むろん、船長や乗組員の責任の重さに変わりはないが、だからと言って、彼1人に全ての責任を押しつけて事件を終わりにしていい、というのは問題にフタをしていると思うし、どうも心が晴れない。
だから今回、韓国でも「法理的に殺人罪の適用が難しかったのは妥当。社会全体で負うべき責任」(韓国の法律専門家)とされ、殺人罪が認められなかったことに、少しだけ安堵した気がした。だが、裁判所は国民感情の高ぶりなど世論に配慮し、極めて重い36年という懲役刑にせざるを得なかったのではないか、と筆者は感じている。
船長1人を死刑にすべきではない
でもそれを口に出して言いづらい
おそらくそうした感じ方は、韓国でも同様なのではないか。そう思い、ソウルに住む40代の韓国人女性に聞いてみると、案の定、韓国でも様々な意見が飛び交っているとのことで、彼女はため息をつきながらこう語ってくれた。
「賛否両論ありますよね。『他の不運な出来事が重なったとしても、やっぱり船長は悪い。だから死刑にするべきだ』という意見もあれば、『船長は事件全てのスケープゴートにされてしまったのだ、極刑にまではすべきでない』という意見もある。事故から時間が経って、国民も少し冷静に考えられるようになってきたと思います。でも、内心彼に対して少し同情する気持ちがあったとしても、『それを公にはなかなか口にできない』といった空気が韓国にはあると思います」
あの海難事故によって、韓国中が強いショックを受けたことは記憶に新しい。事故後、多くの市民ボランティアが現場近くの港に駆けつけて炊き出しをしたり、神仏に救出を祈ったり、追悼行事を行ったりした。韓国国民全てが打ちひしがれ、涙に暮れた。テレビ番組などでも自粛が続いたし、レストランに繰り出して宴会を開くことをはばかる空気も根強かった。
私がちょうどその頃に読んだ日本の新聞コラムに、記者(そのコラムの筆者)が韓国でタクシーに乗っていたところ、運転手は記者に対して「船会社や誰か特定の人の責任ではない。事故が起きた責任は、こんな社会をつくってしまった我々大人全員にある。だから、私たちはこんなにも悲しく、高校生たちに申し訳なく、やり切れないのだよ」と語った、というようなことが書いてあって、筆者はその小さなコラムにとても共感したことを覚えている。韓国人の深い悲しみが伝わってきたのだ。