2014-11-22

子供の頃の家庭環境なんて周りには関係ない

という当たり前のことに改めて気付いた。周りにとっては良い年してアホかってだけだ。だからもちろん誰にも話さない。殴られたアザも見た目は元通り。心に傷が…なんて証明できない。親は子供が飢えなければ社会的評価はばっちり。カオスな家庭環境でも金に困らなければ素晴らしい親。戦前戦後を生きた世代高度成長期を生きた世代価値観がその点で変わっていないことに最近気付いた。

生きてるだけで丸儲けなのかもしれない。ああいう人みたいに何か才能があればまた違っただろう。才能はなくとも努力だけは人一倍していたはずだが、方向がねじれていて何も残っていない。何の希望もない。普通幸せには価値を感じない。幸せ想像できない。心は反応しない。

社会は厳しい。聞いていた通りだった。予想以上に冷酷だった。子供の頃の家庭環境匂いを少しでも表に出したら、面倒なやつと思われて捨てられるだろう。意地でも普通人間のフリをし続けなければならない。

でも、一番辛いのはねじれた人格のものだ。心は死んでいる。そうとしか表現できない。全て投げ出したいが、それをしたら戻れなくなる確信がある。だから耐えながら模索しなければならない。

最近食べ物を美味しいと感じることに気付いた。景色をきれいだと感じることに気付いた。アホみたいだがそれが最近気付いたことだ。こんなこと誰にも話せない。引かれる。でも、これが自分真実だ。あらゆるものに耐えながら、アホくさい模索をし続けるしかない。自分の心を動かすものを見つけ出さなければならない。求められた行動をするだけのロボットのような人格ではなく、温かい血が通った人格を手に入れるために。人として当たり前の土台を手に入れるために。

しかしたら全部自分が悪いだけなのかもしれない。元々精神的におかしかっただけなのかもしれない。もう理由なんてどうでもいい。生きる価値はそれ以外にない。何でこんな人生なのだろうと思う。でも仕方がない。それが現実

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