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文学アイドル西田藍「顔立ちに癖があるから女優は絶対無理」

NEWS ポストセブン 11月23日(日)16時6分配信

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文学アイドル西田藍「顔立ちに癖があるから女優は絶対無理」

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文学アイドル西田藍「顔立ちに癖があるから女優は絶対無理」
学生制服コスプレが趣味のアイドル西田藍

 アイドル戦国時代といわれて数年が経つ。そのなかでP.K.ディックや林芙美子を愛読書として挙げる西田藍は、文学アイドル、SFアイドルと呼ばれている。エキゾチックな美少女然としたルックスから、当然、子どものころからアイドルになりたいと願い続けてきたのかと思えば、そもそも人間の偶像にまったく興味がなかったという。その西田の気持ちを変えたモーニング娘。のコンサートへ至る道を振り返った。

 * * *
――表紙を飾った『SFマガジン』2014年10月号は品切れだそうですね。

西田藍(以下、西田):ありがたいですね。売れなかったら私の責任だと思っていたので、それを回避できてよかったです。女性で私よりSFに詳しい方はもっといらっしゃいますが、P.K.ディックは大好きな作家ですし、その特集号ならと思って表紙をお引き受けしました。私が表紙になったりすることがSFへ興味をひく起爆剤になればいいですね。

――もともとアイドルや芸能人になりたい子どもだったのですか?

西田:興味ありませんでした。小学生のころ、同級生たちはモーニング娘。のミニモニ。に夢中でしたが、子どもっぽい感じが私は好きになれませんでした。たぶんそのころだったと思うのですが、地元のアイドルグループに誘われて、その事務所へ行ったことがあります。でも、夏休みは毎日練習ですと聞いて「絶対にイヤ」と即答したんです。

――それでも中学生くらいになると周囲で芸能人の話題が増えますよね。

西田:本とアニメのキャラクターにばかり夢中で人間に興味が向きませんでした。テレビもそんなに熱心に見ず、女の子向けの雑誌も買わなかったからか芸能人全般をよく知りませんでした。14歳ぐらいになってやっと、グラビア等の文化に興味を持ち始めました。

――とはいえ、アイドルになりたいという同級生もいたのでは?

西田:福岡だけなのかもしれないですが、どのクラスにも2、3人は地元で芸能活動をしている人がいたんですよ。仲が良い友だちを通じてAKBのオーディションに合格したばかりの大家志津香ちゃんを紹介されたので、志津香ちゃんのことはずっと応援しています。アイドルにかかわる身近な出来事はありましたが、自分のこととしては考えませんでした。

――地元でしていたモデル仕事のなかにはアイドルのようなものもあったのでは?

西田:地デジ普及のCMでPerfumeみたいに踊ったのが、ミスiDになる前では唯一のアイドルっぽい仕事ですね。親のすすめで中学1年のときからモデル事務所に在籍していましたが、自分がやりたくて始めたんじゃないと最初は思っていました。事務所で面接の練習をしたとき「作家になりたいです」なんて受け答えして、先輩に呆れられていたくらいです。

 それでも、自信がなかった自分のルックスが売り物として大人に評価され自己肯定感が高まり、すごく良い経験になりました。地道にモデルを頑張ろうと思っていましたが、あと一歩踏み出す勇気が持てなかった。

――モデルを続けたのは、目立つことが好きだったのでしょうか?

西田:もともと人前に出るのは嫌いではないです。あんまり深く考えず前へ出るタイプでした。でも、高校1年のゴールデンウィーク明けに学校へ行けなくなり、保健室登校を交えながら頑張ったんですが、留年が確定して12月に中退したことで変わりました。私はダメだという思いが強くなったんです。

 学校で嫌なことは何も起きなかったのに、全日制の高校が合わなかった。無理に行くと頭痛がひどかったし、通学路でうずくまって動けなくなり同じところをぐるぐる歩いたり。すごく仲が良い友だちとクラスが一緒だったのに、それも学校へ行く理由にならなかった。高校にちゃんと行けなかったことは、今も深い影を落としていると思います。

――モデル活動が継続できたなら、学校へ行けなくても自信を持っても良いと思いますが。

西田:モデルとしても売れそうで売れなかった。悪いことは何も起こっていませんでしたが、モデル一本で生きていこうという気持ちにもなれない。すごくグラグラしていました。それに、かわいい女の子が好きで集中してたくさん見ているぶん、自分のルックスの至らなさがすごくわかるんです。

 モデルとして良いスタイルでもないし、顔立ちに癖があるから正統派女優は絶対無理。そもそも肌が荒れているからテレビに映せる顔じゃない。ショーモデルとしても背が高くないし、細くないし、運動神経もイマイチ。アイドルなんて思いつきもしませんでした。

――ずいぶんネガティブですが、最後はミスiDへ応募しますね。アイドルのオーディションは初めてだったのですか?

西田:地元で所属していたモデル事務所の関係で「国民的美少女コンテスト」に応募したことがあります。書類審査を通過して東京へ行き、集団審査からスチール撮影へすすみましたが、そこで落ちました。でも、集団審査のときから周りに圧倒されっぱなしで、私みたいな人間がいていいのかなと思ってしまいました。

――気圧されてしまった、というところでしょうか。

西田:何が違うんでしょうね。みんな十代で、初々しさも特別な輝きに見えました。大きなオーディションをいくつも経験して、やる気やキラキラにあふれた人に囲まれて、日本中にどれだけタレントやアイドルになりたい人がいるんだろうと思ったら恐ろしくなり、この世界で私は生き残れないだろうと思いました。淡く芸能関係の仕事ができたらいいなという気持ちも、このとき折れたような気がします。

――それでもミスiDに応募して準グランプリに選ばれ、アイドルになりました。

西田:初めてモーニング娘。のコンサートを見て、子どものときに見たアニメそのままにキラキラしていることに衝撃を受けました。そしてアイドルという存在に私もなりたいと強く思ったんです。

 コンサートが5月12日、ミスiDの締切日が5月13日でした。ちょっと変わったオーディションがあったなと記憶していて、そのHPをいったん見て閉じました。それでも気になってもう一度見たとき、締切まで1時間を切っていました。このタイミングでこのオーディションがあるのは私への啓示ではないかと思い、自分のプロフィルを送ったんです。

――もし、他のオーディションだったとしても応募していましたか?

西田:していなかったと思います。ミスiDは募集告知の中に「引きこもりでも大丈夫」というのがあったので引きこもりやすい私も安心して送ったんです。送るだけ送ったらアイドルになりたい気持ちが消化できて、結果についてあまり気にしていませんでした。電話番号を間違えて入力していたので「急いで連絡をください」というメールが2、3通入っていて、音信不通のアイドル志望者だったんです(笑)

●西田藍(にしだ あい)1991年10月20日生まれ。熊本県出身。日本人と米国人のハーフ。ミスiD2013準グランプリに選ばれアイドルに。愛読書としてP.K.ディック、カポーティ、エンデ、筒井康隆、林芙美子、伊藤計劃、吾妻ひでお等をあげることから文学アイドル、SFアイドルと呼ばれ『SFマガジン』に連載も持つ。その他『機動戦士ガンダムSEED』でアニメに興味をもち『少女革命ウテナ』、惣流・アスカ・ラングレー、仲村みう、道重さゆみ、矢島舞美、学生制服とそのコスプレがお気に入り。

最終更新:11月23日(日)17時41分

NEWS ポストセブン

 

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