少女たちは幸せを求めている

買う側の心理

 

―― どうして男の人はお金で女の子を買おうと思うのでしょうか。

 

記者業としては問題なんですが、ぼくは買う男には殺意じみた嫌悪感があって、理解できない以前に理解したくないという感情があります。でも、女の子を買っている男性たちを個々に取材してみると、彼らもなんらかのかたちで社会から排除されているひとたちなのかなという気がします。たとえば、若い客の中には女の子と同じような境遇で育ってきた男もけっこう多いんですよ。似た環境にいるからか、女の子たちともすごくなじみが良くて。付き合いはじめてしまうこともありますね。

 

 

―― お互い孤独な境遇で生きてきたぶん、パートナーと共依存関係になってしまうことも多いのでは?

 

正直なところ、DVの温床だと思います。女の子たちはまだ若いから、判断能力が低いんですよ。だから、すごく馬鹿らしい安直なストーリーにはまってしまうことも多い。ホストが「きみとは前世で恋人だったんだよ」といえば、女の子も「よく考えたら、わたしも前世であなたに会ったことがある気がする」といいだしてしまったりして。

 

買う側の男性にもそういった女の子たちの弱さにつけ込む奴がいるんですよね。たとえば、「記憶喪失ナンパ」とか。どういうことかというと、「自分は記憶喪失なんだ」という偽装をして、女の子に話しかける。そうすると、女の子のなかには「このひとを助けなきゃ」と思ってしまう子もいるわけです。でも、大人の男性が未成年の少女相手にそういうくだらない演技をやっているという時点で、人間として終わってますよ。不幸な境遇で苦しんできた少女に、そういう最低な大人の姿をみせるのは、本当に残酷なことだと思います。そういうことは洒落のわかる大人の女相手にやって、勝手に玉砕してくれと思います。

 

 

―― どうしてわざわざ未成年をつかうのか、と。

 

そう。買った女の子たちといろいろなコミュニケーションをとっていけば、彼女たちのかかえている苦しみとかもわかってくるはず。それなのに、まだお前は彼女たちを買うのか、と。SEXしてお金をあげるのではなくて、単純に支援してあげようという気になぜならないのか、と。

 

エロ本のライターさんのなかには、自分で女の子をナンパして、その体験を記事にしていくというひとたちが、わりとたくさんいたんですよ。どうして普通に話を聞くだけじゃだめなのかと不思議で、そのひとたちに話を聞いてみると、「女の子たちの本音は、一緒に寝てみないとわからないから」って。彼らに捨てられることで、女の子たちの心の傷をさらに増えてしまうことがわかっているのに、平然と女の子たちの本音を布団のなかで聞き取れるという彼らの心理が、ぼくには信じられなかったですね。

 

でも、すでに男性関係にあきらめの感情がある女の子だと、一晩だけの関係で「ひとのぬくもりを感じて、安心できました」と納得してしまう子も多いんですよね。たしかに、それなら割り切った関係なのかもしれないとは思いますが、「それで十分」といえるようになってしまった女の子の歩んできた道を考えると、切なすぎます。そういう関係をつづけていて、本当に好きなひとができたときにつらいじゃないですか。好きなひとにたいしても、「どうせ、このひとも……」って思ってしまう。

 

本当ならば、そういった問題を抱えている女性と「そんなことないよ」といえる男性が出会えれば良いのですが、両者の接点が少なすぎますよね。どうしても人間は、同じようなエピソードをもつひとにひっぱられてしまいますから。

 

 

―― 昼職で、ある程度お金もあるような男性がお客さんになることは少ないのでしょうか?

 

そういう男性もなかにはいます。でも、そういうひとは、「廃墟をすこしだけのぞきにきた」みたいな怖いものみたさ感覚のひとが多い。だから、援デリがどういうものかがわかれば、すぐにいなくなってしまいますね。

 

 

成功例とはなにか

 

―― 本のなかでは、里奈ちゃんという少女の話が、援デリの世界から抜け出すことができた成功例として描かれていますね。でも、それは本当に成功例といえるのかな、って思ってしまいました。

 

成功例として描くつもりはなかったんです。じつは最初、『援デリの少女たち』は彼女一人の話を書くつもりだったんですよ。里奈は容姿にも知能にも恵まれていた。でも、世の中そんなにうまくいかないだろう、と。彼女なりの紆余曲折と失敗があって、なかなか成功しなくて苦しんでいる彼女の姿を描こうと思っていたんです。そうしたら、彼女は本当に自分のもつ資産のみで、勝ち抜けてしまった。自分でも「マジですか!」って感じでした。

 

たしかに、彼女自身が今後どういう悩みを抱えていくかを考えてみたとき、けっして成功とはいえないと思います。里奈は家族とふたたび一緒に暮らせるようになったけれど、貧困や夜の世界から抜け出せたわけではない。もしかしたら、一生抜け出せないのかもしれない。でも、この前連絡を取ったときに、彼女は「毎日ママと殴り合いのけんかをしているけど、超ハッピー」といっていました。たとえ、殴り合いのけんかをしていたとしても、貧困から抜け出せないとしても、本人が幸せだと感じているなら、幸せといっていいのかもしれないと思います。

 

援デリの少女たちもそうですし、『家のない少年たち』で取材した少年たちもそうなんですが、貧困のなかからもがいてもがいて、ようやく大金を手にして、「あれ、お金ができたのに全然幸せに感じない」って呆然とする子たちが多いんです。お金が手に入れば安心して幸せになると思っていたのに、不安だし幸せを感じられないままじゃないかって。

 

まず、こうした社会の裏側で生きる少年少女の背景にはリアルに金がない「貧乏」の状態があるけど、そこから脱したあとにふたたび総合的な意味での貧困におちいる。里奈がほかと違ったのは、子供のころに不適切かもしれないけど周囲の大人のサポートがあり、兄弟愛があり、それを受ける感受性があったことだろうと思います。愛着障害なんて簡単にまとめることはとてもできないけど、やっぱりこうした子たちの不幸の連鎖を止めるためには、より幼い子供の貧困についての支援を考えなければならないのかなと思っています。

 

(2013年2月8日 品川にて)

 

 

援デリの少女たち

著者/訳者:鈴木 大介

出版社:宝島社( 2012-11-21 )

定価:¥ 1,404

単行本 ( 255 ページ )

ISBN-10 : 4796699643

ISBN-13 : 9784796699648


 


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