 「目に見えない怖さがある。記録には超えていいものと、超えてはいけないものがあるのではないか」。そう悩んだときもあった。 新横綱昇進を決めた07年夏場所後。22歳の白鵬は「横綱とはどういうものなのか分からない」と当時親方だった大鵬さんの自宅を訪ねていた。 「3、4時間ずっと話してたのかなあ。おかみさん(芳子夫人)が出てきて、『もういいんじゃないの』っていう感じでした」と7年前のことを思い返す。 「大鵬さんが横綱昇進会見で、引退のことを考えてますって言ったと聞いて、あの大鵬さんがそう考えたんだと思うと、ぞっとしました。一体、私はどうなっちゃうんだって」。白鵬の横綱としての歩みは、そんな感じで始まっていた。 双葉山の69連勝に挑んでいた10年。そのときも大鵬さんに「電話で相談した」という。大鵬さんからは「われわれも挑戦してきてできなかった。ぜひ頑張って。記録は破られるためにある」。そう激励された。 今は大鵬さんに相談に乗ってもらえないが、九州場所の番付発表で「天国で『やってくれよ』と絶対に思ってくれているし見てくれている。ある意味『約束』かな。言葉は交わしてないけど」と同じように背中を押されたと確信していた。 「(泣いたのは)苦しいとき(賜杯がなかった10年名古屋場所)以来じゃないの」という涙を拭いた白鵬。「この国の魂と、相撲の神様が認めてくれたから、この結果があると思う」という思いを胸に、これから前人未到の地に足を踏み入れていく。 (岸本隆) PR情報
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