スーパーニュース アンカー|関西テレビ放送 KTV
17時台の特集/バックナンバー
目次 › 2014年11月20日放送の17時台の特集/バックナンバー
リアル 〜ニッポンに来た「難民」〜
大阪市の中崎町で開かれた「ワールド難民デー」。
 
  
難民申請者のギリナンダラスさんとこの町で難民の生活支援をしている西尾純さんです。
 
 
「仲良くするということ、普通のことを普通にやっていけたらなって」
(AManTo天人 西尾さん)
 
  
この町に暮らす難民申請者と住民の触れ合い。
 
 
「すごいおいしいですね」
「ありがとうございます」
 
NGOラフィックの代表を務める田中恵子さん。
これまで13年間、難民支援を続けています。
 
「なんと言っても認定されない。
全く一人で来ていて、家族がみんな殺されているとか、
家族と連絡取れないと言う人がたくさんいるんですよね。
日本に来て一人ぼっちというのがすごく悲しい」
(ラフィック 田中さん)
 
  
日本は1981年に難民の保護を保証する難民条約に加盟しました。
難民とは、自国の政府から迫害を受ける恐れがあるため、国外に逃げた者をいいます。
 
日本では難民申請者が急増していますが、ほとんど認定されないのが現状です。
シリア難民も受け入れていません。
 
ミャンマー人のマウンさんは、田中さんが支援して来た難民の中で、唯一人の認定者です。
今、職を探しています。
 
難民認定者は、国籍以外は、保険など日本人と同等の権利が与えられます。
 
長年、軍事独裁政権の続いた母国、ミャンマーで、民
主化を求める学生運動が興ったのは1988年。政権側は激しい弾圧を加えました。
 
高校生だったマウンさんは・・・
 
「ネ・ウインの写真を、『We don’t need dog ネウイン』と友達と二人一緒に持って。
軍人に写真撮られて。その写真で友達が捕まって。家から逃げてきました。
友達は10年間刑務所に入れられたんで」
(マウンさん)
 
  
一番大切な両親の写真。母親が自分の家を売って、マウンさんの逃走資金を作りました。
 
ブローカーから偽造パスポートと航空券を手に入れたマウンさん。行き先は韓国でした。
 
韓国で難民申請をしましたが、そのまま数年が過ぎました。
強制送還の恐れがあったので、船で日本に逃げました。
着いたのは神戸港でした。
 
「警察とか来て、手錠かけられて。
『難民申請するために日本に来ました』とか、説明したけど認めなかった」
(マウンさん)
 
  
入国管理局に収容されたマウンさんは田中さんたちと出会い、
日本で改めて難民申請を行いました。
 
その面接では・・・
 
「『難民という証拠を見せて』って。
意地の悪い質問ばっかりされて、すごくがっかりしましたね」
(マウンさん)
 
難民申請も異議申立も却下され、マウンさんは裁判を決意しました。
 
空野佳弘弁護士が協力を申し出ました。
 
「色々取材して、彼が反政府活動家だということは
明らかに証明できたと思うんですけどね」
(空野弁護士)
 
しかし、結果は敗訴。
 
「その主な理由はね、
『彼はビルマ(ミャンマー)の反政府活動家の幹部じゃない』という理由なんですよ。
幹部でなくってもいっぱい逮捕されて、刑務所送られているのに、
どうして幹部でないという理由だけで、難民として認めないのかね」
(空野弁護士)
 
  
二審では、一審の判決を覆して勝訴しましたが、
日本で難民だと認められるまでには、6年もの歳月がかかりました。
 
  
去年の申請者数3260人。認定者はわずか6人に過ぎません。
 
「私どもとしては、難民条約上の難民に該当するかどうかということを
ひとつひとつ判断しているということでございます。
難民認定した方の数につきましてもその結果であると考えています」
(入国管理局 難民認定室 小田切 弘明 補佐官)
 
