「健さん郷土の誇り」 中間、北九州から悼む声 [福岡県]
中間市出身の国民的俳優、高倉健さんの死去が報じられた18日、地元に悼む声が広がった。北九州地域は、人間味あふれる演技で愛された銀幕のスターを生んだ原点の地であり、映画俳優としてラストシーンを演じた最後のロケ地にもなった。同窓生、ゆかりの人々、そして多くのファンが「健さん」との別れを惜しんだ。
■地元、母校、友人
中間市の宮司佐野正稔さん(72)は半世紀近く前、仕事の打ち合わせで東京の高倉さんの事務所を2、3回訪れた。銀幕スターとして活躍が目覚ましかった時期で、高倉さんと同窓の東筑高出身の佐野さんは、故郷の話で盛り上がり打ち解けたという。「独特の低音の声とフランクな人柄で、映画とはまた違った魅力を感じた。男の私もほれぼれするほど格好良かった」と懐かしんだ。
高倉さんは1996年11月、中間市の「なかまハーモニーホール」の開館記念行事に参加。同市出身で、この年に監督としてプロ野球オリックスを日本一に導いた故仰木彬さんとトークショーに臨んだ。高倉さんは東筑高で仰木さんの先輩にあたり、「普段はあまり野球を見ないけれど、オリックス優勝がうれしくて仰木さんに手紙を書いた」などと語ったという。
同市の松下俊男市長は「中間市の誇り。健さんの訃報は日本の映画界だけでなく、市民にとっても非常に残念だ」。東筑高で高倉さんに化学を教えた元高校教諭竹尾昭さん(86)=八幡西区=は「まじめな生徒で、下級生の女の子からも好意を持たれていた」と振り返り「先に亡くなってしまい、寂しい」と話した。
■ロケ地、映画館
遺作となった映画「あなたへ」は2011年11月、門司区での撮影でクランクアップ。宿泊先の門司港ホテルで高倉さんの世話をした宿泊部長の堀総一郎さん(43)は「『また来るね』と言ってもらったので、もう一度お会いしたかった」。ラストシーンでは高倉さんが海岸を1人歩いた。誘致に携わった北九州フィルム・コミッション(FC)の日々谷健司事務局長(47)は「郷土のスーパースターをロケで呼びたいと働き掛けてきた。門司のラストシーンが、健さんの映画のラストシーンとなるのは感慨深い」と話した。
高倉さんは撮影の合間には近くの映画資料室「松永文庫」を訪れ、松永武室長(79)が集めてきた自身のスクラップ記事を熱心に見た。「これで火がついたね」。松永さんは高倉さんのつぶやきを覚えている。
「もう1本(映画を)撮るのではないか」。そう思っていた松永室長に届いた突然の訃報。「スクリーンを通した元気な姿だけを見せて亡くなった。健さんらしい最期ですね。役者というより職人と呼ぶべき人でした」と惜しんだ。同文庫は12月13日から遺作展「高倉健さんをしのんで」(仮)を開催し、主演映画のポスターなどを展示する。
小倉北区の映画館「小倉昭和館」の館主、樋口智巳さん(54)は「あなたへ」のロケにエキストラで参加した縁で手紙のやりとりを続けていた。映画館経営の厳しさをつづった時には「自分にうそのない充実した時間を過ごされてください」と厳しくも温かく背中を押す返事をもらった。樋口さんは「厳しさの中に優しさがあった健さんの言葉は、私のバイブル。演じる役全てに、筋の通った健さんの生き方が表れていた」と涙ぐんだ。昭和館は22~28日、高倉さん主演の「新幹線大爆破」を上映する。
=2014/11/19付 西日本新聞朝刊=