あかりのらせん ~慶応義塾大寄付講座から~
2014年11月21日
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妊娠中の女性の血液を使って胎児の染色体異常の有無を調べるNIPT(無侵襲的出生前遺伝学的検査)の1年間の結果がまとまりました。
7740人の方が、ダウン症など3種類の染色体異常があるかどうかを調べる検査を受け、診断が確定した113人のうち110人が人工妊娠中絶をしたと報じられています。
今後、検査を受ける対象人数がさらに増えていけば、中絶につながる件数も増えていくことが予想されます。
この問題をめぐって、日本はやや混乱しているように感じています。その大きな要因は、欧米発の最先端技術が、親子観、家族観、文化的な背景が大きく違う日本にいきなりばーんと入ってきてしまったことにあるのではないか、と思うのです。
一般的に、欧米では日本と比べて、ダウン症を含めた先天異常の子どもたちが学校や地域でともに生活している機会が多い。そうした子たちと幼いうちから接する中で、障害のある子どもたちとどのように付き合っていくのかを自然に学んでいくのです。
一方、日本ではハンディのある子どもとそうでない子が自然に接する機会はまだまだ少ない。みな均一であるかのような集団の中で育ち、大人になって初めて、障害のある人たちのことを出生前診断の機会を通して知る。そのために、こうした人たちへのネガティブな意識が生まれてしまいがちです。
妊娠をして、初めてそうした障害のある子どもの存在が現実的になったとき、夫婦は「自分たちが数十年にわたってその子を守っていけるだろうか、自分たちが死んだあと、社会はきっと冷たいだろう、だれも支えてくれないだろう」と不安感、孤立感におそわれるのです。
欧米でも障害を理由とした中絶は多く行われています。ただ欧米では、日本に比べて障害のある人が社会でより受け入れられていて、いろいろな深い議論を重ねたうえで、「そこまで考えたうえでなら、あなた個人の選択は尊重しましょう」と考える個人主義的な文化があるのです。
たとえば、オランダでは安楽死が法的に認められていますが、安楽死に反対の国民も少なくはありません。十分に議論を尽くしたならば、自分は反対でも、賛成の考えも尊重しようという文化があるようです。
日本では、NIPTをめぐっても白か黒か、推進するのか禁止するのかという極端な議論になりやすい。私としては、差し迫った事情にある夫婦が、検査の限界も含めた情報を十分に理解したうえで、それでも検査を受ける決断をされたのであれば認めるべきだと思うし、あやふやな考えで安易に受けるべきではないとも考えています。命の重みをよく考えて受けるかどうかを決める検査だと思っています。
同時に、学校や家庭、地域で、障害のある子を含めた様々な子どもたちと接する機会をもっと増やし、先天的な異常がだれにも無縁なものではないということをもっと伝えていくべきです。
出生前診断を望む夫婦には検査前に遺伝カウンセリングをしますが、「健康に見える人であっても、だれでも遺伝子に異常をもっていますよ」「先天異常の子どもは100人あたり3~5人の確率で生まれ、決して珍しくはありません」といった、本当なら学校の生物で教えているべきことへの説明に大半の時間を使っています。先天異常に対する情報に接する機会がなかったことが、夫婦の理解の基盤を実際とは異なったものにしてしまっているのです。
日本ではいま、体外受精した複数の受精卵を調べて問題がないと判断した受精卵を子宮に戻す「着床前診断」をめぐって、対象症例や診断手法についての議論が盛んになっています。染色体異常が原因で流産を繰り返す女性がこの手法で「着床前スクリーニング」と呼ばれる検査を受け、着床しやすそうな受精卵を選び、流産を避けようという方法の導入が各国で検討されています。
ただ、本来なら体外受精を必要としない女性の卵巣に針を刺して卵子を採取するというのは、かなりのリスクと負担を伴います。そして、この検査によって本当に赤ちゃんを出産できる確率が上がるのかどうか、科学的な結論はまだ出ていないのです。さらに、そうした検査がいまの日本社会で受け入れられるのか、簡単に答えは出ません。
技術はどんどん進んでいて、染色体異常があるかどうかに限らず、すべての遺伝情報(ゲノム)が生まれる前にわかるようになってきました。受精卵ですら全ゲノムを調べることが可能になってきています。
まだ生まれていない子が、将来、がんなどの病気になりやすいといったことがわかってしまう。本当に病気になるかどうかはともかく、ゲノムを調べれば何らかの変異は必ず見つかる。その異常をどうとらえればよいのか、どう判断すればよいのか。そんな問題があと数年もすれば、日本でもきっと切実になってくるでしょう。
こうした問題には正解がありません。だから、「こうでなければいけない」「けしからん」などと感情的にならず、さまざまなケースを想定して論点を明らかにしたうえで、フラットに議論していくべきです。その前提として、「だれでも遺伝学的に問題を抱えている。完全に正常な人などいない」ということをぜひ、知っていただきたいと思います。
(聞き手・田村建二)
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