  
「国連をはじめ諸外国のですね、難民制度というのは、
難民を保護するという、そこが中心なんですね。
ところがどうも日本の難民制度はですね、濫用を防止するとか、取り締まるとか、
入管の取締的な発想からですね、どうも難民制度、運用されているような、
そういう気がしますね」
(空野弁護士)
 
中崎町で「難民と暮らす町づくり」を進める西尾さんたちが、運営するレストラン。
 
 
難民申請者たちが、店を手伝い、食事や住居のサポートを受けています。
 
ガーナ人のスレマナさんが、日本に来たのは1年半前。
今、難民申請の異議申立中です。
 
 
イスラム教徒だったスレマナさんは、キリスト教徒の女性と結婚したため、
宗教の教えに反するとして、激しい暴行を受けました。
『次は殺す』と言われ、兄弟たちの援助で、日本を目指したのです。
 
「日本は犯罪も戦争も無い国だと聞いていたので、日本を選びました。
でも、日本に来て、こんなに難しい国だとは思いませんでした」
(スレマナさん)
 
  
「スレマナさんこんにちは・・・、おひさしぶりです」
 
田中さんがスレマナさんの様子を見に来ました。
 
「いつもきれいにしているね」
「あとなんか困っていることとか、ないですか」
 
「今、ずっと部屋に住んでいるから、だからずっと考えすぎ。一人だから」
(スレマナさん)
 
日本に到着した難民申請者たちは、みんな入国管理局に収容されます。
 
  
13年前に初めて収容施設を訪ねた田中さんは、刑務所の様な環境に驚きました。
 
「雰囲気がなんか、本当に拘束されているというのか、人権がないんじゃないかという。
そういう雰囲気が本当にしまして、もう一回いかないといけないとその時思いました」
(ラフィック 田中さん)
 
難民たちのレストランを訪ねます。
 
「元気ですか・・・」
 
この食糧は、ふーどばんく大阪というNPOから届きました。
 
  
難民認定の手続をしている間は、一定の条件を満たさないと就労が認められていません。
ふーどばんく大阪では、ラフィックの活動を知り、応援をはじめたのです。
 
「今日はこれくらい」
 
「これ本当に生きるための繋ぎになっていることは確かです」
 
済生会吹田病院では、弱者に手を差し伸べる独自の事業を
ラフィックの支援する難民申請者に適用しています。
 
  
「熱が40度」
 
難民申請者たちは医療保険に入れないため、風邪をひいても1万円はかかります。
ありがたい支援です。
 
ネパール人のギリさんが、この中崎町で暮らして、3年が経ちました。
 
  
故郷に残した妻と娘にインターネットで話すのが日課です。
 
だんだんギリさんの口数が少なくなりました。
 
「どっちにしても、映像見ているだけ(で会えない)やん。苦しくなる」
 
再申請の準備を進めながら、家族との再会を待っています。
 
難民認定者のマウンさん。
ミャンマー国籍を捨て、日本に帰化しました。
 
「僕の宝物。日本のパスポート。ビルマでも帰れるから安心ですね」
(マウンさん)
 
 
来月、20年振りにミャンマーに帰り、母の法要を行います。
 
「仮放免された時にお母さんが亡くなりました。間に合わなかったですね」
(マウンさん)
 
田中さんが支援してきた難民申請者は30人。
10年以上も在留資格が得られない人もいます。
 
「彼の本当に人生をねどうするのかっていうところがすごく。
そこの責任を日本政府はね、どういうふうに考えているのかってところですよね」
(ラフィック 田中さん)
 
多くの国で採用されている国連の認定ガイドラインや欧米の国などと比較すると
日本の難民認定は厳しすぎる状況にあります。
 
  
「ある程度証拠不十分で曖昧なところがあってもですね、
やっぱりそれを申請者の不利益にしてはいけないと。利益に帰さなければ行けない。
そういう制度のですね『灰色の利益』という概念ですけど、
日本でまだこれが正面から認められた事例は一件もないということですね」
(空野弁護士)
 
 
2014年11月20日放送
目次へ戻る
ページ上部へ