「ずっと隣の星座占いを見ていた」http://www.gizmodo.jp/2011/01/post_8334.html への反論です。昨日、戦いの狼煙を上げましたが、あっさり次のようにまとめました。
農業がないと私たちは生きられません。農業は古代から最も重要な事柄です。
北半球の農耕文明の多くは古代から、春分の日を目安に種まきを始めていました。農業は人々の命綱ですから、春分は1年で最も重要な日の一つでした。
3つの時代の春分の日に、太陽がどの星座にあったのかを書き出しました。日の出直前、東の地平線上に肉眼で捉えることの出来た星座です。
紀元前3000年頃 牡牛座が半分見えていました。太陽は牡牛座の真ん中にありました。
紀元前30年頃 魚座が見えていて、その終端は地平線付近です。太陽は牡羊座0度付近にありました。
紀元後2000年の現代、魚座の始めの魚の上半身が見え、その上に水瓶座が見えます。太陽は魚座前半(01-22 1:50修正済)です。
※ データなど引用元:占星術の起源
(自書)
どの星座が太陽の背景にあっても、春分の頃に種をまくことに変わりありません。それほど、私たちは太陽と太陽系の天体の動きの影響を強く受けている、ということです。西洋占星術は、太陽系の天体の運動を中心に、随所に実際の恒星の位置を取り入れた占術といえます。
春分の日からの約30日間に太陽が位置するサインを、おひつじ、牡羊座、白羊宮 などと読んでいます。これは、ギリシャ占星術が誕生した時代の星座の配置を、サインの名前に取り入れた名残りです。サインとは、春分点を基点に太陽の通り道である黄道を12等分割したものです。
さて、問題の記事「ずっと隣の星座占いを見ていた」についてです。
この論点は二つ。一つは歳差運動、もう一つはバビロニアの星座のことです。
歳差運動は、地球が23度27分傾きながら、太陽や月の引力の影響を受ける中で起こっています。歳差運動では、地球は止まりかけたコマのように回転しています。地軸が円を描くその周期は25800年、その周期で北極星や、春分時の太陽の位置する星座が入れ替わる、というものです。歳差運動があっても、種まきなど地上の季節とはあまり関係ないですね。
バビロニアですが、遅くとも紀元前1800年頃に赤道や黄道を12分割しています。これはバビロニアで、ギリシャ占星術の前身である黄道12宮を使った占星術が誕生するよりも1000年以上も前のことです。もっと細かく言いますと、12分割されたところに、2つの同心円を書き込んで、実際には天を36分割していました。星座の数はもっと多いです。
へびつかい座ですか?
バビロニアの星座リスト、ムルアピンには、へびつかい座はありません。
* ムルアピンはメソポタミアの星座表と知られています。バビロニアはメソポタミアの一部です。(1/22)
古代は国や地域によって、星座は異なりましたが、そんな違いがあっても1年を12ヶ月としたところは多いです。太陽と月の影響をよく知っていたからです。