あの蛭子さんが涙…亡き妻へ「言いたいことは“ありがとうね”」
「ローカル路線バスの旅」での人気がきっかけで再ブレークしている蛭子は、このところバラエティー番組への出演が急増。感動的なVTRを見てもまったく泣かずむしろ笑い出すこともしばしばあり、存在感を発揮している。その蛭子が珍しく涙を流したのは、13年前に亡くなった妻・貴美子さんの思い出を振り返った時だった。
長崎県から上京し、まだ蛭子が漫画家として芽が出る前に2人は結婚。1980年代には蛭子が漫画家としてだけでなくタレントとしても活躍し、2人の子宝にも恵まれ蛭子一家は幸せな時間を過ごしたが、99年5月に貴美子さんが食道静脈瘤、子宮筋腫などで倒れてしまう。
一命は取り留め、退院後に蛭子は貴美子さんと一緒に映画や旅行へ頻繁に行ったという。蛭子は「病気を押してあちこち連れて行くのは本当はよくないかもしれないけど、自分だったら病気していても遊びたいときは遊びたいと思うので。それでよくあっちこっちにつれていったりしましたね」と当時を述懐。
01年8月、蛭子がボートレース場へいる時に貴美子さんが倒れ、2日後には帰らぬ人に。「俺その日本当にばかだった、なんで競艇いったのか」とギャンブル好きな自分を攻めた。
貴美子さんとの生活について「普通だったらサラリーマンを32歳でやめて漫画化になるからっていうのは普通の奥さんだったらやらせてくれないと思います。だけどそれを快くいいよっていってくれて、生活が苦しい時は自分で中華やとか働きに行ってくれましたからね」とサポートしてもらったことを思い起こし、「言いたいことがあるとすれば、“ありがとうね”と言いたいです」と感謝を口にしてハンカチで目をぬぐった。