2014.11.21 12:00(1/2ページ)

【ありがとう八十年(138)】杉下茂、母に連れられ神宮で六大学観戦

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
杉下茂氏

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 僕が生まれたのは、現在の東京都文京区小石川。大きな中華料理店の帳場で働いていた父親(和一=わいち=さん)が50歳くらいのときの子供だった。父親には体を悪くして寝込んでいる印象しかないが、野球が好きで、寝床で東京六大学の試合をラジオで聞きながらスコアブックをつけていた。母親(サクさん)は野球が好きではなかったが、日曜になると弁当をつくって、父親の代わりに神宮球場へ連れて行ってくれた。

 2、3歳のころ、一家は父親の仕事場がある中央区新川へ引っ越した。グラブとミットを買ってもらい、明正小の低学年の頃には3歳上の兄(安佑=やすすけ=さん)とキャッチボールをやっていた。兄が投手で、僕は捕手。投手をやりたかったが、弟だから仕方ない。4年生の2月に父親が亡くなり、千代田区神田へ引っ越して錦華小へ転校した。

 当時は4、5歳上の人たちにまじって野球をしていたから、すぐに野球部に引っ張られた。最初の試合は捕手で、2試合目から投手。錦華小は神田区(現千代田区)の大会で負けなしだった。

 《錦華小は千代田区猿楽町1丁目にあった公立小学校。文豪の夏目漱石は1期生で、卒業生には石川忠雄・元慶大塾長、清水司・元早大総長もいる。1993年4月に西神田小、小川小と統合し、現在の校名はお茶の水小》

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